ヒューマン・リソース(HRE704)4クレジット

コンプライアンスとリーダーシップ

Rushmore University

Global Distance Learning DBA

大國 亨

 

このコースワークを提出するにあたって、ここに記述されている文章/アイデアは、引用の表記がない限り、私の作品であります。また、私がこのコースの研究を手がけるまでは、このコースワークは存在しなかったことを確認します。

 

コンプライアンスを確立するために最も重要な用件は、組織と人である。コンプライアンスを実現させるため、リーダーシップが欠かせないことは言うまでもない。

そこで、現在話題になっているカルロス・ゴーンとジャック・ウェルチの著作を通じてどのようなリーダーシップが求められていたのか、どのように実践してきたのかを探る。

しかし、社会の構造そのものが変化している現在、今までのリーダーシップがそのまま通用するのであろうか。

今後実現していくと思われるネットワーク社会において、コンプライアンスの実現に役立つと思われる理念として、Win-Win理論を取上げる。

そして、Win-Win理論の帰結として新しいリーダーシップに求められる条件を結論づける。

 

 

目次

1.はじめに

2.リーダーとは何か

2.1組織の分化とリーダーの分化

2.2産業革命と組織

3.現実の経営者に見るリーダーシップ

3.1ルネッサンス

3.2ジャック・ウェルチ わが経営

3.3ふたりに見るリーダーシップ

4.社会の変革とリーダーの変革

4.1人口ピラミッドと組織

4.2社会の変化と組織の変化

4.3ネットワーク組織

4.4ゲームの理論

4.4.1囚人のジレンマ

4.4.2継続的囚人のジレンマ

4.4.3あるビジネス・ゲーム

4.5 Win-Win理論

5.金融業界におけるコンプライアンス

5.1コンプライアンスと取締役の役割

5.2コンプライアンスとWin-Win理論

6.競争型リーダーシップから共創型リーダーシップへ

6.1共創型リーダーシップとは何か

6.2カルロス・ゴーンとクロス・ファンクショナル・チーム

6.3ジャック・ウェルチと境界のない組織

7.結論

 

資料1

「日本生命保険相互会社に対する行政処分について」

資料2

雪印乳業集団食中毒事件

資料3

三菱自動車リコール隠し事件

 

参考文献

 

 

1.はじめに

2001年日本プロ野球パシフィック・リーグは過去2年間リーグ最下位の近鉄バッファローズの優勝で幕を閉じた。この優勝に関して、野球評論家の豊田泰光氏が、このようなコメントを寄せていた。

同球団は2000年暮れ、てこ入れに元ドジャーズ監督のトミー・ラソーダ氏をアドバイザーとして招いた。どうせ大したことあるまいと思われていたが、結果は優勝であった。同氏が「近鉄ナインにもたらしたものは「明日にもわが仕事が奪われるかもしれない」という危機感だった」。同氏は何人かの選手を米国から導入したが、それが「捕手以外どのポジションでも選手が送り込まれてくる可能性がある、」と思わせる結果となった。「ラソーダ氏はユニホームこそ着なかったが、梨田監督にすれば、総監督を上にいただいたようなもので、うかうかしていられない。ぴりっとしたのは選手ばかりではなかったはずだ」(9月27日付け日本経済新聞)。

もし、そうであるとすれば、近鉄バッファローズは常勤ではないたったひとりの指導者を加入させただけで(追加加入の選手がいたことは事実であるが)組織の活性化を図れたことになる。なぜ、近鉄バッファローズは今までと殆ど同じ戦力で戦いながら優勝できたのであろうか。逆にいえば、なぜ近鉄バッファローズは今年優勝したのと同じ勢力を持ちながら今まで低迷していたのであろうか。

現在、ビジネスの現場においては、社会的、歴史的要請により、企業組織が大きく変貌しようとしている。本稿の目的は、変貌しつつある組織におけるリーダーの役割と、組織をリードしていく原理を明らかにするものである。

 

2.リーダーとは何か

日本企業の体質改善・変革が叫ばれる中、リーダーシップ研修なども多岐にわたって行われている。ところで、ここでいうリーダーには、従来の意味合いにおいての文字どおりのリーダーはもちろんのこと、組織の中の小さな組織におけるリーダー、いわゆる中間管理層も対象として含まれている。

リーダーとは役割であって、マネジャーなどのいわゆる職務、職階とは異なる。これらのリーダーに求められる資質はいわゆる組織の長としてのリーダーと求められることと、立場が異なるだけで同じような資質が求められているのである。本論文では、リーダーをいわゆるマネジャーとは区分して、何らかの組織においてリーダーシップを発揮している、あるいは発揮することを期待されている人間をリーダーと位置付けることにする。従って、組織内の職位であるマネジャー、日本的な職階である部長、課長などとは異なった意味合いで用いるものとする。

 

2.1組織の分化とリーダーの分化

歴史的に見て、原始狩猟・採集社会においては、リーダーとは、文字どおりのリーダー(リードする人、率先して何かをやる人)であったことであろう。現在の通説では、原始狩猟・採集社会においては身分の分化が図られていないなかったようであるから、リーダーといえどもひとつの身分ではなく、世襲制が取られることもなく、個人が己の力量によってリーダーの地位を勝ち取るものだったと思われる。

この時代のリーダーの特徴は、組織の分化が図られていない、つまり機能的分化が図られていないことである。基本的には、リーダーもその他の人間もやることは同じなのである。

ところが、この体制が農耕社会の始まりとともに大きく変貌していくことになる。農耕の始まりとともに定住が始まり、社会にも階層、身分が発生することになる。この頃祭祀階級なども発生したといわれている。

今から数千年前にさかのぼるこの時代において、組織の分化とともに機能も分化も始まったであろうことは想像に難くない。この頃建設されたといわれているピラミッドなども、現在の技術(石を切り出したり、運んだりするといったハード面の技術だけではなく、機械を使わない分大人数が必要とされた労働者の管理、それらの労働者の適正配分、動員計画、あるいは巨額の資金調達などのソフト面を含む)をもってしても、非常に困難であるという。そうであるとすれば、相当高度な管理技術が用いられていたのであろう。

地球四大文明などともいわれるこれらの文明が花開いた時期には、現在から見ても規模の大きい事業が執行されたことが知られている。このような時代の要請から、古代社会においては、現在でもリーダーとして通用する、あるいはリーダーとして引用される機会の多い、秦の始皇帝、シーザー、アレクサンダー大王などの巨人を生み出した。彼らがいかに巨人であったとはいえ、彼らの生み出した帝国はひとりの人間が支配する範囲をはるかに超えていた。その統治には、様々な工夫、組織が係っていたものと思われる。そのような意味からも、彼らは近代的な意味においてもリーダーあったといえるであろう。

ただし、この時代の帝国の多くは、その後の歴史の展開の中で衰え、残念ながら、時代の記録・痕跡・記憶をその後の歴史の中にはっきりと残すことなく歴史に飲み込まれていってしまった。

その後、暗黒の中世が洋の東西を被い尽すことになる。中世も、実は現在伝えられるほど真っ暗な時代ではなかったようではあるが、古代において栄えたような巨大国家が存在していなかったことだけは確かである。

その後、様々な紆余曲折を経て近代に到るわけであるが、社会組織のあり方に決定的な変化をもたらしたのが、産業革命である。

「産業革命は、18世紀の後半にイギリスで始まり、19世紀のうちに西ヨーロッパやアメリカや日本に広がった現象を指す。具体的には、蒸気機関を利用する大型機械を組織的に利用する工場制工業生産が普及し、主要な資本蓄積と経済成長の源泉になった事件である。」

「産業革命以前の生産形態は、生産手段を持った人々が家族を単位として労働をしていた。農民は土地に対する耕作権を持っていた。そしてほとんどの場合、労働の単位は家族であり、主婦も老人も子供も、仕事を分担していた。」

「ところが、産業革命期に出現した蒸気動力によって動く大型機械は、それぞれの家族が持つには高価過ぎたし、家族単位の労働で運用するには大き過ぎ複雑過ぎた。これを運転し運用するには、多数の専門知識を持つ人材が必要である。」(堺屋 太一組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのかpp239−240

産業革命によって、労働者は生産手段を持たなくなり、労働力を提供するだけの存在になってしまったとマルクスはみなした。つまり、奴隷化である。労働者は一方的に収奪される存在になってしまう。従って、彼は生産手段は国有化、社会化されなくてはならないというのが彼の結論であった。

しかし、社会はマルクスの思った通りには発展しなかった。というのは、巨大な生産手段は、それを運営・運転するのに様々な職種の人間を必要としたからである。当初は、機械の運営を行う技術者がいれば事足りたであろう人材も、機構の複雑化に伴って、ファイナンス部門、労務管理部門など、生産とは直接関係ない部門をも必要とするようになったのである。そのような部門の従事者がいわゆるホワイトカラーを生み出していった。同時に、それらの人々がいわゆる中産階級を形作ることになった。社会は単純に二極化することもなく、革命も起きなかった。

ただし、本論文においては、革命について歴史的、社会科学的分析を行うことを目的とするものではないので、これ以上の分析は行わないことにする。

 

2.2産業革命と組織

産業革命の後に盛んに採用された組織形態は、いわゆるピラミッド型組織を持っていることが特徴である。ただし、人類史上において、この形態の組織は、産業革命後に成立したものではない。古来、軍事組織は大体においてこのような形態を採っていたからである。ローマ軍も、歩兵隊は(歩兵以外の軍隊はほとんど存在していないのであるから、機能的分化がなされているとは言えないであろうが)大隊、中隊、百人隊という構造を持っていた。百人隊長まではローマ市民に限らず誰でもなれたが、それ以上は市民権を持たなくてはなれなかったから、その意味では身分による差別が残っていた。

軍隊においては、歩兵と騎兵、海兵など、様々な職種が存在するし、号令のもと一丸となって突撃してもらわなくてはならないわけであるから、その後の時代においても多かれ少なかれピラミッド組織を採っていることが多い。

しかし、一般市民の参加する組織が大きなピラミッド構造を持つようになったのは、産業革命以後といっても良いであろう。一般の会社、企業経営に広く使われた結果、ピラミッド型組織は広く社会に根を下ろしていくことになった。

 

3.現実の経営者に見るリーダーシップ

それでは、現在の代表的ピラミッド型組織である大企業において、リーダーはどのようなリーダーシップを実践しているのであろうか。経営者として、大変な成功を収め、かつ日本人にも馴染みのあるカルロス・ゴーンとジャック・ウェルチをケーススタディーとして取上げてみる。

 

3.1ルネッサンス

1999年に日産のCOOとして着任したカルロス・ゴーンは同年10月には日産リバイバルプラン(NRP)を発表、次のようなコミットメントを発表した。「私は次の三つを最大の必達目標として掲げ、いずれかひとつでも達成できなかった場合は責任を取って日産を去る決意をした。@2000年度に黒字化を達成すること、A2002年度に営業利益率を最低4.5パーセントに増やすこと、B2002年度に有利子負債を7000億円以下に削減すること、の三つである」(カルロス・ゴーン『ルネッサンス 再生への挑戦』pp262−263)。

このコミットメントは、日本人の度肝を抜いた。これは、一般人のみならず、日産社内の人間も同様だったようである。今までの経営トップは決してこのような約束をしたり、ましてそれを発表したりするなどということは考えられなかった。敢えてそのリスクを犯したということは、ゴーンがいかに本気で改革を実行していくか、その責任を負うかということを如実に示しているのである。

コストカッターなどというありがたくないニックネームを頂戴していたゴーンであるが、日産社内の人身掌握にはさほど時間はかからなかったようである。社内の人間は、改革の痛みを最初に感じなくてはいけないと同時に、最も改革の必要性を認識している人達なのである。

ゴーンの著書の中に、デトロイト・フリープレス(1999年11月15日付)に掲載された、閉鎖された村山工場周辺の零細下請業者のインタビューが引用されている。「日産が再建に成功しなければ、私たちも生き残れません。今回の新しい計画(NRP)に勝る計画はありません。これまで日産がやってきたのは、先延ばしと弱体化につながる対策だけでした。私は日産に対して強い尊敬の念と忠誠心を持っています。私はベストを尽してゴーンさんに協力し、支援していこうと思っています。日産にはぜひ立ち直ってほしい。そのためなら喜んで犠牲を払うつもりです。」(カルロス・ゴーン 『ルネッサンス 再生への挑戦』 p189)

自分の著書に引用しているわけであるから、当然好意的なコメントを選んでいるのではあろうが、実際に着任後間もない時期に日産の社員から話を聞いたときも、意外とネガティブな意見は聞かれなかったことを思い出す。

人身掌握が巧みであったということと、もうひとつ、ゴーンがいつも強調しているように、たとえ一従業員といえども心の底から会社を憂いているのである。たとえその変革が厳しいものであっても、もう後戻りはできないことを一番良く認識しているのである。

 

3.2ジャック・ウェルチ わが経営

ジャック・ウェルチは、20世紀でもっとも偉大な経営者といわれている。1981年に46歳の若さでGEの会長兼CEOとなり、以来足掛け21年間その職にとどまり、強烈なリーダーシップの基GEの変革に取り組んできた。ナンバーワン・ナンバーツー戦略、シックスシグマ、サービス重視、境界のない組織などの新しいコンセプトを次々とGEにもたらし、典型的な巨大企業であったGEをスリムで行動力・実行力に富んだ収益性の高い企業へと変えていった。

瀕死の日産に乗り込んでいったゴーンとは異なり、ウェルチが会長となったGEの業績は好調であった。「1年に250億ドルの売上高と15億ドルの利益を記録し、40万4000人の従業員を抱えている。財務内容はトリプルAで、そのサービスはトースターから発電所にいたるまで、GNP(国民総生産)にかかわるほとんどすべてのものに及ぶ」(ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』上p148)というものであった。フォーチュン500社中利益率では第9位、売上高でも第10位であった。GEの誰もが現状に満足していた。ジャック・ウェルチを除いては。

このようなGEの現状に対して、ウェルチは危機感を嗅ぎ取った。組織は硬直化、官僚化していた。これでは、その後に予想される石油価格の上昇、日本企業の台頭などに立ち向かえないとして組織のスリム化を断行、1980年末には41万1000人だった従業員数は、1985年末には29万9000人に削減された。また、ナンバーワン・ナンバーツー戦略により、それ以下の事業については、売却されるか撤退するかの選択が迫られた。

その結果、以前はさまざまな家庭用電気製品にGEの名が見られたものであるが、現在家庭で目にできる主要商品は電球と冷蔵庫だけであろう。

 

3.3ふたりに見るリーダーシップ

ゴーンもウェルチも、きわめて強力な個性をもった指導者である。ふたりの著作を読んでまず気付いたことは、二人とも極め付きの負けず嫌いであり、勝負にこだわることである

ゴーンは、ウェルチとは異なり、ご幼少のみぎりにはあまりからだが丈夫ではなかったらしく、あまりスポーツに親しんだといった話題は出てこない。その代わり、カードゲームには真剣に取り組んでいたようで、コントラクト・ブリッジにまつわる逸話が出てくる。ある日友人とペアを組んでブリッジ・トーナメントに出場したが、惨敗した。「真剣なプレーヤーというものは、負けたとき、「今日はついてなかった。今度は勝てるさ」と軽く流すことができず、どの一手、どのサイン、どのカードが悪かったのか、逐一振り返って敗因を突き止めようとする」。「どちらかが、「分かったよ、僕のミスだったかもしれない」などと譲る気配はいっこうになかった」。その結果、あとにゴーン婦人となる女性に初めて出会ったにもかかわらず、全然覚えていなかったそうである(カルロス・ゴーン『ルネッサンス』p50)。

ウェルチの場合も同様である。彼は多くのスポーツに親しんだようである。そして、その彼を励まし、影響を与えたのが母親であったという。「母は私の人生にもっとも強い影響を与えた人だった。グレース・ウェルチは私に勝つ喜びを教え、敗北に挫けてはいけないことを教えながら、戦うことの意味を教えてくれた(ジャック・ウェルチ 『ジャック・ウェルチ わが経営』 上p18)。「私が競争の楽しさを知ったのは、母とジン・ラミイというトランプゲームをして遊んだキッチンテーブルの上だった。」「学校に戻って授業を受けているあいだも、母を負かすことばかり考えていた。」「野球のグラウンドで、ホッケーリンクで、ゴルフコースで、そしてビジネスの場での私の負けず嫌いは、このときから始まったようだ」(ジャック・ウェルチ 『ジャック・ウェルチ わが経営』 上p20)。

ふたりとも負けず嫌いであると同時に、分析的な思考を行うことも共通している。何かが悪くて負けたのであれば、その何かを徹底的に追求する。そして、追求して得られた敗因をつぶすことに全力を傾けるのである。

多くの人は、負けても運が悪かったとあきらめてしまう。あきらめてしまうので、失敗の原因を追求しようとはしない。失敗が次に生かされないので、また同じ失敗を繰り返すことになる。

また、失敗を振り返る少数の人でも、多くの場合は敗因を分析して結論が得られたことで満足してしまう。知的好奇心を満足させるだけで、実際に痛みが伴う改革にまで乗り出さない。あるいは、改革に乗り出す形は作るが、言い訳を考え出して実行しない。結局、失敗を繰り返すことになる。

「実行こそすべて―――これが私の持論である」(カルロス・ゴーン 『ルネッサンス 再生への挑戦p114)。これもふたりに共通の特質である。

いずれにしても、勝ち負けに拘るのは、2人のリーダシップに共通のポイントである。

また、ふたりのリーダーシップ・スタイルには共通した矛盾点がある。それは、あるときは信用して部下に任せてしまうようなリーダーシップ・スタイルをとるが、別の時には重箱の隅をつつくようなことまで口出しすることである。実は矛盾しているように見えるだけであって、本当に矛盾しているわけではないのであるが、きわめて面白い共通点であると思われる。

ゴーンの場合、日産の現状を知るために、情報を社員からじかに仕入れる方法を取った。「危機的状況にある会社には社長が知らなくてもよいことなど一つもないことを示したかった。社長たる者、顧客満足や価値創造にかかわるすべての事柄について、仕事をスピードアップさせる機会や仕事を妨げる障害のすべてについて知っていなければならない」(カルロス・ゴーン 同前p166)のである。社員はそれこそ尋問を受けるように細かいことまで根掘り葉掘り聞かれたことであろう。

このように、細かい事柄にこだわるように見えながら、大きな権限委譲を行う。「ビジネスプランの作成と重要目標の設定が終わったら、社長はそれを副社長と常務らに委ね、それ以降は彼らが責任をもってプランを実現させる。」「私は一貫してミクロ・マネジメントを拒否している。なぜなら、社員の能力を引き下げ、業績をしぼませるからだ。とくに仕事のスピードを遅らせることになる」(カルロス・ゴーン 『ルネッサンス 再生への挑戦』 p223)。一旦方針を決めて指示を出したら、過剰な加入はしないのである。

ジャック・ウェルチも同様である。「会長でいることにはさまざまないい面がある。私の好きな役得のひとつが、ある事柄を選び出し、それに「徹底介入」するということだ。つまりこれは自分ならではという力が発揮できる―――しかも楽しめそうな―――課題を見つけ出し、そしてその課題に全力を傾注して答えを出そうとすることだ」(ジャック・ウェルチ 『ジャック・ウェルチ わが経営』上p317)。社内の最高権力者がじきじきにお出ましになるのである。知りもしないのにうるさいと思っても、断ることはできない。

その一方で、会長でいるあいだのうち18年間、ウェルチは支出承認のサインをしたことがなかったという。「各事業部門のリーダーには、取締役会が私に与えたのと同じ権限があったからだ。毎年年明けにそれぞれの事業が必要な予算を要求し、われわれ経営陣が資金を振り分ける。5000万ドルから数億ドルまでの幅があった。各事業がそれぞれの予算に全責任を持ち、その支出権限をどの程度まで下に与えるかを判断する。その仕事にいちばん近い人たちが、その仕事のことをいちばんよく知っている。私はその人たちの責任を重くした。自分のサインの上に余計なサインが積み重なることがないと意識すれば、おのずから要求額についてはるかに真剣に考えるようになるものだ」(ジャック・ウェルチ 『ジャック・ウェルチ わが経営』上pp156-157)。

リーダーシップというと、人を率いていく側面ばかりが重視されがちである。しかし、リーダーがある組織を率いていく以上、組織の構成員を無視するわけにはいかない。口を出したいのは山々であったとしても、引くべきときは引かなくてはいけないのである。

 

4.社会の変化とリーダーの変化

最近発表された2000年度の国勢調査において、初めて老年人口が年少人口を上回ったという。諸外国に比して、日本の老齢化のスピードは世界一であるという。しかし、諸外国においても、出生率の低下、医療技術の進歩による死亡率の低下を勘案すれば、日本同様の高齢化社会を早晩迎えることは明らかである。

社会の組成がピラミッド型からI字型へと変化を遂げているのである。その中で、ある一定の企業・組織だけがピラミッド型の組織を維持していくことは不可能であると思われる。そこで現れてくるのがネットワーク社会である。ネットワーク社会とはどのような特質をもっているのであろうか。そしてネットワーク社会を支える指導原理として、WinWin理論を取り上げる。

 

4.1人口ピラミッドと組織

最近発表された2000年に実施された国勢調査の結果では、1920年の同調査開始以来始めて老年人口が年少人口を上回ったという。その内容は、65歳以上の老年人口が17.3%、これに対して15歳未満の年少人口は14.6%(1995年の調査ではそれぞれ14.5%、15.9%)であった。(毎日新聞10月31日http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20011031-00001021-mai-pol (10/31/2001))

1−1を見れば分る通り、従来の人口分布は人口ピラミッドという言葉がそのまま表すとおりの、ピラミッド状の分布を示していた。「人類は歴史のほとんどの期間、15歳未満の子供4人に対して65歳以上の高齢者1人の割合で生きて来たという。この比率は、1950年代までは日本でもほぼ保たれていた」(堺屋 太一組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのかpp260−261)そうである。これが大きく崩れ、遂に老年人口と年少人口の逆転が起こってしまったのである。

1−1から1−4 人口ピラミッドの推移

ただし、本論文では、人口ピラミッドそのものを問題としているのではない。問題は、前述した産業革命で現出した組織と、人口ピラミッドの形態の類似である。

産業革命の結果として採用された企業組織であっても、社会が受入れなくては、長続きしなかったであろう。

もちろん、それ以前にも、家庭内などで、小規模なピラミッド組織は形作られていたことであろう。ところが、産業革命でそのような組織が一気に拡大した。普通、組織が一気に拡大すると色々と軋みが生ずるものであるが、ピラミッド状の企業組織は広く受入れられた。そのわけは、社会全体がピラミッド状の構成を採っていたからである。

社会全体において、上位職位者を占めるであろう高齢者の数が少ないため(はっきり言うと、多くがそれ以前に死亡する)、経験豊富な人材からリーダーを選ぶ場合には選択肢が限られ、問題もなくすんなりと決まるし、社会的にも座りがよい。年少者から見ても、もし自分が生きてさえいれば、リーダーないし上位の職階にほぼ自動的に就けるわけであるから、強力な反発も起こらない。ピラミッド型の組織は、社会的にも受け入れやすい組織形態だったのである。

 

4.2ピラミッド型組織の弊害

ピラミッド型組織の弊害は、現在の官僚組織を観察すればさまざまな欠点を思い浮かべることができる。

まず、組織の階層が幾重にも重なっている。何か案を通そうとすると、現場から始まって決裁権限者までの長いはんこの行列が必要になる。はんこを押してもらうたびに一から説明を繰り返さなくてはならない。従って意思決定が遅れる。

ピラミッド型組織においては、隣のピラミッドとの意思疎通はない。なぜならば、情報はピラミッド構造の中を上下するだけで、ピラミッド外部と意思疎通を図る機能はないからである。また、例えピラミッド内部にいたとしても、異なったライン間で情報が共有されることはない。ピラミッド組織に横の連携はないのである。

また、昨今問題になっている天下り人事なども、ピラミッド構造を無理に維持しようとすることから生まれてきたと言えるのではないだろうか。

官僚組織においては、ある年次で一定の人数を採用した場合、その後、あるポジションに出世するたびに人数が絞られていき、最終的に同期の中から事務次官が誕生するまでにはその他の人間は退庁することになる、といわれている。

人生50年といわれ、なおかつ人口構成がピラミッド型をしているのであれば、上記のシステムもうまく働いたのであろう。ところが、平成12年度の平均余命は女性84.62歳、男性でも77.64歳に達するのである(厚生省発表)。50歳を越えたぐらいで一人だけを事務次官にし、それ以外の人間には退職してもらうというシステムを維持するには、それ以外の人間に対する受け皿を整備しておかなくてはならない。それどころか、事務次官になった本人の退職後の受け皿も(それも30年近い期間にわたって)用意しなくてはならない。なんとも負担の大きいシステムである。

カルロス・ゴーンも同じような経験をしている。ゴーンはミシュランに就職後、順調に出世していき、35歳でミシュラングループ内において欧州以外では最大の規模をもつミシュラン北米のCEOに就任した。ところが、ミシュラン本社で、社主であったフランソワ・ミシュランが引退し、その息子のエドワール・ミシュランがその座を受け継ぐことになった。エドワール・ミシュランは帝王学の実習としてミシュラン北米で仕事につくなど、ゴーンとは良好な関係を保っていたはずである(エドワール・ミシュランはゴーンより若い)。ゴーンは実力でその地位を獲得したのである。ミシュラン本社の最高経営委員会の一員にも選ばれている。誰に遠慮する必要があるのだろうか?

しかしゴーンは退社することを選択した。「トップの椅子を受け継ぐ息子には、いずれ過去をばっさりと断ち切らなくてはならない日が訪れるだろう。そして、自らの足跡を刻むために、自分の息のかかったチームや組織を求めるに違いない。40年にわたって会社を運営し、社内で慕われてきた人物の後釜に座るとしたら、なおさらその傾向は強いはずだ。父親が去ったあとも、私がいたのでは、父親の影につきまとわれることになるだろう」(カルロス・ゴーン 『ルネッサンス 再生への挑戦』p102)。

ジャック・ウェルチの場合も同様である。彼がGE本社に出社し、次期会長候補の一人となったときには、次期会長候補は7人いたそうである。それが、段階を経るたびに人数が絞られ、最終的には3人の中から選ばれた。選ばれなかった人間たちは、退社する場合も多かったようである。

ウェルチ自身が後継者を選んだときはもっと直接的であった。最終的に3人の次期会長候補者が決定した後、3人に対しては、そのうちの誰かが次期会長に指名されるまでのあいだに、自分自身の後継者に引継ぎをすることが要求された。3人のうちひとりは次期会長になれるが、それ以外のふたりは辞任を勧告されたことになる。

人事評価が厳しく、スピンアウトしても即戦力になる人材を輩出することで有名なGEである。次期会長候補になるような人間が無能なはずがない。人材の無駄使いではないかという問いかけはGE内部でも行われたようである。これに対してウェルチは、「私もそう考えた。それがどんな結果になるかわかっている。GEの会長になった人間は誰であろうと、自信にあふれ情熱にあふれていなければならない。私はその本人に大いに自身を持っていてもらいたい。誰かが自分の地位を脅かすのではないかというような心配をさせたくない」(ジャック・ウェルチ 同前下p323)と答えている。幼少のころから競争だけに生きてきた人間ジャック・ウェルチらしい言葉ではある。

ピラミッド型の組織では、組織の上部に位置する人数は限られる。そしてトップは常に一人である。そのほうが組織としては効率的なのであろうが、社会的にはあまりにも損失が大きいのではないだろうか。特に、社会の組成が変化している今、社会の一部で強引にピラミッド組織を維持することは、その組織外部に逆ピラミッドのなんとも座りの悪い余剰部分が発生することになる。

I字型社会にふさわしい組織とはどのようなものであろうか。

 

4.3ネットワーク組織

ピラミッド型組織が形成される理由の一つに、社会の人口構成が存在することは前述したとおりである。

その他の要因として、簡単に触れた通り、従来の情報の流れもピラミッド型組織を形作る重要な要因となっていたのである。ウェルチも認めているように、その仕事にいちばん近い人たちが、その仕事のことをいちばんよく知っているのである。そのかわり、上位者は複数の情報経路を持ち、広く組織全体を俯瞰することができる。

上位者は例え専門情報の量と質においては下位者に劣ることがあっても、情報の多様性においては下位者より優れた立場に立っている。上位者のほうが情報を総合的に判断できる立場にあるのである。また、そうでなければ指導力を発揮できない。

2ピラミッド型組織の情報

ところで、情報化社会の現在、情報の流れは従来と同じなのであろうか。図2のようなシステムは、従来会社内部で行われていた稟議システムなどとは実によく適合している。下位者から稟議が上がってゆき、上位者は自らの広い情報を基に意見を付け加えてゆき、最終的に決裁権限者がすべての情報を加味して判断を下すのである。

ところが、現在では一般の会社でもメールシステムが広く使われるようになってきた。現在のメールシステムを使っている人間であれば容易に理解できるように、メールの送信システムは上記のようにピラミッドを下から上へ登ってゆくに従い人数が減っていくような送信を必ずしももたらさない。むしろ、ひとりの発信者から複数の人間に発信され、さらに受信者が受取人を付け加えて発信するような、拡散型の送信をもたらす。

このような送信方法のもとでは、いわゆる中間管理層はあまり意味をなさなくなる。また、情報が従来の枠組みを超えて他部署や場合によっては社外にまで流れていくことになるので、いわゆる「握っておく」ことができなくなる。なぜならば、誰のところで決裁が滞っているのかがすぐにわかってしまうからである。

実際にこのようなシステムを使ってみると、良い面と同時に悪い面もあることに気付かされるが、いずれにしても、このような情報化が後戻りをすることはないと思われる。

このようなネットワーク社会においては、従来の巨大ピラミッド型構造の組織は機能しなくなる。それに代わって、図3のような、小さな組織が対等の立場で係わり合う組織構造になっていくのであろう。図3においては、5角形の先にくっついている小さな3角形がそれぞれの小さな組織である。一応ピラミッド型組織を表す3角形を用いたが、この組織は情報を共有できる程度の大きさの組織になるのであろう。

また、図3においては省略したが、それぞれの小さな3角形の先には、それぞれまた別のネットワークにつながっているのである。社会全体としては、複雑に折り重なった巨大な織物のようになっているのである。

3において、小さな3角形の組織自体も、あるいは図3全体をひとつの組織と見ても、従来のような概念に基づく企業組織とはいえないであろう。何しろ、それぞれが企業体の内部ばかりか外部とも密接に結びついているからである。

3ネットワーク社会

 

4.4ゲームの理論

ここで、ネットワーク社会において有効であろうと思われる指導原理として、ゲームの理論を取り上げる。ゲームの理論も、多くの科学的研究・発見と同様に戦争において勝利を追及する中から誕生した。しかし近年、その応用が政治、ビジネスの分野で注目されている理論である。

 

4.4.1囚人のジレンマ

ゲームの理論の中で、最もよく知られている例が、囚人のジレンマである。甲乙という2人の囚人が別々にとらわれ、取り調べを受けている。2人は別々に収監されているので、お互いの行動は分らない。

2人が犯したとされる犯罪には確たる証拠がなく、自白が決めてとなる(このような取り調べの是非は本稿では問わない)。

そこで、警察は取引を持ち掛ける。

「おまえ達が2人とも黙秘しても、2人とも1年の刑を科す。そのかわり、おまえだけが相棒を密告すれば、おまえは無罪放免してやる。その代わり、相棒の刑期は5年だ。ただし、2人とも密告したら、2人とも刑期は3年だ。」

お互いの行動と刑期をマトリックスにしたものが下記である。

 

乙が密告しない

乙が密告する

甲が密告しない

1年 乙 1年

5年 乙0

甲が密告する

0 乙 5年

3年 乙 3年

このような場合において、甲乙はどのような行動をとることが予想されるだろうか。

個人として好ましいのは、刑を受けないことであるが、そのためには自分が密告し、相手が密告しないことが必要とされる。自分が密告したことを相手が知れば(刑期が長くなることで必然的に相手は気付く)、あとで復讐されたりするかもしれない。

であるとすれば、お互いに好ましいのは、お互いに秘密を守ることによって、1年の刑期を務めることであろう。お互いの被害が最小限に留められる。それでは、お互いに合理的に行動するとして、左上の欄のような結論に到るのであろうか。実は、容易に想像できる通り、甲乙ともに相手を密告することによって、お互いに3年の刑期を務めることになる右下の欄のような結論に到ってしまうのである。

なぜならば、自分が密告した場合には、刑期は0年もしくは3年であるのに対して、自分が密告しない場合には、刑期は1年もしくは5年になる。乙が密告する場合と密告しない場合の確率がいかなる割合で与えられていたとしても、甲は密告した方が刑期の期待値は短くなってしまう。つまり密告する方が合理的なのである。従って、甲は密告するのである。

逆に、乙の立場にたった場合、まったく同じ推論が乙の側からなされる。従って、乙も密告するのである。

従って、甲乙ともに3年の刑期を務めなくてはならない。お互いに密告し合わなかった場合にはお互いに1年で済むのであるから、その方がどう考えても好ましいように思われるが、甲乙が合理的に行動するとそのような結論は出てこない。お互いが得るところがないにもかかわらず(お互いが得るところがあるのは、お互いが密告しなかった場合)、お互いに密告しあうという結論に結び付いてしまうのである。

個人、あるいは個別の企業として合理的な行動をとっているにもかかわらず、社会全体として見れば、不利益に結び付いてしまうことから、「ジレンマ」と呼ばれているのである。

 

4.4.2継続的囚人のジレンマ

たった一回だけのチャンスしかない「囚人のジレンマ」は、ビジネスの場面で言えば、一見の客が店頭に現れた場合などに当てはまるのであろう。商品を売る側にしてみれば、どのくらい買う気があるのか分らず、継続的に買ってくれるかどうかも分らない一見の客には、愛想良くするだけ労力の無駄に思えてしまい、魅力的な価格提示だってできないであろう。

一方、客の側にしてみれば、店の信用だって分らないし、アフターサービスも分らない。熱心に買い気を見せれば、高い値段を吹っかけられるかもしれない。従ってこわもてで交渉に臨むことになる。

結果売買交渉は不成立に終わる。

それでは永遠に何も起きないことになってしまうが、実際には交渉などで歩み寄りが可能な場合が多いのではないだろうか。

そのような事例をパターン化したのが、継続的囚人のジレンマである。

この場合は、上記のような密告するかしないかでは、一回しかゲームが成立しないので、お互いに赤と黒カードを提示し合うようにする。

お互いのカードの出し方と、得点パターンは下記のようになる。

Aの選択Bの選択

A 2点     B  2点

A −5点   B  5点

A 5点     B  −5点

A −1点   B  −1点

上記囚人のジレンマと同じように、これが1回だけのゲームであれば、お互いに負けまいとすれば、黒を出すことになる。

このようなゲームを無限に繰り返す場合には、「TIT FOR TAT」と呼ばれる戦略(略してTIT戦略とも言う。「Tit for tat」とは、しっぺ返しの意味)がもっとも有効であるといわれている。

TIT FOR TAT戦略

1.      1回目は協調的戦略を取って、相手の出方を見る(つまり赤を出す)

2.      2回目以降は、前回相手が出したのと同じカードを出す。相手が協調的な行動をとればそのまま協調的行動を続けるし、相手がこちらを出し抜こうとして黒を出せば、その次の回にはこちらも黒を出してリベンジするのである。

つまり、最初はお互いの協調を期待している振りをするが、一旦相手が裏切った場合には、猛然と反撃に打って出るのである。そして、相手が反省してもう一度協調的な行動をとった場合には許してやるのである。

なにやら、現在世界で唯一の超大国と呼ばれている国の外交戦略とぴたりと附合しているような気がするが如何であろうか。

実際にこのゲームを研修等で使うと(実際にゲームをする場合には有限回の試行になってしまうが)、お互いに最初から黒を出し合ってしまう場合が多いそうである。

 

4.4.3あるビジネス・ゲーム

ゲームの内容は上記の継続的囚人のジレンマと同じで、ある一定の回数繰り返される。従って、得点配分等は上記と同じである。

ただしゲームのルールは以下の2つである。

l        ゲームの目的は勝つこと。

l        勝つための条件は、最終フレームに累積されたプラスのポイントをできるだけ大きくすること。

というものである。

このゲームは私が実際に体験したものを再構成したものである。

このゲームが、上記の継続的囚人のジレンマゲームと同じであるとすれば、ビジネス研修として取り上げるには余りにも芸がない。そう気がついた私たちは、もう一度ゲームのルールを検討してみた。そこで気がついたのは、目的は勝つことであるといっているが、「相手に」勝つとはいっていないこと、勝つための条件は得点がプラスでなくてはいけないことに気がついた。

お互いにプラスをためるにはどうするか。答えは簡単で、お互いに協調的行動をとれば(赤を出せば)よいのである。

そこでわがチームは赤いカードを提示したのであるが、相手は何と黒いカードを提示してきた。相手はこのゲームを典型的な囚人のジレンマ・ゲームであるとみなしているのである。つまり、「勝つ」とは「相手に勝つ」ことであると無条件に信じてしまったのである。

このとき、わがチームはどのような反応を取ったのであろうか。実は、次回も赤を出し続けた。理由の一つには、TIT戦略を誰一人として知らなかった、ということもあるかもしれない。しかし、相手チームに協調的な戦略を取らなくては、お互いにゲームに負けてしまうというこちらのメッセージを伝えるには、これしか方法がなかったからである。

結果的には、相手方もこちらのメッセージに気付き、お互いに赤いカードを出し合うことで最終的に両チームとも勝利を収めることができたのである。

結果はともかくとして、このゲームが示唆するところは重大ではないだろうか。あるビジネスにおいて、競合他社と協調しなくてはならない場合というのは、大変多いと思われる。

相手が裏切ったからと言って即座にこちらも応酬する、というのでは、対応できない場合もあるのではないだろうか。

先日も、ある生命保険会社が競合他社の信用度を雑誌の記事など用いて不当に中傷・誹謗した、とされる事件があった(資料1参照)。これに対しては、結局金融庁が行政処分を下したのであるが、実際には、少なからぬ生命保険会社が似たような行為をしていたとされる。

つまり、あいつがやっているのだから、やり返してやれ、というわけである。ところで、昨今の生命保険会社の破綻以来、消費者の生命保険会社に対する不信感には、根強いものがある。実際に生命保険契約残高は、1995年をピークとして減り続けている。もちろん、景気全体の影響もあるのであろうが、生命保険会社の現場にいると、生命保険会社への不信感が根強いことを強く感ずる。

4 保有契約及び構成比の推移                            金額 億円

平成11年度保有件数ベースでは、個人保険1億1,587万件、個人年金保険1,403万件、団体保険の名寄せ被保険者数7,824万人に達している。

(出典(財)生命保険文化センター『2000年版生命保険ファクトブック』)

このような状況で、競合他社を誹謗して自社の契約が増えればかまわないというのは、余りにも手前勝手であろう。そして、競合他社まで同じ行動をとったらどうなるのであろうか。

継続的囚人のジレンマの項においてある超大国のことを揶揄したが、ビジネスの現場においては、この「継続的囚人のジレンマ」、あるいは「あるビジネス・ゲーム」において提示したような状況は大変多いのではないだろうか。

 

4.5 Win−Win戦略

上記のように、競争に関わる双方が満足行くような結果をもたらすような解決方法をWin-Win Solutionと呼ぶ。お互いに満足できるのであれば、両者ともに勝者であると言いうる、ということである。

例えば、上記保険会社の例でいえば、保険会社がお互いに誹謗中傷合戦を繰り返すのではなく、生命保険の重要性を国民の間に啓発することによって、保険会社全体のパイをいかに増やすかを考えるのである。片方だけが勝者となり、他方が負ける関係(Winner-Loser)の場合には、負けたほうは常に仕返しのチャンスをうかがうことになったり、お互いのためにはならないと分っていても足を引っ張るような行動をとったりしがちである。その場合には、長期的にはお互いに敗者になってしまうのである。

 

5.金融業界におけるコンプライアンス

金融界においては、消費者契約法、金融商品販売法が共に平成13年4月1日に施行されるなど諸法令の整備が進んだ。また、金融庁が金融機関に対して行う検査についても、その基準となる検査マニュアルが公表された。これは、従来の護送船団方式、裁量行政からの決別を意図したものである。「金融検査については、平成10年に「新しい金融検査に関する基本事項について」(蔵検第140号)を定め、自己責任原則の徹底と市場規律を基軸に、明確なルールを前提とした透明性の高い行政への転換を図ってきているところである。平成11年には「預金当受入金融機関に係る検査マニュアル」、平成12年には「保険会社に係る検査マニュアル」を定め、これにより、監督当局の検査監督機能の向上及び透明な行政の確立のみならず、金融機関等の自己責任に基づく経営を促し、もって金融業性全体に対する信頼の確立を図っているところである」(金融庁「証券会社に係る検査マニュアルについて」金検第170号)。さらに、平成13年には「証券会社に係る検査マニュアル」も制定され、代表的3業種の金融機関に関しての検査マニュアルが出揃った。その後も細かな変更・改訂が加えられ、金融庁検査の際の運用基準となっている。

金融庁検査マニュアルの位置付けは、あくまでも検査官が金融機関を検査する際に用いる手引書であるとされており、検査マニュアルの項目を一字一句過たずに実行することが求められているわけではない。逆に、それぞれの金融機関が自己責任の原則の下、それぞれの規模・特性に応じた独自のマニュアルを作成、実行することが求められている。検査にあたっても、検査マニュアルを機械的・画一的に適用することがないように配慮することが求められている。ただし、チェック項目の語尾が「しているか」または「なっているか」とあるのは、特にことわりのない限りすべての金融機関にミニマム・スタンダードとして求められる項目であるとされている。実際のチェックリストを一覧すれば分るとおり、実はほとんどの項目が上記のような語尾で終わっているのも事実である。

従来とは異なり、金融機関には自己責任の原則の下でコンプライアンス対策を策定・実施することが求められている。従来は護送船団方式・裁量行政の下でお上のご託宣を黙って聞いていればよかったのであるが、現在はそうはいかなくなってしまったのである。一言で「自己責任」といわれても、その指導原理をどのようにすべきであるか迷っているのが現状で、その一端が生命保険業界で端無くも露呈されたのが前述の誹謗・中傷事件であったのだろう。

金融業界も深く前述のネットワーク社会に取り込まれている。Win-Win理論が有効に機能するのではないだろうか。

 

5.1コンプライアンスとリーダーの役割

コンプライアンスを実現していく上で、リーダーの役割はきわめて大きいものがある。コンプライアンスは、単純に訳せば「法令遵守」であるから、消極的には法令を形式的に遵守していれば事足りるような気がする。しかし、現在社会的に求められているコンプライアンスは、単に形式的に法令を守ることが求められているのではなく、より積極的に社会が求めている高度な規範を守ることが求められているのである。

このことは、最近の大和銀行事件における大阪地方裁判所の判決にも現れている。この事件では、その830億円という巨額の損害賠償額が話題となり、結局商法そのものが株主代表訴訟の賠償責任に上限を設定する形で商法改正が成立した(2001年12月5日参議院本会議において可決)。ただし、この判決そのものは結局、「役員側が総額2億5000万円を銀行側に支払うことなどを条件に大阪地裁(岡部崇明裁判長)で和解が成立した」(http;//kabu.zakzak.co.jp/news/kiji/2001121100.html (2001/12/11))。

しかし、判決の中で、取締役の注意義務と忠実義務については、大変厳しく求めており、その基準に適合しない場合には、取締役個人への損害賠償を認める(金額は別として)方向にあることは間違いないと思われる。

判決の中で、「取締役は、みずから法令を遵守するだけでは充分でなく、従業員が会社の業務を遂行する際に違法な行為に及ぶことを未然に防止し、会社全体として法令遵守経営を実現しなければならない。」「取締役は、従業員が職務を遂行する際違法な行為に及ぶことを未然に防止する法令遵守体制を確立する義務があり、これもまた、取締役の善管注意義務及び忠実義務の内容をなすもの」であるとしている。また、「取締役会上程事項以外の事項についても、監視義務を負うのであり、リスク管理体制の構築についても、それが適正に行われているか監視する義務がある」と、取締役はリーダーとして自らコンプライアンスを実行するだけでなく、会社としてコンプライアンスを実行させるための業務全般に責任を負うとしている。(以上引用は、大阪地裁第10民事部平成12年9月20日判決 旬刊商事法務1573号)

米国においても、同様の判決が1996年に出されている。ケアマーク・インターナショナル・デリバティブ訴訟事件(デラウェア州大法官裁判所1996年9月25日、No.13670)である。

ケアマーク社は、大手医療サービス会社であった。ケアマーク社のサービスを用いるように、医師らに不法な給付金を支払ったとして訴えられ、罰金、弁償その他で2億5千万ドルもの支払を強いられた。これに対して、取締役の監督責任を追求するため、株主が訴えを起こしたのである。

この事件では、取締役は責任を問われなかった。実は、ケアマーク社はコンプライアンスに対してはかなり積極的に対応してきたのである。政府の査察が入る以前から、CFOをコンプライアンス・オフィサーに任命、さらに従業員に対して倫理・コンプライアンス研修を実施、監査・倫理委員会を設けるなどしていたことが評価された。

但し、裁判所は無条件で取締役の責任を免除したのではなかった。取締役が社内にコンプライアンス・システムを構築し、それを積極的に監視している場合には、取締役(及び上級幹部)は、会社従業員による取締役が未知である不正行為に対して起こされた訴訟においてその責任から免れることができるとされた。当然その反対である場合には、責任が問われる。

取締役には積極的にコンプライアンスに係ることが要求されている。今までのような「知らなかった」ではすまされないのである。(ケアマーク社に関する事項Dawn-Marie Driscoll, W. Michael Hoffman, Ethics and corporate governance: Leadership from the top

米国においても、この判決をひとつの基準として企業のコンプライアンスに対する取組みが大きく変化したそうである。

以上の判決と同様に、金融庁の検査マニュアルにおいても取締役及び取締役会の役割が大変重視されている。これは、BISレポート(Bank for International Settlement , Framework for Internal Control Systems in Banking Organizations)を受けて決定されたものであるが、当初は違和感をもって受取られた。

日本においては、取締役会はかなり形骸化しており、取締役といえども経営陣の一員というよりは、単なる高級サラリーマンである場合が多く、実質的な経営権は常務会等のより高度な経営機関が握っている場合が多かった。

しかしながら、商法の規定上、企業の最高意思決定機関が取締役会であり、その最高責任者が代表取締役なのである。コンプライアンスの問題に関しては、取締役がリーダーとしてコンプライアンスを率先実行していくことが求められている。ただし、経営形態に合わせて、執行役員や、その他の取締役に相当するものが取締役に代わってその役割を担うことも認められている。

金融庁の検査マニュアルの「取締役の意識」の確認という項目において、

l        「コンプライアンスに関しては、取締役が誠実かつ率先垂範して取組んでいるか。また、取締役会は、高い職業倫理観を滋養し、あらゆ職階における職員及び保険募集人に対してない部管理の重要性を強調・明示する風土を組織内に醸成する責任を果しているか。」

l        「代表取締役は、年頭所感や拠点長会議等、可能な機会をとらえ、法令等遵守に対する取組み姿勢を示しているか。」

l        「取締役はコンプライアンス担当部門を営業部門と同様に位置付け、適切な人材と規模を確保し、関心をもって管理するとともに業績評価、人事考課において適切な評価を与えているか。」

l        「取締役自身が、社内外のコンプライアンスの問題に対し、規則に基づき、公平、公正に断固とした姿勢で対応しているか。」(金融庁「保険会社に係る検査マニュアル」)

といった点が求められている。

単純に法令違反を取り締まるのであれば、コンプライアンス違反を取り締まる部署を設けてコンプライアンス違反の厳しい摘発をすれば、あるいは効果があるかもしれない。しかし、コンプライアンスとは単なる法令遵守でなく、より高度な企業倫理の実践であることは前述のとおりである。そして、取締役には、企業全体のコンプライアンス推進が求められているのである。

例えば、企業方針として顧客重視を掲げていても、販売担当の取締役が「とにかく1件でもいいから売上を伸ばせ」と檄を飛ばしていたら無意味である。

さらに、最近コンプライアンスに関して問題になるのは、実績主義とコンプライアンスの関係である。現実の実績(給料)の査定に反映されるのは売上がほとんどで、コンプライアンスを遵守したからといって給料が上がるわけではない(もちろんコンプライアンスが違反として摘発されれば何らかの処分が下されるのであろうが)。販売の現場にいる者にとっては、コンプライアンス遵守のために必要とされる手順はなんとも煩わしい場合が多く、そんなものを馬鹿正直に守っているよりは1件でも多く契約を取りたいという誘惑が働いても不思議ではない。だからといって、コンプライアンス違反に対する処罰を厳しくしていたのでは、販売活動そのものが萎縮してしまう。

そこで本稿において提案するのが、Win-Win理論をコンプライアンス推進の基本原理として取り上げるものである。

 

5.2コンプライアンスとWin-Win理論

Win-Win理論のもっとも単純なコンプライアンスへの適用は、企業と従業員との関係にTIT戦略を応用することである。つまり、当初は従業員に対して融和的な政策を取り、もしコンプライアンス違反をした場合には、厳しく罰則を与えるというものである。

現実に、コンプライアンス重視を打ち出すために職員に対する賞罰規定を改定し、罰則を厳しくしたり、罰則が与えられる対象となる従業員の行動範囲を広め明文化したりといったことは一般的に行われている。しかし、厳罰化のみでコンプライアンスを維持していくことが難しいことは前述のとおりである。

また、企業と従業員との関係において適用ができたとしても、前述したように、社会はネットワーク化していくことが予想されている。コンプライアンス違反があったとして、従業員を処罰しただけは、問題は終わらない。

最近話題になった雪印乳業の集団食中毒事件(資料2)、三菱自動車のリコール隠し事件(資料3)などを見ても、その影響は違反者を単純に処罰するといったことでは収束していない。なぜならば、社会はネットワーク化しているからである。雪印乳業の集団食中毒事件にしても、問題は食中毒を起こした個人と雪印乳業の問題ではなく、一般消費者と雪印乳業の問題、あるいは投資家と雪印乳業の問題に拡大している。それは三菱自動車でも同じである。両社はコンプライアンス違反に対する処罰よりはるかに厳しい社会的制裁を、業績の悪化という形でこうむっている。

Win-Win理論は、社内のみならず、対顧客、対競争企業、対下請け企業など、あらゆる方面に対して適応していく努力が必要とされているのである。また、そのように考えると、TIT戦略は実はあまり役に立たないことに気付かれると思う。

実は、TIT戦略が有効に機能するのは、しっぺ返しが確実に相手にダメージを与えられる場合である。その場合、相手に対して自分が優位な力を持っているか、少なくとも対等の力を持っていなくてはならない。通常その力関係が隔絶している企業対顧客などの関係には当てはまらないであろう。ただし、この力関係は、ネットワーク社会における風評被害の実例などを見ると、実は安定したものではなく、意外ともろいものであることに気付かされる。また、競合他社との関係において、単純なしっぺ返し戦略が好ましくないことは保険会社の誹謗中傷事件で取り上げたとおりである。

このように考えてくると、なぜコンプライアンスが必要なのか、コンプライアンスをどのように実践していくかといったことに対して、Win-Win理論が有効に回答してくれることに気付く。

なぜコンプライアンスが必要なのか。コンプライアンスは相手との協調関係を保ち続けていく上で、必要欠くべからざるものだからである。対顧客関係では、企業側が一方的にそのバーゲニング・パワーを利用して企業にとって有利な立場から取引を強要してはならない。Win-Win戦略に基づいた、企業にとっても、顧客にとっても好ましい結果が得られるであろう戦略をとって初めて永続する良好な関係が築けるのである。逆にいえば、ネットワーク社会においては、相手に安易に報復を選択させるような戦略は好ましくないということである。ひとりひとりの顧客のしっぺ返しなど大したことはないかもしれないが、それがまとまって一旦信頼関係が損なわれると、修復不可能になってしまう。

それでは、コンプライアンスはどのように実践していくのか。TIT戦略でも見たとおり、とにかく最初は相手の行動にかかわりなく協調的な行動を採ることである。コンプライアンスを相手に強要してはならない。それでは、相手がコンプライアンスに外れる行動をとった場合には、どのような行動が好ましいのであろうか。TIT戦略の教えるところはしっぺ返しである。

しかし、例えば企業対従業員といった迅速な処罰が外部との関係において要請される場合を除いては、TIT戦略が有効だとは思えない。なぜか。これは、「あるビジネス・ゲーム」の項でも取り上げたことであるが、相手にこちらのメッセージを伝えるためには、こちらが協調的行動を取り続ける必要があるからである。ゲームの理論では、相手とのコミュニケーションが取れないという前提の下で戦略が組み立てられている。ところが、現実にはコミュニケーションが可能な場合も多い。

「あるビジネス・ゲーム」の講評で出てきたポイントのひとつに、相手とのコミュニケーションが図れるかどうか検討したかというものであった。もちろん、この場合はゲームであるから、相手と示し合わせて協調的行動を取るということはルール違反かもしれない。しかし、現実のビジネス上でこのような問題が生じた場合、コミュニケーションを取ることは重要であり、また必ずしも不可能ではないであろう。相手にはこちらのメッセージが伝わっていないと一方的に結論して報復行動に出るのは大人気ないと思われるがいかがであろうか。

それだけではなく、企業行動は単一の相手に対してだけではなく、広く社会に対するメッセージも含んでいるのである。

実は、継続的囚人のジレンマゲームの実践研究は倫理学の分野で進められている。そこでは、すぐに報復を加えるよりは、相手が図に乗ったときに確実に報復したほうが効果的であるといった傾向も明らかにされているようである(奥田 太郎「「囚人のジレンマ」入門」 http://www.ethics.bun.kyoto-u.ac.jp/~okuda/ethics/dilemma.html (2001/12/19))。ゲームの理論については、別稿において、より詳しく取り上げる予定であるので、本稿においてはこれ以上の追求は行わない。

 

6.競争型リーダーシップから共創型リーダーシップへ

従来のようなピラミッド型組織が維持し得なくなっていくであろうことは、本稿において明らかにしてきたとおりである。その場合、リーダーに期待される役割も従来とは大きく異なったものになることが予想される。

このことを堺屋 太一は「三比主義からの脱却」という言葉で表している。「「三比主義」とは、「前年比」「他社比」「予算比」の「三比」を評価基準にする経営、または組織管理方法だ。今日の日本では、「三比主義」が企業の業績を評価する基準として一般化しているが、実はこれこそ「拡大即利益」の発想を制度化した悪しき拡大志向の表れである」(堺屋 太一『組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのかp285)。しかし、このような競争をしていくと、「日本社会全体がゴールのない無限地獄に陥ってしまうのである」(堺屋 太一 『組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのかp286)。

ここで、競争社会から決別し、共創型リーダーシップを提言する。

 

6.1共創型リーダーシップとはなにか

共創型のリーダーシップとは、以下のような特徴を持つものである。

l        Win-Win戦略のような協調的戦略を、組織内のみならず、組織外部との関係においても適用する。

l        人材評価において、三比主義を脱し、質的側面の評価を重視する。

l        イノベーティブな目標を掲げる

なぜWin-Win戦略の採用による強調的戦略が必要であるか。前述したように、社会の組成そのものが変化している現在において、相手を出し抜こうとする戦略を取り続けることは、得策とはいえない。特に、現在のビジネスにおいては、一度定着したイメージを覆すことはきわめて難しい。逆に良いイメージを定着させるには長い時間が必要になる。であるとすれば、協調的戦略を取り続けることの正当化も容易であろう。

定着したイメージを覆すのがいかに困難であるかを示す以下のような逸話がある。イタリア最大の自動車メーカーであるフィアット・グループに、ランチアというブランドがある。大衆車中心のフィアットに対して、どちらかというと高級、上質な車作りに特徴がある。ランチアはヨーロッパ内でも、イタリア、フランス、オランダといった地域では相応の売上を示しているのに対し、イギリスではさっぱり売れず、最近イギリスから撤収してしまった。1970年代に定着した、錆びやすいというイメージを覆せなかったからである。はっきりいって、1970年代の自動車など、どれも錆びやすかったのであり、より重大な欠陥を持った車でさえ売られていたにもかかわらず、イギリスではランチアは錆びやすいというイメージが定着してしまったのである。その後、評判の良い車を作り続け、ヨーロッパ大陸では一定の評価を得た同社も、イギリスでの悪評は覆せなかったのである。

人材評価については、FSAの金融検査マニュアルでもうたっているとおり、過度の業績重視はコンプライアンスを無視、あるいは軽視する風潮を生みやすいことは、前述のとおりである。

ただし、質的評価は難しい。ウェルチもこのように書いている。「このように人事評価は非常に厳格であるにもかかわらず、毎年の社員の意識調査では驚くべき結果が出ている。42の質問のうち、満足度がもっとも低いのが、次の質問だったからだ。」「「当社は、満足のいく成果をあげていない社員に対して断固とした姿勢をとっている。」」「2001年の調査では、この質問にイエスと答えた社員は75パーセントにすぎない。99年の66パーセントからは改善しているが。ほかの質問ではおしなべて満足度が高いのに比べ、この数字は極端に低い(GEでのキャリアは、「自分や家族に好ましい影響を与えている」という項目については、90パーセント以上がイエスと答えている)」(ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』上pp262)そうである。この結果に対してウェルチは、「この結果は、どのレベルでも選別がいかに重要であるかを示すと同時に、社員のほうがさらに大胆で率直な評価を望んでいることを示している」と自画自賛している。

私には、この統計数値は、さらに大胆な評価を求めているのではなくて、自分に対する低評価に対する不満と、他人に対する高評価への反発を示すように思われるのであるがいかがであろうか。たしかに、GEは極めて大胆かつ先進的な人材評価方式を導入、実践している企業である。それにもかかわらず、4人に1人、その前年は3人に1人が評価に満足していないのである。GE社員が30万人いたとすると、7万5千人が不満を持っていることになる。そもそも、30万人の社員をひとつの価値観の下に不満なく評価することなど不可能なのではないだろうか。こんなところにも、巨大ピラミッド型組織が終焉を迎える要因があるのではないだろうか。一つ一つの組織が小型化するネットワーク型組織では、評価をする側も評価される側も納得の行く評価が得やすくなるであろうし、組織としてWin-Win戦略あるいは共創型戦略を納得づくで採用するのであれば、不満ははるかに少なくなるのではないだろうか。

最後の、イノベーティブな目標を掲げるという点は、意外に思われるかもしれないが、共創型リーダーシップにとって重要なポイントであると思われる。

イノベーティブでない目標を掲げるということは、現状を前提として漸進的な目標を掲げるということである。現実的であり、融和的であることから、共創的に思われるかもしれないが、実は全く共創的ではない。現実の状態を所与のものとして少しずつ改良していく、という考え方は、実は正に三比主義そのものなのである。

イノベーティブでない目標を掲げる場合は、採用される具体的な戦略も今までの経験を踏まえたものになる。その場合、新たな発想よりは、今までの経験がより重視されることになる。求められる人材も当然経験重視となり、新たな発想が生まれる余地は一層少なくなってしまう。

ホンダでは、同一車種の開発責任者を続けて担当させることはないそうである。同一車種を続けて担当した場合、前作が成功した場合はどうしてもその改良版を作りたくなり、新たな挑戦をしなくなる。ホンダは同一車種を担当させ続けることによる熟成より、新たなチャレンジを求めたことになる。

イノベーティブな目標とは、組織にとって志の高い目標を掲げるということである。志の低い、現実の経営指標を改善しようなどという目標では、組織の永続的な発展は望めない。かえって、短期的な数字のつじつま合わせのためにコンプライアンスを無視するなどということが起こるのである。

コンプライアンス実現のために取締役は率先して行動をしなくてはいけない、という要請が金融庁の検査マニュアルにもあった。共創型リーダーには、イノベーティブな目標を設定し、その目標を組織のメンバーに堂々と発表し、その目標達成に必要な行動を率先して取っていくことが求められているのである。

ところで、極めつけの競争主義者であり、現代流経営者であるゴーンやウェルチには、共創的発想は全くないのであろうか。

 

6.2カルロス・ゴーンとクロス・ファンクショナル・チーム

ゴーンにおいて共創的発想、もしくはWin-Win的発想は、クロス・ファンクショナル・チーム(以下CFTと略す)の設置に表れている。

CFT自体はミシュラン時代にすでにゴーンによって発想、採用されてきた。CFTとは、その名のとおり、部門を横断的に、職務を超えて問題に対処しようというチームである。

「そもそも顧客の要求はクロス・ファンクショナルなものである。コストにせよ、品質にせよ、納期にせよ、ひとつの機能やひとつの部門だけでは応えられるものではない。どんな会社でも、最大の能力は部門と部門の相互作用の中に秘められている」(カルロス・ゴーン『ルネッサンス 再生への挑戦p172)。彼は日産リバイバルプランを作成するのに、外部の著名なコンサルタント会社などには全く頼らず、社内にCFTを作成してプランを作成させている。

ゴーンが日産に着任してまず改革に手をつけたのが、高コスト体制の是正である。日産では、購買コストが他者と比べて高いにもかかわらず、全く是正がなされていなかった。購買部門は開発エンジニアなどに比べると社内的な地位が低く、発言力がなかったからである。しかし、購買コストが総コストに占める割合は60%に達しており、コスト削減には購買コスト引き下げが絶対に必要だったのである。そのため、購買担当者のステータスを上げ、エンジニアにはクロス・ファンクショナルな立場から協力することを求めている。

また、組織のあり方にもCFTを導入、マトリックス組織モデルを採用している。日産が事業を行っている地域を縦軸として、販売・商品企画・購買・経理といった職務内容を横軸としたマトリックスに沿って世界の日産を再編成したものである。2つの軸があるということは、マトリックスの交点に位置する人間にとっては、2つの報告ラインを持つことになる。「社員は2つの責任を負う(2人の上司を持つ)ことになる。1人の社員は、自分の属する地域で収益を上げることと、自分の属する職務をグローバルに効率化し収益性を高めることの、2つの責任を持つ。このような組織ではきわめて高い透明性と絶え間ないコミュニケーションが必要になる」(カルロス・ゴーン 同前p230)。2つの軸の交点に位置する社員のところで何か問題があった場合は、地域軸と職務軸に沿って問題が上部に伝えられていく。そうすれば、問題はうやむやになることもなく、クロス・ファンクショナルな観点から解決が図られることになる。

ゴーンは、コスト削減に際して、多くの下請け会社にも協力を要請している。そこにも、クロス・ファンクショナルな関係(お互いに利益になる解決を図っていくWin-Win精神)が生かされているであろうことは間違いない。

 

6.3ジャック・ウェルチと境界のない組織

ごりごりの三比主義者であるように思えるウェルチであるが(彼の著作を読んでいると、彼の興味の99%は対前年比での会社の業績向上にあるように思える。残り1%はゴルフか?)、業績向上のために彼が採用している施策の中には、明確に共創的発想やWin-Win的発想を反映しているものがたくさんあることに気が付く。

GEの価値観」という標語の中に、「境界のない姿勢で行動する・・・・・・その出所にとらわれることなくつねに最高のアイデアを追い求めそれを実行に移す」というものがある。何か優れたアイデアがあった場合に、それを自分の所属する部署で独占するのではなく、広くGEとして共有し、全体の業績を伸ばしていこうというものである。そのためには、境界のない組織(Boundary-Less Organization)が必要になるのである。また、境界のない組織を実現するために、報酬システムの一環としてストック・オプションを導入している。ストック・オプションには、自分の部門の業績が良ければ会社全体の業績がどうであれボーナスが得られるというシステムとは異なり、会社全体の業績が報酬に反映されるという効果が期待できる。また、そうであれば、自分のアイデアを他人に活用させるという発想にもつながる(ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』上pp287-315)。会社の中における共創的発想である。

また、彼はシックスシグマを通した顧客重視主義を積極的に打ち出している。シックスシグマは単なる品質管理用システムのように誤解されているが、決してそうではないという。

シックスシグマの導入当初、製品の品質は確実に向上しているにもかかわらず、顧客からの反応が芳しいものではなかったという。このことを、ウェルチは納期の例をあげて説明している。シックスシグマの導入による生産品質向上により、製品の平均納期が16日から8日に短縮されたとする。これで、50%の品質向上が図れたと考えていたのだが、顧客はそのようには受け取ってはいなかった。なぜかというと、納期にばらつきがあったからである。平均納期に、例えば前後5日間のばらつきがあった場合、平均納期が半分になったとしても、顧客にはさしたるメリットがない。もし納期が長いのであれば、納期を見込んで注文すればよいからである。問題なのは、納期が不確実なことなのである。

シックスシグマは、単なる品質管理システムではない。それは、顧客のニーズを確実に消化した上で活用されれば、さらに大きな成果が期待できるのである。

シックスシグマ導入にまつわる以下のエピソードがよく表している。1998年に市場導入されたシックスシグマ・デザインによるCTスキャナーは、胸部スキャンにかかった時間を従来型の3分間から17秒に短縮したという。ところが、ある放射線科の医師からウェルチが受取った手紙によれば、その医師がもっとも驚いたのはスキャンの時間短縮ではなく100万ドルもする機械が梱包をほどいて電源プラグをコンセントに差し込んだだけですぐに動いたことだったそうである(ジャック・ウェルチ 『ジャック・ウェルチ わが経営』下p177)。シックスシグマの観点からも顧客重視がGEの重要なポリシーになっているのであるが、これも共創的発想、Win-Win的発想であると言えるだろう。

 

7.結論

現在の社会は、人口構成の変化という社会学的な変化と、情報化による従来のヒエラルヒーの変化(崩壊)という科学技術的変化が相まって、ピラミッド型組織を前提としたものからネットワーク型組織を前提としたものに変化しつつある。

組織が変化すれば、当然リーダーに要求される理念も変わっていく。従来は、リーダーは独断専行でも許されたかもしれないが、これからの社会において求められるのは、共創型リーダーシップである。

共創とは、Win-Win戦略に基づく協調的戦略など、組織の内外を問わず協調することを通して、組織におけるイノベーティブな目標を実現していくことである。

従来は、ともすれば人と人とを競わせることによって組織を刺激し、新たな発展を目指したものである。しかし、これからは、イノベーティブな目標を設定することにより組織を、人を刺激し、発展を目指すのである。三比主義に代表される数字の辻褄合わせでは、Win-Win戦略のような判断が要求される戦略は取り得ない。

リーダーシップのあり方も共創的なものにして初めてネットワーク社会に要求されるWin-Win戦略を実現できるのである。

ネットワーク化した社会においては、コンプライアンス違反の影響は深くかつ広範囲に広がるものとなる。コンプライアンス違反を企業内の罰則強化のみで押さえつけることはできない。共創的な発想を導入することによって、競争的な発想のもとでは機能しにくかったコンプライアンスも無理なく実施することが可能になるのである。

そして、その際要求されるリーダーシップとは、自ずから共創的なものになるのである。

 

 

資料1

「日本生命保険相互会社については、保険契約等に関する事項であって保険契約者等の判断に影響を及ぼすこととなる重要なものについて、誤解させるおそれのある資料を作成し、保険契約者等に配付・提示していたことが確認された。この行為は、保険業法第300条第1項第9号に基づく保険業法施行規則第234条第4号に抵触する。このため、本日、同社に対し、保険業法第132条第1項の規定に基づき、以下の内容の行政処分(業務改善命令)を行った。」(「日本生命保険相互会社に対する行政処分について」平成13年11月1日金融庁 http://www.fsa.go.jp/news/newsj/13/hoken/f-200111101-2.html (2001/12/19))

 

資料2雪印乳業集団食中毒事件

「雪印乳業食中毒事件

 約一万五千人が被害を訴え、戦後最大規模となった雪印乳業の集団食中毒事件。製品回収の遅れや度重なる対応の不手際で信用を失った同社は「顧客第一主義」を掲げて再出発した。しかし、事件から半年近くたった今も被害者との補償交渉は続き、売り上げも激減したままで、信頼回復への道は険しい。

 ▽食中毒の後遺症

 「裁判しても勝てませんよ」。大阪府内の女性(30)は、雪印が提示した示談条件を拒むと交渉担当の社員にこう言われたという。「こっちが被害者なのに、まるで悪者扱いされた」。八月、慰謝料など約四十万円の支払いを求め大阪簡裁に調停を申し立てた。       

 女性は六月下旬、スーパーで買った雪印低脂肪乳を飲み、激しい下痢や吐き気に襲われ四日間入院した。“後遺症”で今も牛乳類は飲めないという。

 雪印は事件後、約百人態勢の「お客さまケアセンター」を設置、補償交渉に当たった。広報部は「五千件あった交渉は約百件を残すだけになった」と被害者対応の順調さを強調する。

 しかし、雪印の交渉態度に対する不満の声は多い。多くの被害者から話を聞いた田中厚弁護士は「統一した補償基準もなく、治療費以外は被害者の出方によって変えている」と批判。「場当たり的な対応で、事件発生当時の姿勢と変わらない」と手厳しい。

 「社会とずれがあった」(西紘平新社長)との反省から、外部の有識者から提言を受けるために設けた「経営諮問委員会」も、座長に身内とも言える顧問弁護士を据えた。国民生活センターの島野康相談部長は「雪印はなにが一番の問題だったか、まだ理解していないようだ」とあきれる。

 ▽トップから転落

 経営面でも雪印の前途は多難だ。事件の影響で売り上げが激減。九月中間決算では二百四十三億円の経常損失を出し、業界トップの座を明治乳業に明け渡した。

 雪印製品はほとんどのスーパーの店頭に戻ったが、消費者は戻らない。十一月の牛乳などの売り上げも前年同月比五四%減の見通しで、安全性を軽視した代償はあまりにも大きい。

 雪印乳業食中毒事件 雪印乳業大阪工場が製造した低脂肪乳などを飲んだ約一万五千人が下痢や吐き気などを訴え、飲み残しから黄色ブドウ球菌の毒素が検出された。その後、原料になった北海道・大樹工場製の脱脂粉乳の汚染が判明。大阪府警は同社幹部らを近く業務上過失致傷容廃で書類送検する方針。(共同通信)」

(京都新聞2000年12月19日 http://www.kyoto-np.co.jp/kp/topics/2000dec/19/16.html 09/11/2001))

 

資料3三菱自動車リコール隠し事件

「「リコール隠し」4部門幹部が決定

=三菱自動車、全社的に隠ぺい工作(8月28日配信)

 三菱自動車工業(本社東京都港区)のクレーム情報、リコール(回収・無償修理)隠ぺい事件で、欠陥を運輸省に届け出ず、勝手に販売店に指示してひそかに修理する「リコール隠し」の方針が、品質保証部、サービス、設計、製造の計4部門の幹部が出席した会議で決まっていたことが、28日、警視庁交通捜査課や運輸省の調べで分った。会議で決定した方針に基づき、設計、製造部門などが「やみ修理」の実施方針を立てていた。

 同課は、隠ぺい工作がクレーム情報隠ぺいの中心となった品質保証部だけでなく、全社的な規模で行われていたことを裏付けるとみて、今後、会議に出席した幹部から事情聴取する。

 調べによると、同社ではユーザーからのクレーム情報は、本社の品質保証部に集められる。同部内で安全性にかかわると判断された情報は、同部長をヘッドとして、販売店との窓口となるサービス部門、設計、製造各部門の次長、課長クラスが加わった「クレーム対策会議」で議論。そこでリコールなどの対応が必要とされた案件については、部長クラスで構成する「リコール・改善対策検討会」に諮り、方針が決まる。

 捜査対象となった1998年以降、乗用車「デボネア」や大型トラック、大型バス、小型バスの4件でリコール隠しが行われた。

 この4件については、いずれもクレーム対策会議か、同対策会議と同じメンバーによる会議で、安全上問題があると判断された。しかし、会議ではリコールせずに、やみで修理することが決められた。

 会議の決定を受けて、設計、製造部門が、やみ修理のやり方などの対応策を検討。サービス部門から販売店に回収や修理の指示を文書で伝達した。文書には「極秘扱い」「取り扱い注意」などと書かれた上、外部への情報漏れを防ぐ趣旨の注意書きが書いてあり、隠ぺいの徹底が図られた。」

(時事通信2000年8月28日配信http://www.jiji.co.jp/edit/topics/data2000/200008/0827mitsubishi/0828n4.html (09/11/2001))

参考文献

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木村 剛(2001)『新しい金融監査と内部監査』経済法令研究会

金融庁「証券会社に係る検査マニュアル」http://www.fsa.go.jp/manual/manualj/shouken.pdf (08/30/2001)

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金融庁「証券会社に係る検査マニュアルについて」金検第170号http://www.fsa.go.jp/manual/manualj/shouken.pdf (08/30/2001)

小島 譲(1974)『指揮官 上・下』株式会社文芸春秋

小島 譲(1986)『素顔のリーダー』株式会社文芸春秋

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大阪地裁第10民事部平成12年9月20日判決 旬刊商事法務1573号 (社)商事法務研究会

堺屋 太一(1993)『組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのか PHP研究所

佐藤 早苗(1991)『東条英機「わが無念」』株式会社光文社

産経新聞取材班 2001)ブランドはなぜ墜ちたか―雪印、そごう、三菱自動車 事件の深層』角川書店

鈴木 一功(監修)グロービス・マネジメント・インスティテュート(編)『MBAゲーム理論』ダイヤモンド社

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柳田 邦男(1998)『この国の失敗の本質』講談社