共創社会における投資行動

 大國 亨  Ph.D.

目次

1.はじめに

2.ネットワーク社会

2.1ネットワーク社会とは何か

2.2ネットワーク社会を成立させるもの

2.3山岸 俊男の行った実験---高信頼者と低信頼者

3.共創社会

3.1自己責任と要求される行動

3.2すっぱいレモンと腐った牛乳

3.3ネットワーク社会から共創社会へ

3.4エコファンド

3.5消費者に求められる姿勢

4.共創社会の均衡化

5.まとめ

 

 

1.はじめに

平成13年に「金融商品の販売に関する法律」(以下,金融商品販売法と略す)および「消費者契約法」において,消費者に対する企業の責任が明確にされた.

消費者保護の一環としてこれらの法律が制定されたことは喜ばしいことであるが,これらの制定を以って消費者の保護は図られるのであろうか.企業に対してコンプライアンスの実行を要求するだけで,消費者の努力は一切必要とされないのであろうか.たとえば,消費者契約法は消費者の努力も規定している.「消費者は,消費者契約を締結するに際しては,事業者から提供された情報を活用し,消費者の権利義務その他の消費者契約の内容について理解するよう努めるものとする.」(消費者契約法第3条第2)ただし,この条文は努力目標であり,消費者が努力をしなかったからといって,企業がある一定の不当な行動をとった場合に,消費者契約法に定める契約の取り消しなどができなくなるわけではない.

しかし,大株主でもない個人が企業に対してその企業活動を規制することは非常に難しい.その代わりとして,企業に対して責任ある行動を取ることを要求する,SRI(Socially Responsible Investment,社会的責任投資などと訳される)が注目を集めている.投資全体に占める割合は依然として低いが,新しい投資手法として注目されている.

「金融商品販売法」および「消費者契約法」(およびそれ以下の施行令,施行規則,各省庁のガイドライン等も含め)では消費者保護のために企業が取らなくてはいけない行動を細かく規定している.しかし,それだけで現実の企業と消費者が取るべき行動が十全に規定されうるわけではない.法的規制には自ずと限界があり,理想的な資源配分を実現するための企業・消費者の行動を実現するためには法以外の側面を考慮する必要がある.本稿では投資活動のひとつの方法であるSRIを取り上げ,SRIが共創社会においてなぜ重要であるか,その投資行動が共創社会の維持・発展の為にどのような役割を果しうるか,上記2法が制御しえない領域について社会学的な考察を加えたい.

 (なお,金融商品販売法においては企業と消費者はそれぞれ「金融商品販売業者」,「顧客」に,消費者契約法においては「事業者」,「消費者」と呼称され,その内容も厳密に定義されている.本稿においては,法律条文からの引用以外は一般的な企業と消費者という呼称を一般的な意味において用いるものとする.)

 

2.ネットワーク社会

2.1ネットワーク社会とは何か

 IT技術の進歩発展により現代の社会はネットワーク社会になったといわれている.それでは単純にインターネットが普及した社会であればネットワーク社会なのであろうか.電話機が普及しただけではネットワーク社会とは呼べないのは明らかであるから,インターネットを単純に特定個人間の通信の道具として使っているだけでは,到底ネットワーク社会とは呼べないであろう.それでは,IT技術以外でネットワーク社会とそれ以前の社会を大きく隔てているものは何であろうか.

 そのひとつとして,機会費用の大きさが挙げられるであろう.

 機会費用の小さな社会とは,閉ざされた社会である.いつも特定の人と特定の関係を結んでいる.その特定の関係さえ維持していれば,一生何とか暮らしていける.例えば軍隊や官僚組織,従来の大企業型の組織などが当てはまるであろう.そのような組織の内部においては,まず組織の論理が優先される.それが外部の論理と異なっていても,そんなことは関係がない.企業などにおいては,顧客との関係は最優先されるべきなのであるが,外部者である顧客などは組織の論理においては重要視されない.軍隊や官僚組織においては明確に顧客と呼べるような対象を持たないため,ますます組織の論理が幅を利かせることになる.なぜならば,外部者との関係を無視することによって失われる利得よりも,組織の論理を重視した方が,組織にとってもそこに属している個人にとっても利得が大きいからである.

 企業であれば,独占的に商品を供給している,あるいは全くの新製品を供給している場合が当てはまるであろう.独占供給であれば,消費者には選択の余地はない.また,全くの新製品であれば,マーケットは無限に存在するのである.既存顧客の要求をひとりひとりかなえていくよりは,新規顧客の獲得を図った方がはるかに効率がよいことは明白である.

 これに対して,機会費用の大きな社会とは,開かれた社会である.軍隊や官僚社会は現在の日本においても(世界中においても)閉ざされた社会として存在しているが,昨今企業などにおいては企業の論理が通用しない社会になりつつある.なぜならば,経済社会がグローバル化し,顧客にとって企業はオンリーワンの存在ではなくなったからである.顧客にとって,企業は同じような商品を提供してくれるたくさん存在する企業群の中から選ばれるワンオブゼムに過ぎないのである.気に入らなければ,いくらでも代替企業は見つかるのである.

 逆に企業から見ればどうであろうか.もちろん企業にとって,顧客を失うことは辛いことではあろうが,そのような社会は同時にチャンスをももたらしてくれるのである.企業が「系列」にがんじがらめにされているときは,系列外の企業との取引等は考えられなかった.また,通常の個人顧客においても,ある企業との付合いが始まると,そことしか取引をしなくなる,あるいは取引を変えるなどということに気兼ねするといった傾向があった.

 しかし,現代社会は開かれた社会になっている.系列重視といわれる企業取引においても,系列外の企業と取引すると村八分にされる,などということはなくなりつつある.その場合,取引先を全く変えないという選択は,取引先を変えることによって得られる利得を犠牲にすることになる.これが機会費用である.機会費用が大きい場合には,取引先を全く変えなかった企業は適宜取引先を取捨選択した企業に比べて損失を被ることになる.

 現代社会ではGMとフォードが組んで自動車部品供給のネットワークを立ち上げようとしている.ライバル会社が組むなどという,今までは考えられなかったことが,現実になっているのである.これも,ライバルと組むことによって失われるであろう利得(何をいくらでどれだけ買っているかが分かってしまう)よりも,ライバルと組んで得られる利得(大きなロットの取引をすることによって,世界中の部品供給業者を相手に,最も有利な条件で取引することができる)の方が大きいと考えたからこのような手段が選ばれたのである.

 開かれた社会となって,世界中を相手に商売をする社会.これがネットワーク社会なのである.

 

3.2ネットワーク社会を成立させるもの

 上記においては,ネットワーク社会を成立させる条件については何も触れなかった.ネットワーク社会はインターネットが普及すれば無条件で成立するのであろうか.

 インターネットが普及するためには,当然その運営システムとそのシステムに参加している人間に対する一般的な信頼がなければ成り立たない.ネットワーク社会が魑魅魍魎の跋扈する無法地帯であったならば,あるいはそのような認識が一般に広まってしまえば,そこに参加している人間も次第に遠ざかっていくであろうし,参加していない人間に対するアピールも少なくなり,参加しようというインセンティブが働かなくなる.その結果,そのネットワークは機能しなくなってしまうのは当然であろう.

 いま,ネットワーク社会が魑魅魍魎の跋扈する無法地帯であったならばと書いたが,相手が魑魅魍魎であるかどうかを判断するのは誰なのであろうか.ネットワーク社会ではいわゆる風評などが広まりやすいであろうから,それらに頼ることもできるであろう.しかし,ネットワークの参加者が信頼できないのであれば,それらの風評だって信頼できないのは同じではないか.ネットワーク社会に対する期待がそのようにネガティブなものとなってしまった場合,ネットワーク社会そのものが成立しえなくなってしまうのは明らかである.結局ネットワーク社会では,自分自身で,自己の責任において判断するしかないことになる.自己責任で取引をする場合,成功することも失敗することもあるであろう.そのような結果をどのようにそれ以後の判断に結び付けていけばよいのであろうか.これに関しては,山岸 俊男が極めて興味深い実験例を示している.

 

3.3山岸 俊男の行った実験---高信頼者と低信頼者

 この実験における高信頼者と低信頼者とは,山岸 俊男が開発した信頼感尺度を用いて個人の特定個人に対する信頼度ではなく,社会一般に対する信頼度が高いか低いかに基づいて区分けしたものである.高信頼者のほうが,取引相手などのネガティブな情報には強く反応するなど,情報感応度が高いことがこの実験から明らかにされている.

<実験の内容>

 実験は依存度選択型囚人のジレンマ実験である.与えられた利得のマトリックスは表1のとおり.

 ふたりの参加者同志の間で,囚人のジレンマのゲームを繰り返し行うが,実験の回数,相手は参加者には知らされていない.参加者には500円が渡されており,実験の結果の利得を500円に加減した金額がお礼として支払われる.

 さらにこの実験では,表1で与えられたマトリックスの利得を参加者は変化させることができるようになっている.1回の実験が終わるたびに,利得の1/10を加減できる.その場合,加減の方向はもとの利得の方向と同じ,つまり,プラスを増やすと,マイナスも同時に増える.実験参加者は相手が信頼できると思えば利得を増大させ,信頼できないと思えば減少させるであろう.

<結果>

 最初の16試行の結果が図1に示されている.相手が協力してくれた場合には,高信頼者も低信頼者も同じように利得の大きさを増加させており,その選択には統計上の有意な差はない.ところが,相手が非協力を選んだ場合の行動には,大きな差がある.高信頼者は利得を引き下げている(平均-0.17)のに対して,低信頼者は相変わらず利得を増加させている(平均0.31).この差は統計上有意である.

 高信頼者の方が,得られた情報(相手が非協力を選んだこと)に対して敏感に反応していることがわかる.

 ところが,続く17試行目から32試行目の結果は面白い変化をしている(2).低信頼者は「羹に懲りて膾を吹く」の例えどおり,今度は例え相手が強調的な行動を採った場合でも相手に協力するのを躊躇する行動に出ている.これに対して,高信頼者は1試行目からのときと行動パターンに大きな差はない.

(山岸信頼の構造―――こころと社会の進化ゲー』pp162168)

 

3.共創社会

3.1自己責任と要求される行動

 低信頼者の行動パターンは,だまされ続け,それに気づくと今度は社会を一切信用しなくなるという,安易なテレビドラマにでも出てきそうなものである.それに対して高信頼者の行動パターンは,残念ながら面白そうなテレビドラマにはなりそうもない.相手の出方に対してきっちりと対応している.高信頼者の行動パターンは,面白味には欠けるかもしれないが,ネットワーク社会を乗り切っていくためには必要とされる行動であろう.

上記山岸の実験では,低信頼者と高信頼者の最終的な獲得金額が示されていないので,実験から高信頼者の方が高い利得が得られると結論づけることはできない.しかしながら,失敗を蓄積せず,その場その場で適切に軌道修正をしていく高信頼者の行動パターンの方が機会費用の高いネットワーク社会において高い利得を獲得できるであろうことは容易に想像できる.

 このような行動を採ることが戦略的に優れた行動であることは,実はゲーム理論の世界ではよく知られている.ゲームを(無限に)繰り返す場合には,「TIT FOR TAT」と呼ばれる戦略(略してTIT戦略とも言う.「Tit for tat」とは,しっぺ返しの意味)がもっとも有効であるといわれている.

TIT FOR TAT戦略

1.      1回目は協調的戦略を採って,相手の出方を見る.

2.      2回目以降は,前回相手が採ったのと同じ行動を採る.相手が協調的な行動を採ればそのまま協調的行動を続けるし,相手がこちらを出し抜こうとして非協調的行動を採った場合,その次の回にはこちらも非協調的行動を採ってリベンジするのである.

 山岸の理論を実際に応用したネット競売システムをNTTが公開実験した.

 「トラブルの多いインターネット・オークションで,参加者の信頼度を数値化し,正直な売り手ほど高い評価を得られる新しいシステムをNTTが開発した.効果を高めるため来月,ネット上で公開実験を行う.

 同社光ソフトサービス推進プロジェクトの古関範章・主幹研究員らが,北海道大の山岸俊男教授と協力して開発した.ヤフーなどが主催するインターネット・オークションは,ネット上で最も人気が高いコーナーの1つだが,代金を振り込んだのに商品が届かないなどの被害も多い.詐欺まがいの行為を防ぐため,取引後に売り手,買い手が互いを評価する仕組みがあるが,悪い評価がつくと別人として新規登録したり,仲間内で評価をつけあうなどの抜け道があった.

 新システムは,正直な売り手と判断されれば,出品者の点数が上がるポイント制を採用.従来より評価が早く明確に定まり,正直者に取引が集中しやすくなるという.

 また,出品者名に暗号をかけて“談合評価”をしにくくするなど,不正防止策も強化した.

 学生を使ってシステムを試したところ,正直な入札が増え,取引も活性化した.」

200287日読売新聞(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20020807-00000107-yom-soci(08/07/2002))

 ここで注目したいのは,従来はこのようなビジネスシステムにおいては脇役であった消費者が,積極的に役割を果すことが期待されていることである.トラブルの多い売り手を市場から排除するためには,買い手は売り手を適確に評価しなくてはならない.その評価は,中立的なものでなくてはならず,面白半分であったり,単に嫌がらせ目的であったりしてはならないのである.そのような市場参加者の参加があって市場の存続が担保され,さらなる発展が望めるのである.

 

3.2すっぱいレモンと腐った牛乳

 経済学の教科書によく載っているすっぱいレモンというたとえ話がある(レモンとは米国の俗語で不良品の中古車のことである.レモンは中身が腐っていても外見はきれいに見えることからこう呼ばれるらしい)

 米国での中古車市場というのは,車が安く買える代りに何の保証もないのが通例であった.米国では,中古車のセールスマンといえば,信用できない職業として真っ先にあげられる.どんなポンコツでもお買い得と言いくるめて売りつけてしまうからである(別に中古車のセールスマンに対する職業差別を意図しているわけではありません.最近では,中古車に対しても保証は付くようである.また,このような低信用を逆手にとって中古車市場において広く店舗展開を広げることで品揃えや品質を保証する大手業者も現れているようである)

 素人である買い手には不良品と良品の区別はつかない.一方中古車のディーラーは当然どれが不良品であるかは知っている.このような状況では,お客はわざわざ高いお金を払って中古車を買ったりはしない.万一レモンであっても正当化されるような値段しか払わなくなる.

 一方中古車業者も良品を仕入れても買いたたかれて儲からない.いきおいレモンばかり仕入れることになる.結局は中古車市場にはレモンしか見当たらなくなり,市場そのものが崩壊してしまうという,業者・お客双方にとって好ましくない結果を生み出してしまうというものである.お互いが相手を信用しないため,市場そのものが崩壊してしまうのである.

すっぱいレモンの実例として,コンプライアンス違反が社会的に大きな問題となり,企業業績にも甚大な影響をもたらした雪印乳業の食中毒事件をゲームの理論を使って分析してみたい.いわゆる利得表は表2に示した.

 雪印乳業を巡っておきたの食中毒事件は企業と消費者をめぐるいわゆる囚人のジレンマを何回も繰り返すゲームであるとも受け取れる.実際の出来事を辿ると以下のようになる.

 まず,当初の状態は雪印が品質の良い牛乳を生産し,消費者も喜んで買っている左上の状態である.この場合は双方に利得があると考えられる.

 これに対し,雪印は品質を下げてでも利幅を大きくしたいというインセンティブがある.右上の状態である.回収した牛乳を混ぜてしまえば,コストは下がるし,消費者にはどうせ分かるまい,というわけである.

 そして食中毒事件が起こった.怒った消費者は雪印製品を買わなくなった.食中毒を起こすような牛乳であれば,買わないほうがましだからである.双方に利得がある左上の状態から右下の状態へと移行したことになる.

 売上の激減に直面した雪印は,コンプライアンス遵守を誓い,品質の向上を図った.左下の状態である.しかし,この状態は雪印にとって著しく不利な状況である.良い品質を保つのにはコストがかかる一方,買うか買わないかの選択権は消費者が持っているし,そもそも品質に疑いを持っている.素直に従来の購買パターンに戻ってくれるかどうかは分からない.

 しかし,繰り返しのゲームにおいて最も有効とされるTIT戦略のもとでは,相手が恭順の意を示した場合は,前述のように相手を許してあげるのが良しとされている.TIT戦略に従うのであれば,雪印乳業が反省すれば,消費者はもとのように製品を購入するはずである.しかし,そんなに簡単に消費者は雪印製品を買うようになるのであろうか.上記山岸の実験においても,一部の人間にせよ羹に懲りて膾を吹く状態になることが観察されている.

 我々は経験的に,失った信頼を取り戻すには信頼を失うのに要した時間の何倍もかかることを知っている.食中毒事件で信頼を失うのには一瞬しかかからなかったが,その信頼回復にはすでに数年という時間がかかっている(雪印乳業は乳食品専門会社として再起を図っているが,現在でも業績が完全に回復したとは言い切れない状態である)

 このような時間的非対称性がもたらす問題は,企業は良いものを提供できない,消費者は企業を信頼して製品を購入できないという囚人のジレンマ状態が,経済学でいうところの鞍点(Saddle point)になってしまうことである.すっぱいレモンのたとえ話では,市場そのものが崩壊してしまった.雪印の例では食肉偽装の子会社は解散,本社も乳食品専門会社(つまり問題を起こした牛乳市場からは撤退)になってしまった.企業自体が信頼回復までの時間を稼ぐことができなかったからである.現実の世界ではTIT戦略も想定どおりには働かなくなってしまうのである.

 逆に,双方にメリットのある左上の状態(いわゆるWIN-WINの状態)は,非常に不安定な均衡点であるといえるであろう.消費者と企業の思惑がきちんと一致していないと協調関係は簡単に崩れてしまう.

 しかし,このような時間的非対称性をそのままにしておいてよいのであろうか.一旦好ましい均衡状況が失われてしまうと,その回復に時間がかかってしまうことがわかっているのならば,その均衡状態を維持するために努力が払われなければならない.消費者も,企業とともに均衡状態を維持する責任を負っているのである.その責任を果すには,消費者としての意見を表明しそれを実際の行動に移していくことが必要なのである.

 

3.3ネットワーク社会から共創社会へ

 ネットワーク社会においては相互の信頼がなければ社会が成り立たないのは前述のとおりである.もし社会一般に対する信頼がなければ,新しい取引先を信用して取引を始めることができなくなってしまう.そして,一般的信頼の存在を信じるだけでなく,信頼を発信していくことも社会の一員として重要な責務なのである.

 消費者と企業の関係を考える場合にも,一方的に企業にコンプライアンスを求めるのではなく,消費者と企業が協力し合って共に利益のある状態を維持して行く体制が望まれる.そのような,不安定なWIN-WIN状態を相互の信頼によって維持していく社会を私は社会を共創社会と名づけた.共創社会とはその文字が示すごとく,共に価値を創り上げていく社会である.

 ゲームの理論が示すところでは,ゲームの参加者は単独ではWIN-WIN状態を実現し,そしてそれを持続していくことは出来ない.TIT戦略は,相手が常に自分の利得を増大させるために裏切り行為を行うであろうことが想定されている.TIT戦略は相手の出方に従って常に自分の戦略を変えていく.仮にWIN-WIN状態になったとしても,一時的な状態に過ぎない.

 共創社会においては,ゲームの理論に見られる功利主義だけが行動原理となるのではない.この点について,アダム・スミスが興味深い考察を行なっている.アダム・スミス以来,資本主義社会における経済主体がばらばらに利己的利益心を追求しているように見えても,神の「見えざる手」の導きによって社会全体が調和に発展していくものとされてきた.しかし,個人の欲望を肯定し資本主義の基礎を築いたといわれるアダム・スミスも,絶対的に手放しで利害関係だけから成り立つ社会を肯定しているのではない.『国富論』以前に書かれた『道徳感情論』ではアダム・スミスは単にそのような社会も存立しうる,としているだけである.

 「人間社会の全成員は,相互の援助を必要としているし,同様に相互の侵害にさらされている.その必要な援助が,愛情から,感謝から,友情と尊敬から,相互の提供されるばあいは,その社会は繁栄し,そして幸福である.」

 「しかし,必要な援助がそのように寛容で利害関心のない諸動機から提供されないにしても,その社会は,幸福さと快適さは劣るけれども,必然的に解体することはないだろう.社会は,さまざまな人びとのあいだで,さまざまな商人のあいだでのように,それの効用についての感覚から,相互の愛情または愛着がなくても,存立しうる.」

 「社会は,しかしながら,互いに害をあたえ侵害しようと,いつでも待ちかまえている人びとのあいだには,存立しえない.」(Smith 『道徳感情論上巻pp222-223))

 アダム・スミスも相互の愛情と感謝,友情と尊敬によって成り立っている社会を最高ランクに位置付けている.このような社会は,私が意図している共創社会そのものではないか.

 共創社会においては,今までのように企業側が一方的に消費者に対する責任を負うのではなく,消費者も社会におけるパートナーとして重大な権利と義務を負っているのである.そしてこのような変化はネットワーク社会へと変貌した歴史的変化によって必然的に要請されているものなのである.

 

3.4エコファンド

SRIとは,個人や機関投資家などが投資先を決定する場合の基準に,経済的なパフォーマンスばかりではなく,社会的なパフォーマンスをも考慮する投資手段である.ある企業がいくら安くて良いものを提供していたとしても,生産の過程で環境を汚染していたり,あるいは極端な低賃金など搾取的な労働環境で製品を生産していたりしたのでは,社会全体の負荷はかえって大きくなってしまうからである.

 SRIのひとつの形態として,エコファンドというものがある.投資信託の一種であるが,環境への貢献度を基準に投資先を選別しているのが特徴である.

アメリカ型のエコファンドは,投資家は投資された資金の使われ方にも責任を持つべきであるとの考え方から生まれたといわれている.資金を投下された企業は,環境ばかりではなく,地域経済への貢献などもすべきであるし,当然反社会的な行動(例えば人種差別的な行動など)は取るべきではないというどちらかというと倫理的な考え方から生まれたようである.従って,必ずしも利回りだけを追求しているのではなかったという.

 これに対してヨーロッパで生まれたエコファンドは,環境問題などに熱心に取り組んでいる企業は,中長期的に見れば法律違反などで訴えられる(従って企業業績にダメージを受ける)リスクが小さくて済むという投資家としての判断から生まれたという.最近はこの両者が歩み寄っているといわれている.

 日本では必ずしも一般的とは言いかねるエコファンドではあるが,日本のエコファンド第1号も累計全高が1千億円を超えるなどその売れ行きは好調であるという.

 さらに,エコファンド自体ではなく,環境にやさしい事業を展開している企業を取り上げてみよう.海外の大手企業でこの種のエコファンドの常連になっている企業もあるが,本稿では国内の小さなタクシー会社を紹介する.富山県魚津市の金閣自動車商会というタクシー会社が,アイドルストップ機構を備えたタクシーを導入したという.

 市街地を走行する自動車は,信号待ちなどで停まっている時間が結構長いものである.停まっている間はエンジンを切ってしまえば,それだけ排気ガスの排出も少なくなる.日本では,客待ちをしているタクシーもエンジンをずっとかけっぱなしにしている.環境意識が徹底しているドイツでは,駅や空港などで客待ちをしているタクシーはエンジンを切っているという.そして,前方にスペースが空くと,運転手が手で押して動かすそうである.アイドルストップ機構そのものは既に実用化されているが(バッテリー容量などに余裕のあるバスでは日本でもすでに導入されている.アイドルストップバスと大きく掲げてあるし,止まっている間はエンジン音がしないので,お気づきになった方も多いのではないだろうか),日本のタクシーの場合には,夏場のクーラーの問題(バッテリー容量の関係からエンジンを止めると,クーラーも止まってしまう)などから実用化が遅れていたのである.

 金閣自動車商会がアイドルストップ車を導入したのは,「タクシー会社というものは大気を汚しながら,環境に負担をかけながら行う事業だという認識がありました.ですから,環境負荷を少しでも減らせる方策がないものか,と以前から考えていたんです.」

 「アイドルストップは5万円高のオプションです.しかし,私としては5万円なら自動車を使う事業者が支払う税金程度だと考えています.」(「闘うタクシー会社」『NAVI200210月号)

 その他の自動車を使用している企業でも,様々な取組みはなされている.アイドルストップ以外の方法として,いわゆる宅配便業者は,町中を走る集配車に圧縮天然ガス(CNG)車や液化石油ガス(LPG)車を導入している.従来の集配車は黒煙(PM,発癌性が疑われている)の排出が問題となるディーゼルエンジンが主流であった.ディーゼルエンジンは公害を撒き散らしているとして目の敵にされているので,各社とも依然少数ではあるものの,導入に踏み切ったようである.

 しかし,問題はコストとインフラ整備である.CNGLNGスタンドはガソリンスタンドに比べれば圧倒的に少ない.また,CNG車やLNG車は従前使用していた車に比べれば割高である.顧客は環境対策には理解は示すものの,値上げには理解を示さないと思われている.従って,国や地方自治体の積極的取組みが無ければ積極的には導入できない,というのが業界の意見のようである.

 残念ながら,金閣自動車商会においても顧客へのアピールは今一つであるらしいが,思わぬ副産物も生んでいるようである.

 「うちは小さな会社なんですが,それでも乗務員のモラルが向上したというか,プライドを持って仕事をしてくれるようになったと感じています.コスト意識,環境意識に敏感になってくれたというか.」(「闘うタクシー会社」『NAVI』同前)

 法律違反などで訴えられるリスクは,環境問題にとどまらない.昨今コンプライアンス違反から企業が実際に破綻する例が相次いでいる.コンプライアンス違反といった企業統制に係る問題で破綻されたのでは,投資家はたまったものではない.企業業績は曲がりなりにも公開されているが,企業のコンプライアンス態勢がどうなっているかなどは,積極的にPRしている少数の例外を除いては,外部からは窺い知ることは困難であるからである.

 企業が企業広報(いわゆるIR)の一環としてこのような企業活動を捉え,積極的に行動していくことは勿論であるが,消費者の側もそれに応えなくてはいけないだろう.

 消費者が環境への配慮といった目に見えないコストを負担してくれるかどうかは企業にとって不透明であり,不透明であるからこそ思い切った投資に踏み切れない,という段階にあるのかもしれない.しかし,日本でもエコファンドの売れ行きは良好であるという.また,その特徴としてあげられているのが,今まで投資信託に投資してこなかった顧客を取り込んでいることであるという.その他にも,郵便局の取扱った国際ボランティア貯金が大成功であったことも記憶に新しい.

 確かに,環境に対する関心はまだまだ高くないのかもしれないし,環境に対する認識が正しいのかどうかも議論・疑問の余地が多々ある.しかし,企業にとって,社会的な責任を果していくことは,21世紀には必要になるのではないだろうか.

 

3.5消費者に求められる姿勢

 意地悪な見方をすれば,エコファンドのような商品は消費者が実際に何もしなくても環境に貢献したり,国際ボランティアに参加したような「気」にさせてくれるところが受けているのだということもいえるだろう.しかし,潜在的には消費者もそのような行動をとりたいと願っているのであり,目の前に環境を重視した(嘘か本当かは別にしてそのように謳っている,あるいはそんな感じのする)商品と,そんなことには全くかまっていない(あるいはそのようなことを宣伝していない)商品が目の前に提示されれば,環境を重視した商品が選ばれる可能性は高いのである.

 環境庁による日米英3カ国のSRIに関する比較調査においても,社会的責任投資ファンド購入を購入した,あるいは関心があるとの回答は日米英でそれぞれ76.9%,69.0%,66.9%に上っている(ただし,そのうち実際に購入したのは1.2%,12.0%,6.1%にとどまっている).また,企業の社会的責任に対する関心の程度についても,それぞれ84.8%,80.3%,67.3%がとても関心がある,もしくはある程度関心があると返答している.(環境庁(2003))

 確かに,環境に優しいと謳っている商品が本当に環境に優しいかどうかは疑問の余地もある(環境にやさしい車であろうが何であろうが,そんなものを使わないことが一番環境に優しいんだ,という環境保護に熱心に取り組んでいる人のため息が聞こえそうである).しかし,消費者の選択が企業側の環境に対する取組みを促してきたことは間違いないであろう.

 また,企業にそのような行動を採らせる為にも,消費者は環境問題やコンプライアンスに対して無関心ではいけないのである.単純に自分を守るためではなく,その行動を通じて企業の姿勢を正していく為に必要なのである.

 現代の社会はネットワーク社会になっている.ネットワーク社会とは,そこに参加する個人や企業の関係が決して一方的なものではなく,双方向に働く社会である.消費者が受け身でいたら(企業にとってもらいたい行動について何も言わなければ),社会全体の質の向上が図れないのである.

 

4.共創社会の均衡化

 ゲーム理論でいうところのWIN-WINの状態が好ましいものであることは多くの方の同意を得られることであろう.そしてその均衡を保つために重要なのが,このネットワーク社会の参加者である消費者の行動なのである.企業に対してはコンプライアンスだCSRだと要求しながら,ネットワーク社会のもう一方の参加者である消費者が何もしなくてはいいということにはならないのである.

 たとえ自由主義の社会であっても,社会には規範が必要とされている.完全競争を旨とする市場であっても,その競争を維持する仕組みがなければ,公正な競争は期待できない.掟のないジャングルになってしまう.企業がその社会的責任を自覚し,それ見合った行動をとることはもちろんである.従来であれば,そのような規範は政府が提供し,強制力をもって遵守させてきた.しかし,ネットワーク化した社会において,政府の強制力は相対的に弱まりつつある.それだけではなく,現在は規制緩和がトレンドであり,従来のような護送船団方式は影をひそめつつある.大株主でもない個々人の企業に対する影響力は大変小さい.しかし,小さいからといって何もしなくていいということにはならない.消費者もネットワーク社会の重要な構成員なのである.

 SRIなどはどちらかというと消費者運動の観点から捉えられることが多かったように思われる.しかし,ネットワーク社会の参加者である消費者がSRIなどに投資することは,共創社会を安定化させるのである.営利企業が営利のみを求める社会では,残念ながら社会的正義が実現できるとは思えない.従来であれば,企業の社会的責任を追及するのは政府の仕事であった.しかし,現代社会の政治的潮流は大きな政府より小さな政府を希求しているようである.そうであるとすれば,従来のような役割をそのまま政府に期待することはできない.

 SRIなどの行動が絶対に企業行動を正すことができるかどうかは分からない.しかし,分からないからなにもしなくて良いのではない.われわれもできることはやらなくてはいけない.そしてそれが社会の危うい均衡を保つのに役立つのである.

 

5.まとめ

 現代社会は,お互いが影響力を持ち合う社会になっている.決して以前のような力関係が一方的に決まっている社会ではない.社会は共創化しているのである.誰かひとりが恩恵を与える立場にあるのではない.社会はギブとテークで成り立っているのである.企業と消費者がお互いにフィードバックしながら経済活動を展開することが必要なのである.今までのように,企業はギブするだけ,消費者はテークするだけ,では社会は立ち行かなくなっている.

 企業と消費者が協力し合う共創社会は,お互いがお互いの行動をチェックし,また,お互いに自分自身が責任ある行動をとること,そして自らはそれらを発信していくことが鼎立して初めて成り立つのである.そのような双務的な関係があって初めて共創社会は安定した均衡を保つことができるようになるのである.

 このように考えて行くと,現代社会における消費者には,新しい使命が課せられているといってよいであろう.


<参考文献>

 

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金融審議会(1999)「中間整理(第一次)http://www.mof.go.jp/singikai/kinyusin/tosin/kin005.pdf (2000/08/29)

金融審議会(1999)「中間整理(第二次)http://www.mof.go.jp/singikai/kinyusin/tosin/kin010d.htm (2000/08/29)

経済企画庁(2000) 「消費者契約法の解説」」http://www.epa.gp.jp/2000/c/0605c-abridment.pdf (2000/09/20)

経済企画庁(2000) 「逐条解説 消費者契約法」http://www.epa.gp.jp/2000/c/shouji/keiyakuhou0.pdf (2000/09/20)

経済企画庁(2000) 「消費者契約法【事例集】」http://www.epa.gp.jp/2000/c/shouhi/keiyakuhouex.pdf (2000/09/20)

武藤 滋夫(2001)ゲーム理論入門』日本経済新聞社

小倉 昌男(1999)経営学』日経BP出版センター

大國 亨(2003)共創社会におけるコンプライアンス―今なぜコンプライアンスが必要とされるのか―』日本文芸社

Poundstone, W. (1995), PRISONER’S DILLEMMA, Doubleday, (松浦 俊輔訳(1995)囚人のジレンマ』青土社)

Smith, Adam (1759), THE THEORY OF MORAL SENTIMENT, (水田洋訳(2003)道徳感情論』岩波文庫)

鈴木 一功監修 グロービス・マネジメント・インスティテュート編(1999)MBA ゲーム理論』ダイヤモンド社

「闘うタクシー会社」『NAVI200210月号二玄社

谷本 寛治(2003)SRI 社会的責任投資入門―市場が企業に迫る新たな規律』日本経済新聞社

山岸 俊男(1998)信頼の構造―――こころと社会の進化ゲー』東京大学出版会

 


表1

 

相手の選択

A

B

自分の選択

A

自分10/相手10

自分-30/相手30

B

自分30/相手-30

自分-10/相手-10

 

2

 

雪印の選択

品質良

品質悪

消費者の選択

買う

消費者+1/雪印+1

 

消費者-2/雪印+2

買わない

消費者+2/雪印-2

消費者-1/雪印-1

 

1 最初の16試行

2 17試行目から32試行目

(1,図2の出展は山岸 俊男『信頼の構造』pp162168.グラフに関しては1試行目から16試行目までのものが引用文献中に掲載されている.ただし,図1は著作からスキャンしたものではなく,Excelで再構成した.図2は本文中の数値をもとに再構成した.)