ヒューマン・リソース(HRE705)4クレジット

業績評価と報酬――財務的指標を超えて

Rushmore University

Global Distance Learning DBA

大國 亨

 

このコースワークを提出するにあたって、ここに記述されている文章/アイデアは、引用の表記がない限り、私の作品であります。また、私がこのコースの研究を手がけるまでは、このコースワークは存在しなかったことを確認します。

 

営利企業における従業員の業績評価は、明らかに実績評価が重視されるようになり、従来の年功的色彩は弱くなりつつある。ところが、実績主義の一般化と共に、そのマイナス面もクローズアップされることになってきた。

実績主義が重視されるようになったのは、従来のように製品を作りさえすれば売れていた時代とは異なり、あらゆる商品分野において市場が成熟してきたことに原因がある。最近では、どの産業分野においても顧客重視がうたわれ、またコンプライアンスが重要視されるようになってきているが、実は双方共に、市場の成熟化をその原因としている。社会が共創化しているのである。

そこで本稿では、実績主義が重視されるようになってきた背景と、そこにおいて要求される人材を明らかにする。次に、評価だけではなく、どのように従業員に対して報いていくかを現行の報酬システムのメリット・デメリットを通して検討していく。

最終的には、共創社会において、非財務的な報酬制度を確立していく必要性を理論付けることを目的とするものである。

 

 

 

目次

1.はじめに

2.経営環境と求められる人材像

2.1規制市場

2.2ソリューション・プロバイダー

2.3成熟市場における顧客ロイヤリティー

3.業績管理の方法

3.1カリスマ型

3.2マニュアル管理

3.3目標による管理

3.4業績とは何か

4.報酬の払方

4.1ストック・オプション

4.2退職金・退職年金

4.3 401(k)

5.財務的報酬体系からの脱却

5.1カフェテリアプラン

5.2ワークシェアリング

6.非財務的な報酬とは

6.1報酬としてのカフェテリアプラン

6.2報酬としてのワークシェアリング

7.結論

 

参考文献

 

 

1.はじめに

営利企業における従業員の業績評価は、明らかに実績評価が重視されるようになり、従来の年功的色彩は弱くなりつつある。ところが、実績主義の一般化と共に、そのマイナス面もクローズアップされることになってきた。

実績主義ではどのような実績を上げたかが評価の対象となる。難しい目標を立ててしまうと、達成できない恐れがあるため簡単な目標しか立てないようになってしまったりしている。また、評価が客観的に下される(評価する方としても評価しやすい)財務的目標が重視されるため、とにかく結果を出すことだけに注力し、そのあと顧客がどうなろうと知ったことではないといったような短期的視野に基づく営業姿勢がはびこることにもなった。

それではいけないと営業活動の質的側面を評価の際に重視すると、営業成績が急低下、今度は経営サイドが慌てて質的評価重視の方針を撤回するなど迷走が目立つ。

実績主義は明らかに経営環境の変化に伴って要請されるようになったものであり、方向性としては間違ってはいないと思われる。

それでは、将来的にはどのような実績主義に基づいた評価をし、従業員に報いていくべきなのであろうか。

 

2.経営環境と求められる人材像

企業にとって、どのような人材が求められているかは、その企業がおかれている経営環境によって、大きく異なることが容易に予想される。企業は経営環境に合致した戦略を取るのであり、他の企業が取った戦略をそのまま当てはめても、うまくいくわけではない。

例えば、現在規制緩和が進められているとはいえ事実上の地域独占を許している電力・ガス事業などと、世界中で同じような製品を作り世界中の市場で競争している自動車業界では、求められる人材も当然のことながら異なっていることが予想される。また、未開拓市場が前途に洋々と広がっている企業と、成熟した市場での激烈な競争にさらされている企業とでも異なるはずである。

企業のおかれている経営環境と求められる人材を、以下分析する。

 

2.1規制市場

金融市場も、ほんの10年ほど前までは、大蔵省を旗艦とする強力な規制に守られた護送船団方式の下で繁栄を謳歌していた。

護送船団方式の下では、業界ルールを破る行為はタブー(もしくはとんでもない嫌がらせを受ける)であったため、貸し出し、預金、手数料、保険料率などあらゆるマージン率は固定的であり、変動させることは許されなかった。

マージン率が固定的であるため、企業の利潤を増やすためには売上げを増大させることが唯一といえる方法であった。

金融業界のみならず、日本の各業界には業界シェアを異常に気にする気風が残っているが、これは日本の各業界が官庁を中心とする護送船団方式をあらゆる業界で採用していた頃の名残であろう。

このような業界では、売上げを増大させることが至上目的となり、ノルマを与えてとにかく達成させるといった方法が取られる。

また、規制業界においては、商品の差別化が図りにくい。少し前までの日本の金融業界では、銀行、証券、保険各業界内では販売している商品はほとんど同じであり、違いは付いてくるおまけぐらいしかなかった。また取扱う商品も日進月歩ではなく十年一日であり、取扱商品の幅も狭かった。従って、金融に関する高度で総合的な知識が求められているわけではなかった。

商品に基本的な差がないのであるから、企業業績は単純に販売力の差で決定される。そこで、営業マン達は巧みなセールストークと強引な販売方法で売り込みを図る。夜討ち朝駆けなど日常茶飯事である。○○証券の○○軍団などと揶揄される営業部隊が活躍したのは、このような経営環境の下においてである。証券会社の各支店に所属する営業職員が個人々々の推奨銘柄を売ることはあり得ない。全社一丸となって特定の銘柄を売りまくるのである。

生命保険会社の営業においても、○○のおばちゃんなどと呼ばれる営業職員を大量動員して、友人知人親戚などを片っ端から生命保険に加入させていった。これが可能であったのは、生命保険の加入率が低い未成熟市場が相手だったからである。生命保険加入率91.8%の成熟市場を相手にした場合には取り得ない戦略であることは明らかであると思われるがいかがであろうか。

このような場合に必要とされる人材は、困難にもめげず、与えられたノルマをこなしていく人材である。本社中枢で戦略を考える企業にとってコアとなる人材も求められるが、そのような人材が多数求められているわけではない。単純な仕事をこなしていく人材が求められ、人材育成の方向も当然そのように行われた。

単純な仕事をこなしていくという意味では、製造業におけるライン労働者や、コンビニエンス・ストアの店員なども、同じような範疇に分類できる。

これらに共通するのは、仕事のマニュアル化と”Hire and Fire(雇ってはクビにする)を前提とした人事政策である。

仕事がマニュアル化し得るということは、その仕事が明確に定義されているということである。完全に定義されている以上、そこで働く人間に創造性は要求されない。要求されているのは、完璧にマニュアルをこなすことである。また、仕事自体がマニュアルに定義されているので、その仕事をこなすだけであれば代りは幾らでも見つかる。そこで、雇ってはクビにするような人事政策が取られることがある。

仕事のマニュアル化も”Hire and Fire政策も、日本よりも米国でいち早く発展した。米国においては、Job Descriptionと呼ばれる極めて詳細な職務内容を記載した書面が作成される。米国では伝統的に年功的な人事は行われていなかったといわれるが、逆にレイオフなどは勤務年数の若い者から行われるのが普通であった。

そこで、米国の会社に勤める人間は、自分の職務を忠実にこなすことを重視した。Job Descriptionをはみ出すような行動はとらなくなる。その結果、大企業などでは、あるポストに長年同じ人間が居座ることになり、組織の硬直を招いた。

ジャック・ウェルチがGEにおいてまず打破しようとした官僚的体質は、このようにして生み出されたのである。

このような官僚的体質が生み出された背景には、19世紀末以来の独占資本主義などと呼ばれる時代に、資本家の都合でHire and Fire政策を行ってきた結果として、1930年代以来労働者は法律を武器とした権利の獲得に乗り出していった経緯がある。そのような権利は1940年代に確立していった。ただし、歴史を皮肉な目で眺めれば、第2次世界大戦とその後のパクス・アメリカーナと呼ばれる米国ひとり勝ちの時代を通じて、持続的な経済拡大が続いたため、その問題がクローズアップされることなく過ぎていったのである。

その後1970年代に入って、日本やドイツからの経済的脅威が増してくるに従い、それまで保持していた資本・技術両面における圧倒的優位を保つことができなくなってきた。「その当時、危機感を持っている者は社内にもいなかった。GEはアメリカの象徴であり、企業規模でも株式時価総額でも第10位の企業だった。ところが長年にわたってアジアからの攻勢が強まり、ラジオやカメラ、テレビ、鉄鋼、船舶、ついには自動車まで、アメリカの産業が次々と圧倒されていった。GEでも、テレビ製造業が同じ状況に陥り、日本をはじめとする世界との競争にさらされ、利益が食われるようになった」(ジャック・ウェルチ『わが経営』pp174175)。

その結果米国企業において、大規模なリストラが行われることになったのである。このように考えてくると、ジャック・ウェルチがGEで行った改革が米国における全般的な状況と実によくマッチしていることが理解できるであろう。

逆に、日本においては年功的、あるいは家族的経営が行われていたため、大胆な”Hire and Fire政策は取られなかった。その背景には、全体として見れば第2次世界大戦後長期にわたって続いた経済拡大が背景としてあったことは間違いない。日本においても、1970年代に入ると国境を越えた競争時代に突入し、米国と同様な問題が潜在的には存在していた。それが余り問題とはならなかったのは、それでも経済成長率が高かったこと、および第2次世界大戦及び戦後のパージの結果、ある特定の年代の労働人口が少なく、通常であればそれらの世代に配分されたであろうポストがそれより若年層に供給されたことなどの要因が考えられる。

その後も、バブル終焉まではこのような状況が続いた。ところがバブル景気が崩壊すると、あれほど日本に根付いていたと思われた年功システムもあっけなく崩壊した。実は、1980年代頃から年功システムでは役職者のポストが不足することが明白になり、様々な役職名が考え出され、部下のいない管理職が多数生み出されるなど年功システムの限界が見え始めていたのであるが、企業は弥縫策に終始、根本的な解決には乗り出さなかった。その結果、バブル崩壊後に年功システムの崩壊が明らかになると、企業は従来の「家族的」経営をかなぐり捨て、一転してリストラの名の下に従業員の首切りが横行することになった。最近は「従業員が働かないから業績が悪いんだ」と発言して物議をかもした経営者まで出る始末であった(一応発言は否定されている。資料1参照)。しかし、リストラという首切りをしたところで費用の削減は一時的なものでしかなく、首切りの横行は従業員のモラルを低下させ、企業の長期的な成長を保障するものでもない。

もちろん、日本の企業も全く何の対策も取らなかったわけではない。1990年頃から多くの金融機関が採用したのが、ソリューション・プロバイダーという戦略である

 

2.2ソリューション・プロバイダー

一般的に、ソリューション・プロバイダーと呼ばれるのは、顧客が抱える問題を発見し、解決策を提供するという付加価値を顧客に提供することにより取引して頂くという戦略である。

規制市場においては他社と差別化した商品を開発することはできず、金融機関の(あるいは規制当局の)都合で開発された商品を売るしかなかったのであるが、折からの規制緩和とあいまって、様々な商品を提供できるようになり、金融機関の自由度は多いに高まったのである。

その結果、多くの金融機関で、かつては単なる営業職員であったものが、ファイナンシャル・プランナー、ファイナンシャル・アドバイザーなどなど、様々な名称で呼ばれるようになった。それら従業員に期待されたのは、従来のように一律の商品を押し売りすることではなく、顧客の立場に立って、顧客の問題を解決し、それによって商品も売れていく販売戦略である。

例えば生命保険会社においては、従来であればとにかく高額の保険に加入させようとしたものであるが、ソリューション・プロバイダーとしての立場を取るようになると、顧客のライフ・サイクルを一定の様々な情報に基づき分析、顧客に必要とされる生命保険を提案していく、提案型の営業が重要になる。

このような営業スタイルには、上記規制業界で活躍してきたようなタイプの人材が求められていないことは明らかであろう。提案型の営業をこなすためには、様々な商品知識が必要になる。顧客に生命保険を販売しようとして、情報を収集した結果、顧客が最適な生命保険に加入していることもあり得る。より一般的には、生命保険に入り過ぎているケースが多い。そのような場合にどうするかが問題である。

以前であれば、すっぱりと勧誘活動を中止、次の客周りを始めるしかなかった。これに対して、ソリューション・プロバイダーとしては、この程度で引き下がってはいけない。何しろ顧客の貴重な情報を聞き出したのである。そこで、保険商品以外の商品の販売を考える。場合によっては社外の商品を勧めることもあり得るであろう。また、保険に入り過ぎているのであれば、最適な保険についてアドバイスすることもあるかもしれない。保険の販売員が保険見直しのアドバイスをしても料金を頂くわけにはいかないであろうが、後々を考えて餌撒きをしておくのである。

また、一流のソリューション・プロバイダーは、顧客から依頼された事項だけについて検討を加えるのではなく、顧客がどのような問題を抱えているかを顧客に代わって発見し、そのソリューションを提供するという。また、その場合、取扱う商品は自社製品に限定されることはない。商品を販売する側に立って顧客に対応するのではなく、顧客の側に立って商品を購入する手伝いをするからである。「そのため、OA機器の商社であれば、担当するメーカーに代わって製品を売る販売代理店から、顧客に代わって各メーカーから製品を買ってくる購買代理店へ、OAメーカーであれば、自社製品をつくって売るというプロダクトアウトから、他社製品を含めたベストな組み合わせを売るマーケットインへと転換が進んである。現に、富士通やNECなどのSI事業部は、他社製品を取扱ってもかまわないという特権が与えられるに到っている」(高橋 俊介『人材マネジメント論』p29)そうである。

このような事例は金融業界においても発展しつつある。保険業界においては、生命保険と損害保険を同列に取扱う相乗り代理店、幾つかの生命保険会社の製品を取扱う保険ブローカーが許可されるようになった。また、販売チャンネルとして、既存の証券会社、税理士などを経由する例もある。また、ファイナンシャル・プランナーのソリューション・プロバイダーとしての潜在力に期待して、証券業界を初めとして、ファイナンシャル・プランナーを組織する例もある。

ところで、生命保険業界はかなり以前からソリューション・プロバイダーを目指していたはずであるが、さほどの効果が感じられない。これはなぜだろうか。

まず考えられるのは、営業職員と呼ばれる販売職員の採用体制である。詳しくは拙稿でも触れているので(http://fpohkuni.com)ご覧頂きたいが、最新のデータでは、全営業職員のうち、実にふたりにひとりが辞め、その分新規に採用されている。

正確には、平成11年末在籍の営業職員326,974人に対して平成12年末在籍数は293,293人、ただし、平成12年度中に一般過程試験(これに通らないと生命保険の販売ができない)に合格者合格した物の数は154,974人いる(出典 『平成13年版生命保険統計号』株式会社保険研究所)。一般過程試験は、会社を辞めたり替わったりしなければ一生有効である。上記の数字が意味しているところは、平成12年在籍の営業職員のうち、実に半数が一年以内に現在所属の生命保険会社に勤め始めたということである。もちろん、生命保険の営業職員でもトップクラスになると、実に生命保険会社の社長を上回る収入を得ているとも言う。従って、選別も厳しいのであるが、それにしても異常に高い離職率である。

そして第二にあげられるのが、営業職員の業績評価体制である。これも拙稿でも触れたとおり、多くの生命保険会社の給与体系においては、販売実績が何と言っても大きなウェイトを占めている。最近では、コンプライアンスに対する姿勢なども評価項目として組み入れられているが、その実効性には疑問が残る。営業現場の上司がコンプライアンス上の評価を下すということは、コンプライアンスの意味や独立性から考えて好ましくない。実際には、営業現場にいる人間がコンプライアンスに対する姿勢を評価している(ほかに評価の方法がない)のが現状である。コンプライアンス項目を業績考課に組み込んでいるといっても、その場合、明確にコンプライアンス違反を犯しているのでない限り、低い評価は下し難いであろう。なぜならば、営業現場の長には、通常その営業現場全体の業績(この場合は売上げ)に応じてインセンティブが支払われる場合が多い。従って、熱心にコンプライアンスを推進するよりは、営業推進に重点を置きやすい。その結果、コンプライアンスに関する考課は大同小異となってしまう。多くの人間に対して同じような考課を下しているのであれば、考課していないのと同じことになってしまうのである。

また、営業職員自身はどうであろうか。例えば、前述のように、顧客が最適な生命保険に入っていたり、入り過ぎたりしていた場合に、どのような営業活動が予想されるだろうか。

もし、本当のソリューション・プロバイダーを目指すのであれば、もう一段深く顧客の人生設計を検討し直し、問題点を洗い出す、他の商品の販売を考える、入り過ぎていた場合には適切な保険設計についてアドバイスする、などが考えられる。ところで、それが評価・考課に反映されるのであろうか。前述の富士通やNECなどのSI事業部では他社製品を取扱ってもそれが評価されることが明確に示されていた。もちろん、生命保険会社でも、相乗りをしている損害保険会社の損害保険を販売することは可能である。しかし、たとえば顧客にアドバイスを行っただけで、何らの売上げがたっていない場合の評価はどうなるのであろうか。恐らく、何も評価されないのではないだろうか。

そして、このような評価基準が、第一にあげた高い離職率に現れているのである。生命保険業界の場合、互いにリンクし合っている採用システムと評価システムの根本的な改革が必要であると思われる。

「評価される基準により人は行動するというのも、また真実である。経営理念や経営方針により、人が行動するというのは、ある一面の現象をとらえているに過ぎない。企業に勤める多くの人は評価されんがために仕事をし、行動しているといっても過言ではない。そして、組織内の行動が、最終的に企業文化を規定しているのである」(平野 謙一『これからの人事評価と基準p1)。もし企業がある行動規範を実現しようと思ったら、そのような行動を評価しなければならない。いくらお題目で高尚なことを唱えても、残念ながら実践してくれる人間はいないのである。

 

2.3成熟市場における顧客ロイヤリティー

顧客に対してソリューションを提供することによって販売実績を上げるだけでなく、様々な方法を用いて顧客ロイヤリティーを向上させることが現在のような成熟市場では要求されている。未成熟市場、あるいは発展途上で拡大しつつある市場においては、特段の営業努力をしなくても、顧客は繰返し同じ企業から商品を買ってくれることが期待できた。

しかし、成熟市場においては、顧客は同じようなサービス・商品を提供してくれる多くの企業の中から1社を選ぶに過ぎない。特に新規に獲得した顧客については、次回以降も同じ企業を選択してくれるとは限らない。また、差別化がはかれない市場では、受注競争はどうしても価格競争になってしまう。際限のない価格切下げ競争に巻込まれてしまい勝ちである。それでは、多大の労力とコストをかけて新規開拓をしても意味がなくなってしまう。そこで、すでに取引のある顧客からいかに継続的に取引を取り込む戦略が重要視されるようになってきた。

その代表的な例としてあげられるのが航空会社の行っているマイレージ・サービスなどのフリークエント・フライヤーズ・プログラム(繰返し同じ航空会社を利用してくれる顧客に対する優遇プログラム)である。

小売業においても、企業独自のクレジット・カード(インハウス・カード)を発行し、買い上げ額に応じて割引を引き上げていくといったシステムが導入されている。単純なポイント・カードなども、同様な企業努力のあらわれである。

しかし、これらの顧客サービスにも、欠点が指摘されている。導入当初は他社との差別化になったかもしれないが、システムの手当さえつけば、他社においても容易に導入することができる。他社との差別化を図るためには、顧客還元率を高めるしかない。つまり、自社の利益を圧迫することになる。米国では、そもそも多数の航空会社が過当競争をしていたところにマイレージ・サービス合戦が起こり収益を圧迫、航空会社の経営が苦しかった。そこに昨年9月11日のテロが起こったため、多くの航空会社が苦境に立たされているのは、昨今の新聞報道などでご存知の通りである。

顧客のロイヤリティーを「モノ」あるいは「カネ」で釣ろうとするから無理があるのではないだろうか。結局、顧客のロイヤリティーを満足させるためには、顧客と接する第一線で働いている従業員ひとりひとりの努力に掛っているのである。

また、企業の側でもターゲットとなる顧客の絞り込みを行わなくてはならない。日本経済新聞、ヤマト運輸元会長小倉 昌男の「私の履歴書」に、成熟市場の例を示す興味深い逸話が載っていた。

三越はヤマト運輸にとって創業以来の重要顧客で、先代社長は三越に足を向けては寝られないと言っていたほどだったという。ところが、「第一次石油危機後、岡田氏は自社の業績悪化の対応策として、配送料金の値下げを要求してきた。それだけではなく、当社の三越専属車両が三越の配送センターを利用しているので駐車料金を徴収するという。さらに、配送担当の社員が三越の施設内に常駐しているから、事務所使用料を払えと言ってきた。」

「三越の業績回復までという条件ですべてを受け入れたが、約束は守られなかった。それどころか、岡田氏は無理難題を押し付けてきた。絵画や別荘地、自らプロデュースした映画の前売券などの購入を強制してくる。」

「商業道徳を完全に無視している。最大の取引先だから我慢してきたが、限度を超えた。」(日本経済新聞2002年1月21日『私の履歴書』)

こうしてヤマト運輸は三越と決別した。このような経緯を経て、事業を大口顧客相手の運輸業から個人顧客相手の宅急便業者へと転換させたヤマト運輸は、結局大きな成功を収めることになったのはご存知の通りである。

ところで、三越がなぜかくも高飛車な態度が取れたかというと、三越にとってヤマト運輸は多くの選択肢の中のひとつに過ぎなかったからである。特に差別化が図られているサービスを提供しているのでなければ、いくらでも取替えられるのである。

つまり、ヤマト運輸の思いとは逆に、三越はヤマト運輸に対してロイヤリティーを感じていなかったのである。このような顧客に対してもロイヤリティーを高める努力はするべきであろうが、特定の顧客の要求に過剰に応えるためには、その顧客のためだけの特殊なサービスを提供しなくてはならなくなり、ひいては他の顧客の満足度を害することにもなりかねない。

そうならないように、自社のターゲットとなるべき顧客像をはっきりと定め、顧客を絞り込むことが必要なのである。ヤマト運輸の例で言えば、個人顧客にはっきりとターゲットを絞ったのである。

それでは、顧客ロイヤリティーを高める効果的な方法はあるのだろうか。前述のように、一時は大変有効であると思われたマイレージ・プログラムなどは、あっという間に模倣され、あとは単なる値引き合戦になってしまう。また、いくら仕事を精緻にマニュアル化したところで、すぐに陳腐化してしまい、新しい事態には対処できなくなる。従って、大きな組織で上からの指示によって顧客ロイヤリティーを高める手段は、大変限られてくる。

逆に、現場の従業員には、常に顧客の立場で考え、顧客満足を維持するために創意工夫を凝らすことが求められている。顧客の要求に応えるためには、従来の組織の枠を超えて協調関係を築かなくてはならないであろうし、また、顧客とも一方的な損得関係ではなく、共創的なギブ・アンド・テークの関係を築かなくてはならないであろう。

また、このことは流れ作業の完成によって効率化の頂点に達していたと思われていた工場における生産活動にも変化をもたらし始めた。

工場における一貫大量生産によりコストダウンを実現したものの、これでは顧客の木目細かい注文には応えることができない。そこで、流れ作業方式をやめ、工員1人が一つの製品を完成するまで担当する方式を取り入れた工場があるそうである。その最大のメリットは、少量多種の注文に応えられることにある。また、副次的なメリットとしては、大規模な設備投資が不要なこともあげられるであろう。そして、少量多種の注文に応えられるということは、単価を上げられるということである。大量生産では人件費の安い諸外国と太刀打ちできないにしても、小回りの利く生産方法を採用することによって日本国内に生産拠点を持つことも、消費者に近いというメリットに転化できるのである。

同じようなことは、ヤマト運輸が宅急便で成功した秘訣とも重なる。宅急便を始める前のことであるが、同社は他社より遅れて長距離輸送に進出した。その結果は、同業他社に比べると著しく低い利益率となって現れてしまった。運輸業は当時規制業種であるから、同じことをしていれば利益率も同じようにならなくてはおかしい。その理由は、他社との出遅れをカバーするため、同社は大量輸送を見込める大口荷主を中心に顧客獲得を推進したことにある。小口の貨物は集配の手間はかかるものの、単価は高い。同業他社はそこを上手く利用して、大口と小口を混ぜて輸送していたのである。このことが、後に宅急便を生む時のヒントになったそうである。宅急便は家庭の主婦をターゲット顧客とするが、主婦は運賃を値切ったりしないし、現金で支払ってくれる。そのかわり、宅急便の会社はそこらの主婦でも簡単に荷物が送れるようなシステムを作り上げ、提供しなくてはならないのである。そして、「宅急便を担う中心的存在は、現場で顧客に接する約3万人の「セールス・ドライバー(SD)」である。彼らは荷物の集配、営業、集金などひとりでさまざまな業務をこなさなくてはならない。まさに「寿司屋の職人」のような働き方が求められる。サッカーで言えば、最前線の「フォワード」にあたる彼らのやる気をいかに引き出し、楽しく働いてもらうか。全員経営の成功はそこにかかっている」(小倉 昌男『経営学』p171)のである。単なる事業上のアイデアではなく、それを具体的にパッケージして顧客に提供できたからこそヤマト運輸は成功したのである。

共創社会において顧客の注文に細かく応えていくためには、規模の収益を追求するかわりに、工員ひとりひとりが工場となるミクロ組織に変わっていかざるを得ない、あるいは従来は車を運転していればよかった運転手がさまざまな業務もこなすサービスフロントにならなくてはならなくなったということは大変興味深い。

顧客ロイヤリティーが求められるような市場においては、顧客を絞り込むこと、現場における裁量権が大きくなることから考えて、従来のようなピラミッド型組織ではなく、共創的発想に基づくネットワーク組織が求められるようになるのである。

 

3.業績管理の方法

組織には多様なあり方が存在する。前述の規制市場における企業も、ソリューション・プロバイダーとして活躍している企業も、あるいは成熟市場における企業も、それぞれの市場の特質に合致しているのであれば、共に等しい重要性を持っていといえるのである。もし、ローラー作戦で新規顧客を獲得できるのであれば、そのような作戦を採るべきであり、顧客ロイヤリティーを第一に追求するべきではないだろう。

企業のあり方が異なるのであるから、業績管理、あるいはその前提となる人事管理の方法も当然異なってくる。代表的な管理方法をいくつか取上げ、どのような企業、市場に合致しているのかを詳述する。

 

3.1カリスマ型

主に、中小企業や企業の立ち上げ期に見られる、個人主導の管理方法である。中心となるリーダーが全てを取り仕切っていく。追随する人間には、リーダーから個別の指示が与えられ、その通りに行動することが期待されている。

当然、その評価も指示に従ったかどうかが重要視され、個別に能力を発揮したかどうかは問われない。

利点としては、全てをリーダー個人が取り仕切っているため、決断が早く、指示の一貫性も保ちやすいことが上げられる。

欠点は、ある程度以上の規模の組織になると、権限がリーダーに集中し過ぎているため、リーダーが不在の場合のマネジメントができなくなってしまうことがあげられる。また、個人の業績はひとりのリーダーによって決められてしまうため、そこで働く人間にとっては、他人に対して下された高い評価が、えこひいきによって決められているかのような感覚を持ちやすい。それだけでなく、自分から課題を見つけていくソリューション・プロバイダー的な仕事をするインセンティブがなくなり、どうしても指示を待つ消極的な姿勢になり勝ちである。

小さな組織に向いている管理方法であると言えるだろう。

 

3.2マニュアル管理

カリスマ型の欠点を克服すべく、最初に採用されるのが、マニュアルによる管理方法である。

マニュアル管理とは、個別の職務を分析し、それぞれの職務をマニュアルに定義する。そして、その仕事をこなせる人間をその職務に就けるのである。

前記規制市場の部分でも触れたとおり、マニュアル管理の欠点は、職務が固定化されていることから、とにかく官僚化しやすいことである。

野球に喩えれば、三遊間にゴロが転がったときに、ショートと三塁手が自分のポジションからちっとも動かず、ヒットにしてしまうようなものである。このような間隙を埋めるために、人員が増強される。限りなく「もしも」のときに備えていく間に組織は肥大化していく。官僚組織とは洋の東西を問わず同じようなものであるらしい。

なぜこのようなことが起きるかと言うと、三遊間のゴロに飛びつくような行動が評価されないからである。例えば、ショートが三遊間のゴロに飛びついたとして、たまたま捕球できたとする。彼は決して三遊間のゴロに飛びつくことを期待されていたわけではない。捕球できたのは、球がショートの捕球ゾーンに飛んだからであると解釈される。逆に、もし彼が落球したらどうなるのであろう。当然エラーが記録される。

ファインプレーが評価されず、失敗だけが評価されるのであれば、誰もそのような行動を敢えてとろうとはしなくなるのは当然である。

もちろん、このような管理方法にも利点はある。例えば、数多くの未経験者を使ってビジネスが成り立っているような場合(アルバイトを多用するハンバーガー・ショップとかコンビニエンス・ストアなど)、従業員の習熟を前提として教育していたのでは時間的にも、コスト的にも間に合わないであろう。そこでマニュアルによる管理が要求されるのである。

 

3.3目標による管理

次にポピュラーなのが、目標による管理である。部や課単位に目標を設け、それを従業員ひとりひとりに配分する。いわゆるノルマなどと呼ばれるものである。

しかし、上から与えられる目標は往々にして希望的観測に基づいた超楽観的なものである場合が多い。高すぎる目標を設定してそれができないと目標未達であるとして評価されないのであるから、当然現場からはブーイングが起きるし、従業員のモラルも低下する。

そこで、最近では従業員との話合いで目標を決めるようになってきている。ただし、目標を設定してその達成度で評価するのであれば最初から目標を低く設定してしまえばよい。また、目標の難易度も評価しないと、簡単な目標ばかりを設定して達成率を稼ぐこともできてしまう。また、たとえば銀行において預金残高や融資残高だけを目標に設定してしまうと、質の悪い貸出先への融資を増やしたり、融資を還流させて見かけ上の預金残高を稼いだりするなど、内容が伴わない実績を積上げてさせてしまうことになる。

そのような業績が真の業績でないことは明らかである。管理者は、業績の質についても厳しくチェックしなくてはならないのである。そのためには、常日頃のコミュニケーションが必要になってくるのである。

 

3.4業績とは何か

「活性化カーブによる評価が残酷だとする考え方は、間違った理論に基づいている。間違った親切を切実にしている文化から生まれている。なぜ大学卒業後は、成績の評価をやめなければならないのか。」

「成績を上げようとする努力は小学校1年のときから生活の一部になっている。小学校から成績の評価は始まっているのだ。選抜は、フットボールやチアリーダーのチームといったところでもおこなわれている。ある大学からは入学を認められ、別の大学から認められないのは、選抜がおこなわれているからであり、大学卒行事に、最優秀や優等の照合を授与されるのもまた、選抜がおこなわれているからだ。」

「生まれて20年間このかた、われわれはみな段階評価を受けている。なぜ、起きている時間のほとんどを過ごす職場で、それをやめなければならないのか。」(ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』上p255)

ジャック・ウェルチのように明確に言い切られてしまうと、そのとおりであると思ってしまいがちであるが、それでは、従業員の業績とは何をどのように測定するのであろうか。上記「業績管理とは何か」のパートでも、業績とは何かを敢えて明らかにしなかった。しかし、ほとんどの方が、業績とは売上げ数、売上高などの数値で測れるものであると理解されたのではないだろうか。より衒学的な言葉で言えば、財務目標である。従業員の業績=財務目標なのであろうか。

現在多くの企業が直面しているのは成熟市場である。成熟市場においては、何よりも顧客のロイヤリティーを繋ぎ止めておくことが要求されることは前述のとおりである。

例えば、金融機関が顧客に商品を勧める場合を考えてみよう。顧客にアプローチするため、顧客のポートフォリオを見直し、その結果、適正なポートフォリオであることが判明したとする。この場合、顧客のロイヤリティーを維持するためにはどのような行動が要求されるのであろうか。顧客のポートフォリオが適正なものである以上、これ以上のアドバイスも不要であるし、売るべき商品もない。引き下がるしかないのではないか。

ところで、従業員がこのような対応を取ったことを企業側は評価できるのであろうか。

「「収益を一時、犠牲にしても、顧客からの預かり資産を増やす資産管理型営業を徹底する」。東海東京証券の奥村雅英社長は昨春こう宣言、営業方針を転換した。支店の業績評価で評価基準の約6割を占めていた収益の割合を1−2割に減らし、預かり資産の増加額を8−9割へ高めた。顧客の信頼を重視する営業だ。」

「半年後。預かり資産は増えたが、経常赤字も予想以上の70億円に膨張。慌てた同社は下期から損益分岐点レベルの収益目標を設定し、その8割を達成して初めて預かり資産増加額を評価する形に修正した。」

「米国流の資産管理型営業を自信満々で持ち込んだメリルリンチ日本証券。3年間の苦闘の末、個人取引部門の経常赤字は累計700億円に達し、支店や人員の7割削減に追い込まれた。」(以上引用はいずれも日本経済新聞2002年1月29日「病める金融」)

営業成績を重視すれば、結局は回転売買を顧客に勧める「株屋」体質から抜け出られない。体質の転換を図ろうと思っても、営業成績が上がらないと、さっさと逃げ出してしまう。メリルリンチ証券も、個人部門は閉鎖しないと言ってはいるが、歴史的には同社が日本における個人営業部門を縮小させるのは2度目なのである。

このような行動を見せ付けられると、ソリューション・プロバイダーとしての営業方針(上記2社の場合は資産管理型営業)も色褪せて見えてしまう。

このようなことがなぜ起きるのかと言うと、企業業績にしても、個人の業績にしても、結局は財務的な指標によってのみ測られるからではないだろうか。

企業は、財務的な目標以外にも、地域社会に貢献する、科学技術の発展に貢献する、地球環境に貢献するといった目標を持っている(1銭でも多く儲けることを目標にしている、などということを公言している企業が存続し得るとは思えない)。また、企業が営業活動を行っていく上での目標として、お客様の満足を最重視し、法令を遵守した適正な販売活動を行う、などが設けられていることも多い。このような目標が設けられるのは、顧客満足度を上げることが長期的には財務的な指標(売上げ増など)に還元されることを願っているのである。

ところが、そのような方針を守っても、結局は営業成績が上がらなくては評価されない。上記証券会社では、わずか半年で軌道修正したようである。結局企業業績は財務指標で判断されてしまうため、旗色が悪くなるとさっさと逃げてしまうのである。バブル期にメセナだ何だと大盤振る舞いしておきながら、景気が悪くなると舌も出さなくなった日本企業の行動がこのことを示している。

 

ただし、質的評価は難しい。20世紀における最も偉大な経営者であるジャック・ウェルチもこのように書いている。「このように人事評価は非常に厳格であるにもかかわらず、毎年の社員の意識調査では驚くべき結果がでている。42の質問のうち、満足度がもっとも低いのが、次の質問だったからだ。」「「当社は、満足のいく成果をあげていない社員に対して断固とした姿勢をとっている。」」「2001年の調査では、この質問にイエスと答えた社員は75パーセントにすぎない。99年の66パーセントからは改善しているが。ほかの質問ではおしなべて満足度が高いのに比べ、この数字は極端に低い(GEでのキャリアは、「自分や家族に好ましい影響を与えている」という項目については、90パーセント以上がイエスと答えている)」(ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』上pp262)そうである。この結果に対してウェルチは、「この結果は、どのレベルでも選別がいかに重要であるかを示すと同時に、社員のほうがさらに大胆で率直な評価を望んでいることを示している」と自画自賛している。

私には、この統計数値は、さらに大胆な評価を求めているのではなくて、自分に対する低評価への不満と、他人に対する高評価への反発を示すように思われるのであるがいかがであろうか。たしかに、GEは極めて大胆かつ先進的な人材評価方式を導入、実践している企業である。それにもかかわらず、4人に1人、その前年は3人に1人が評価に満足していないのである。GE社員が30万人いたとすると、7万5千人が不満を持っていることになる。そもそも、30万人の社員をひとつの価値観の下に不満なく評価することなど不可能なのではないだろうか。

ジャック・ウェルチとは対照的とも思える小倉 昌男も同じような悩みを打ち明けている。

「人事考課というものは非常に大事なものだ。社員が一生懸命働いているのは、自分の仕事を認めてもらいたいからである。そして社員の働きぶりを公正に評価し、昇進や昇給に反映することは組織の活性化を図るうえで必要不可欠である。」

「しかし、その方法論になると、たいへん難しいことに気がつく。日本では、仕事が社員個人に直接結びつくことが少なく、集団で仕事をこなしているからである。」(小倉 昌男『経営学p269)

そこで、個人ではなく集団として評価したり、また、評価者による評価のぶれをなくすために「著名な賃金評論家の考案した方法」を実施したりしたが、納得のいくものは見つからなかったそうである。

「私の結論は、上司の目は頼りにならないということであった。ただ、社員にとってみれば、仕事をやってもやらなくても評価が同じでは納得しない。一生懸命やった人とやらなかった人に差をつけなければ、公正さが疑われ、社内秩序が維持できなくなる恐れもあるわけである。」

「そこで考えたのは、「下からの評価」と、「横からの評価」。下からの評価は部下による評価、横からの評価とは同僚による評価である。そして評価項目は実績ではない“人柄”だ。」

「誠実であるか、裏表がないか、利己主義ではなく助け合いの気持ちがあるか、思いやりの気持ちがあるかなど、人柄に関する項目に点を付ける。体操の採点のように、複数の社員の採点を集め、最高の点と最低の点を外し、残りを足して平均点を出す。つまり、多くの目で評価する。」

「日本では、客観的に通用する実績評価の方式は見当たらない。ならば、せめて事前の策として下からの評価を行ったらよいのではないかと思ったのである。もちろん単独ではなく、他の制度と併用するのであるが、私は、人柄の良い社員はお客様に喜ばれる良い社員になると信じている。」(小倉 昌男 『経営学p270)

実は、ジャック・ウェルチも同様な評価方法である360度評価を導入したことで有名である。

「仲間内の評価というのは何でもそうだが、この評価システムにしても、時間の経過とともに、「裏をかかれる」可能性がある。たいがい耳あたりのよいこと以外は言わなくなり、全員の評価が良くなる。」(ジャック・ウェルチ同前p248)

評価方針があまり頻繁に変更されることは、評価の一貫性を保つうえからも好ましくない。しかし、だからといって同じ評価方針をだらだらと続けていると、評価成績を上げるために仕事をする人間が出てきてしまう。

そのような意味では、平井 謙一が著書の中で述べていることは興味深い。「人事評価のうち能力の評価は、管理者が部下の人間の価値を評価するのではなく、また、人間の保有するすべての能力を評価するのではなく、保有している能力のうち、ごく一部である仕事の担い手として職務遂行能力を評価するものである。この職務遂行能力は、一般に地誌気力、判断力、企画力、折衝力、指導力など各要素毎に評価される。そのため、評価するということは技法であり、技術的なものであると考えられる。訓練を受けたり、勉強さえすれば習得されるものなのだ。」「評価される側も、企業が必要としている能力を捉えているのであり、全人格、全能力を捉えているのではないとの認識を持つことが重要である。」(平井 謙一『これからの人事評価と基準』)

評価を逆にテクニカルなものであると捕らえ、評価者の負担が過度にならないように配慮している。つまるところ、人間が人間を評価するのである。完璧であることを期待するのが間違っているのではないだろうか。

 

3.5バランス・スコアカード

現在では、さすがにROI(投下資本利益率)やEPS(1株当り利益)といった財務指標だけで企業運営が充分に行えるものではないということが理解され始めてきている。

そして、現在多くの企業が取り入れようとしているのがバランス・スコアカードの考え方である。バランス・スコアカードは、財務的指標とオペレーション上の指標(顧客満足度や組織の改善など)の両面を“バランス良く”含んでいる。それによって、さまざまな面から企業業績を評価しようというものである。

「このスコアカードは飛行機のコックピットでいえば、各種計器の指針盤と指示器のようなものである。飛行機の操縦は複雑で、パイロットには多方面からの詳細な情報が必要とされる。燃料やスピード、高度、方位、目的地などの情報のほか、現在そして今後の状態を示す多様な項目について把握していなければならない。けっして単一の指標に頼ることはできない。」

具体的には、

@顧客はどう見ているか(顧客)

Aどの分野で優先性を確保するか(企業内部)

B改善と付加価値をつける余地はあるか(業務改善およびレベルアップ)

C株主はどう見ているか(業績)

といった指標が選ばれることになる(ロバート S.キャプラン、デイビット P. ノートン「バランス・スコアカードとは何か」pp158−159)。

ここで選ばれたのは、ある企業のバランス・スコアカードの例である。従って、ここに掲げられた項目がすべての企業に当てはまるわけではない。そして、この4つの項目の中にさまざまな評価指標がさらに設定されることになる。

「これまでの伝統的な財務指標は、前記に何が起こったかを教えてくれる情報であるが、次にどうすれば業績を改善できるかは教えてくれない。しかし、スコアカードは、企業の現在と将来の成功の基礎を築くことを目的としている。」

「さらに、伝統的な測定方法とは異なり、スコアカードの4つの支店が教える情報は、本業利益のような外面的尺度と、新製品開発のような内面的な尺度とのバランスが図られている。このバランスを備えた指標のおかげで、経営者は異なる業績評価指標どうしのつじつま合わせをしたことも分るし、幾つかの成功要因が矛盾しないように調整し、将来の目標の達成に貢献する。」(ロバート S.キャプラン、デイビット P. ノートン「バランス・スコアカードによる企業革新」p184)

バランス・スコアカードの導入に当たっての最大の問題は、一般的な企業評価(例えば株価)に必ずしも好影響を与えないことである。「スコアカードはたんなる評価制度ではない。それは競争上、画期的な業績達成にはずみをつけるための経営システムなのである」(ロバート S.キャプラン、デイビット P. ノートン「バランス・スコアカードによる企業革新」『業績評価マネジメント』p201)としても、一般的に評価されない場合には、前述証券会社のように、慌てて資産管理型の営業方針を撤回することになってしまうのである。

もう1点このシステムで懸念されるのは、二兎を追うものは一兎を得ず、という結果に終わってしまうのではないかということである。静岡運輸という会社に出向していた小倉 昌男は、労災事故の多さを指摘され、ある木工所を見学するように労働基準監督署長に言われたそうである。

「大した設備のある工場でもないし、安全のため大げさな投資をしている様子もなかったが、その工場の経営者の話を聞いて私は感銘した。」

「安全は、要するに経営者の心構えによるところが大きい。それが彼の意見であった。工場には大きな緑十字の旗が飾られていた。それはどこでも見る光景である。違うのは、壁一杯に大きな字で、「安全第一、能率第二」と書いた紙が張ってあったことである。」

「工場の経営者はこういった。」

「――前は、本当に労災事故が多かった。でも、人命の尊さを考えたとき、何としても事故を減らさなければならない。それで考えたのは、能率を上げることだけを言っているうちは事故はなくならないだろうということだった――。」

「その気持ちを表すためも、「安全第一、能率第二」という標語を工場内に掲げた。時間が経つにつれ、安全の実績は徐々に上がったが、能率は決して落ちなかったという。」

「「安全も能率も、どちらもしっかりやれと言っていた時分は、結局どちらも中途半端でしたね。」との工場経営者の言葉は、胸に響くものがあった。」(小倉 昌男『経営学pp143144)

静岡運輸では、「安全第一、能率第二」という標語を、ヤマト運輸では「サービスが先、利益は後」というモットーを作ったそうである。

しかし、このような言葉を現場の責任者が唱えただけでは無意味である。新年の決意では安全やサービスが打ち出されても、決算期が近づくとどうせ能率や利益を上げるように言うであろうと見透かされているからである。それなら今までどおり最初から安全やサービスより能率や利益を追求した方が簡単ではないか。

安全と能率、サービスと利益、いずれもトレードオフの関係にあるかに思える。しかし、トレードオフにあるからといって、どっちつかずの対応をしていたのでは、永遠に問題は解決されない。そのような標語・モットーは「社長だから言える言葉である。だからこそ、逆に社長が言わなければならない言葉なのである。」(小倉 昌男『経営学p142)マンネリ化したお題目を唱えているだけでは、決して従業員は付いてこない。

しかしながら、企業の業績評価においても、非財務的側面が重視されるようになってきていることは間違いがないと思われる。現実に、企業の地球環境への貢献度を基準に投資先を選別したエコロジー・ファンドが続々と証券会社から発売されており、売れ行きも好調だそうである。

企業業績が多面的に評価されるようになれば、売上げが多少下がったからといって慌てて資産管理型営業方針を撤回するなどというみっともない真似をする必要もなくなるのであろう。

 

4.報酬の払方

以上述べてきたような業績評価の結果として、従業員には報酬が支払われることになる。企業から従業員に対しては、給与、福利厚生、退職金・退職年金など、さまざまな名目で報酬が支払われる。このうち、最も比率が高いのは、給与である。

給与以外にも、ストック・オプション、退職金・退職年金、退職年金のひとつの制度である401(k)などさまざまな報酬が支払われる。ここでは、給与以外の報酬として、長期的なインセンティブと考えられるストック・オプション、退職金・退職年金、そして最近注目されている401(k)プランについて、その性格、メリット・デメリットを考える。

 

4.1ストック・オプション

ストック・オプション導入の経緯にはさまざまなものがあるが、多くの場合に重視されているのは、ストック・オプションを受ける人間に対して企業全体の業績に基づいた報酬を支払うことによる企業マインドの育成にあると思われる。

「それまでの制度では、毎年のボーナスが最大の報酬になっていた。そしてボーナスは所属する事業部門の業績に応じて決められていた。」

「ある事業部門の業績が好調なら、会社全体の業績が不振でもボーナスは出る。」

「会社が沈んでいるのに一部の事業部門が無事に岸にたどりつくようなもので、私はこうした考え方には我慢ならなかった。」

「私は、個々の事業よりも、会社の業績や株価のほうが社員にとって意味を持つようにしたかった。」(ジャック・ウェルチ『ジャック・ウェルチ わが経営』上pp295−296)

このように、長期インセンティブの一環として導入されたストック・オプションであるが、最近ではその弊害が問題となっている。

まず挙げられるのは、株価は大きく変動するということである。

株価とは将来を見越した企業の価値を表しているとされてはいるが、正しいかどうか証明したものはいない。また、ボラティリティーも極めて高い。

したがって、株価が高いときと低いときに与えられたオプションの価値には、大きな差が出てしまう。株価自体は市場で決定されるので、経営努力、あるいは従業員の努力で動かせるものではない。

また、オプションが会社に対する新株発行請求権である場合には、オプションの権利行使によって発行済み株式数の増大を招く。株式数の増加は、潜在的には株価を引き下げる圧力となりうる。従って、ストック・オプションは既存株主の潜在的犠牲のうえに成り立っているともいえる。

また、ストック・オプションはあくまでもオプションであり、与えられた人間が株価のダウンサイド・リスクを負わないことも問題であるとされている。ストック・オプションを与えられた人間が経営者である場合には、株価を引き上げるための冒険的施策を取る可能性が指摘されている。株価が上がればその経営者も株主もハッピーである。しかし、その施策が失敗に終わった場合、株主は株価下落による損失を受けるが、その経営者は実損を被るわけではない。

そもそもストック・オプションが多用されるようになった原因は、シリコンバレーに代表されるベンチャー企業が優れた人材を集めるために多額の報酬を支払う必要があったからである。立ち上げ期にあり資金需要の強いベンチャー企業は、現金の流出は避けたいという要求が強い。そこで考えられたのがストック・オプションである。ある意味では、オンバランスで費用に計上される従業員への支払を、オフバランスの偶発債務に振り替えているのである。ストック・オプションを与えられた人間は、オプションを行使して市場でそれを売却することによって金銭を得る。

従って、株価が上昇基調にある時はオプションの行使を抑制しようという(オプション自体を行使しても、株式自体は売却せずに所有し続ける)インセンティブが働く。逆に、株価が下落基調に入った、あるいは企業そのものが危うい、といった場合には、とにかくオプションを行使して株式を売却することによって手取を確定しようというインセンティブが働く。ストック・オプションは株価が上昇しているうちは誰にも痛みをもたらさない、優れたシステムであるが、一旦株価が下落し始めると取り返しのつかない損失をもたらす可能性のあるシステムであったのである。

ストック・オプションを活用した経営方針で知られていたエンロンも、米国の格式市場の低迷により、遂に馬脚を現し、結局破綻に追い込まれた。

ストック・オプションは、理想的には会社全体の業績が反映されるフェアなシステムのように思えるが、経営幹部ならいざ知らず、末端の社員には、自分に与えられた職務をこなす以外にその他の業務に係わるチャンスは少ない。自分に関係のないところで下された決断で被った損失の責任を取らされるのは、気分の良いものではないだろう(現時点の報道では、エンロン社員はオプションを行使することは禁じられていたそうである。オプションを行使して売り抜けられたのは、一握りの幹部だけであったようである)。

 

4.2退職金・退職年金

日本においては、年功序列制度の象徴として諸悪の根源のように扱われている退職金・退職年金制度ではあるが、実は、制度自体に問題があったのではない。

日本において退職年金制度が導入されたのは、戦後、それも高度成長期以後であるという。それまでは、退職金(一時金)制度が一般的であった。

元来、退職金は永年勤続してくれた社員が晴れて引退(年季明け?)する暁には、金一封が進呈されるというような意味合いで支給されていたようである。従って、年季が明けないうちに勝手に辞めていくような人間には、金一封のご褒美はないのである。

このような報奨金的な位置づけがなされていた退職金に対して、退職年金制度はより給与の後払い的性格の強い制度である。高度成長期以降、企業が負担する掛金への課税繰り延べなど税制上の優遇措置が取られたのにはわけがある。

「一つは退職金の原資の確保というねらいがあった。将来的に、長期勤続の定年退職金が増えてくると、原始は莫大な額となるため、企業としては計画的に積み立てていく必要がある。そこで、税制適格年金制度を導入し、掛金に対する税制上メリットを企業に与えることで、積立てを促そうとしたのである。社員にとっても、原始の確保は大きなメリットがあった。」

「もう一つ。時代背景があった。高度成長期、日本の産業界は常に大量の資金を必要とした。そこで、年金の掛け金という形で資金を吸い上げ、生命保険会社や信託銀行を介して産業界に還流させ、高度成長の資金需要を支えるという国の試作がベースにあったのは否定できない。」(高橋 俊介『人材マネジメント論p201)

このようにして広く普及した退職年金制度であるが、これもバブル崩壊とときを同じくして変調を来たしてしまった。まず、年金原資の運用が、バブル崩壊後極めて低調、投資先によっては原資に大きく食い込む事態が生じた。その一方で、人口構成の高齢化は年金支出を否応もなく増大させていった。特にいわゆる衰退産業の場合には人口構成の高齢化は痛手で、厚生年金基金を維持できず、解散するケースまであった。その最初の例として、1994年に日本紡績業厚生年金基金が解散した。

そして、もう一つの2000年問題などといわれていた国際会計基準に基づく時価会計方式の導入がだめおしをした。厚生年金基金は従来5.5%という高い予定利率を前提として設計されていた。高度成長期にはそれ以上に高い運用利率をあげることは困難ではなく、大企業の公正年金基金は保養所の豪華さなどを競ったものである。ところが、国際会計基準の導入によってそれまで表面化していなかった年金積立て原資の不足(年金債務)が企業の債務として現れることになる。バブル崩壊後の数年間で、積立て不足は膨大な金額になってしまっていたのである。予定利率については1997年度より引き下げが認められた。この場合、予定利率が引き下げられても、将来の給付が確定しているので、企業の一年毎の積立金は逆に引き上げられることになる。したがって、予定利率が引き下げられたからといって企業にとっての問題が解決したのではない。

このような背景から出てきたのが日本版401(k)であり、退職金制度の廃止だったのである。

 

4.3 401(k)

米国の確定拠出型年金は、準拠法である内国歳入法の第401条k項にならって、401(k)プランなどと呼ばれる。確定給付型年金(日本で一般的な厚生年金などはすべてこのタイプ)では将来の給付額が確定している(Defined Benefit)のに対して、確定拠出型年金では拠出額だけが確定しており(Defined Contribution)、将来の給付額は拠出された資産の運用状況によって決まる。

米国においても、そもそもの導入の経緯は日本と同じく1970〜1980年代にかけて年金運用が危機的状況に陥ったことがきっかけで導入する企業が増えていったのである。

ただし、爆発的とも言える人気を呼んだのは、1990年代、米国が好景気に沸いた時期であったのは、偶然ではない。米国401(k)においては、投資対象に株式が組み込まれている投資信託などに多くの資金が投入される。米国株式はここ10年ほどブームにあったのであるから、運用成績が良かったのは当然である。

1 

Source: Tabulations from EBRI/ICI Participant-Directed Retirement Plan Data Collection Project.

Note: Percentages may not add to 100 percent due to rounding.

(出典 EBRI “401(k) Plan Asset Allocation, Account Balance, and Loan Activity in 2000”)

EBRIはEmployee Benefit Research Institute (米国退職給付調査研究所)の略

ところで、日本版401(k)導入議論では、米国では401(k)が非常に広く用いられているかのような議論が多く見受けられたが(加入者は全体で約42百万人(2000年末、EBRI)、年度は異なるが、2002年1月末現在の労働人口は133.5百万人、 Bureau of Labor Statistics)、図1からもわかるとおり、一人あたりの残高は意外と少ない。2000年度における平均残高は49,024ドルである(出典EBRI同前)。為替レートにもよるが、500〜600万円である。しかも、図1からも読み取れるように、平均値が意外と高いのは、一部(残高100,000ドル以上、全体の13%)に極めて残高の多い集団が存在するからである。平均残高を49,024ドルにするためには、この集団の平均残高は約235,000ドルなくてはならないことになる(その他の集団については上限と下限の数値の中間を便宜的に平均残高とした場合。例えば10,000ドルから20,000ドルの集団であれば15,000ドル)。このデータは2000年度の数値であるから、米国のITバブルもはじけていないころであり、その恩恵をこうむった方々も多くいたのであろう。

したがって、401(k)全加入者の残高の中間値はたったの13,493ドルである(出典EBRI同前)。401(k)の加入者の半数が13,493ドル以下の残高しか持っていないことになる。

日本では、401(k)が万能であるかのように喧伝されたが、米国でもいわゆる大手企業では、従来からの確定給付型年金を残しながらその上乗せとして401(k)を導入したところが多く、年金システムを企業にとって負担の少ない401(k)一本にしてしまったのは、シリコンバレーのIT企業に代表される新興中小企業が多かったのである。

従来の確定給付型年金を残した原因は当然、そのような年金システムの方が従業員に対するメリットが大きいと考えられたからである。そもそも、米国においては企業年金を所有しているのは大企業だけであり、企業年金システムを所有しているからこそ(従業員に対して大きな報酬が約束される)多くの優秀な人材を確保できたのである。

そもそも、運用にはリスクが付きまとう。従来型の確定給付型年金システムは、そのリスクを企業が背負ってくれていたのである。短期的にはともかく、年金システムが従業員に対する長期的なベネフィットであることを考えれば、確定給付型年金が古臭くて変革が必要なシステムであると決め付けることはできないことがわかる。

 

5.財務的報酬体系からの脱却

前述した報酬はすべて金銭(ストック・オプションも金銭的ベネフィットの代替と考えられる)によって支払われるものである。

ところが、最近では企業業績や個人の業績も前述のバランス・スコアカードにみるように、財務的指標一辺倒の評価から距離を置こうとしている。

ところが、報酬を支払う段になると、全てが財務的手段になってしまうのはなぜであろうか。確かに、金銭で支払えば、従業員はその報酬をいかようにも使い得るのであるから、自由度が高く、優れたシステムであることは間違いない。しかし、報酬をすべて財務的手段で支払わなくてはいけないことから、前述の証券会社のように資産管理型営業方針を打ち出していながら財務指標が低下するとすぐに方針転換を迫られてしまうのではないだろうか。

企業は従業員に対して金銭的なベネフィットしか供与できないのであろうか。もし、金銭以外のベネフィットによって従業員に報いることができるのであれば、さまざまな好ましい効果が期待できるのではないだろうか。

以下において、従来報酬とは捉えられてはいなかったものの、非財務的報酬を考える上で参考になると思われるカフェテリアプランとワークシェアリングを取上げる。

 

5.1カフェテリアプラン

カフェテリアプランとは、一般的には選択型の福利厚生制度を指している。従来は、どの従業員に対しても一律の福利厚生制度(健康保険、年金、その他)が適応されるのに対して、カフェテリアで自分の好きなものだけトレーに取っていくように、会社の用意する福利厚生メニューから決まったポイント数の範囲内で選択できることから、このような名称がつけられた。日本では401(k)の導入とときを同じくして頻繁にその名が登場することが多いので密接な関係があるかのように思われているが、本来は別のシステムである。

カフェテリアプランは1970年代の終わりごろ米国で登場したとされている。日本のように従業員全員が加入できる公的な医療保険制度のない米国においては、企業における従業員に対する厚生福利政策の一環として医療保険を企業が負担する例が多かった。しかし、自由診療制の米国において、医療費は非常に高く、医療保険が企業経営を脅かすまでになってしまった。

そこで、福利厚生コストを押さえることを最大の目的として導入されたのがカフェテリアプランである。カフェテリアプランには、年間最大利用ポイントが決められており、全体としてコストの削減が図れるからである。ただし、それだけでは従業員に対する一方的な給付削減になってしまうので、それを補う意味で従業員の要求に沿った福利厚生メニューを選べるようにしたものである。

日本においても、1995年のベネッセコーポレーション以来様々な会社でカフェテリアプランが導入されている。米国における導入が上記のようにコスト削減を目的としてものであるのに対して、多様化したライフ・スタイルに対してより適した福利厚生を実現する目的で導入されているのが特徴である。

従って、日本においては、介護保険補助、個人年金補助、契約託児所使用補助、ベビーシッター費用補助といった従来の福利厚生システムからは外れる費用に対する補助や、教育補助、資格取得補助といった自己啓発型のメニューも取り入れられていることが多い。

ただし、カフェテリアプランは一般的には福利厚生システムである。年金プランの一部に企業側が功績のあった従業員に対して特別の上乗せをするといったことはあるものの、基本的には各従業員に割り当てられるポイント数は同一である。

しかし、カフェテリアプランを通じて従業員に提供されるのは、単なる財務的給付(単純にいえば金銭で支払われる給料)とは異なった、従業員のクオリティー・オブ・ライフを高めるようなものが多数含まれている。

共創的社会においては、単純に他社との競争に勝てばよいというものではないであろう。カフェテリアプランを通して実現される従業員のクオリティー・オブ・ライフを高めるという姿勢を、従業員への本来的給付である報酬・給与の支払いに生かせないものであろうか。

 

5.2ワークシェアリング

ワークシェアリングとは、字義どおり、仕事を分かち合う(シェア)ことによって、従業員ひとり当りの労働時間を減らす替わりに、全体としての雇用を維持したり、増やしたりする仕組みのことである。1970年代の2度のオイルショックを契機としてヨーロッパで始まったといわれている。

ヨーロッパでも、国により、あるいは採用した企業により様々な形態のワークシェアリングが実施されている。主なものとしては、@雇用維持型(緊急避難型)、A雇用維持型(中高年対策型)、B雇用創出型、C多様就業対応型の4つがあげられている(厚生労働省「ワークシェアリングに関する調査研究報告書」)。

@雇用維持型(緊急避難型)とは、例えばある工場における操業率が低下した場合、本来であれば人員削減をするところを、人員削減の替わりに労働者ひとり当たりの労働時間を短縮することによって対応しようというものである。

A雇用維持型(中高年対策型)とは、中高年層の雇用維持のため、中高年層の従業員を対象に労働時間を短縮し、雇用を確保するものである。

B雇用創出型とは、失業者に就業機会を与えることを目的として、国または企業単位で労働時間を短縮することである。
ドイツでは1995年に金属産業では週35時間制が導入された。フランスでは2000年1月より従業員が20人を超えるすべての企業に週35時間制がしかれた。また、個別企業の例として、フォルクスワーゲンでは1994年より週休3日による28.8時間労働を導入した。労働時間が20数%短縮された一方、年収も10数%減少しているという。(2002年2月12日付け日本経済新聞「ワークシェアリング」)

C多様就業対応型とは、オランダにおけるワークシェアリングの体系をモデルにしている。同一労働価値・同一賃金(同じ仕事をしているなら、賃金も同じ)を基本として、常勤者とパートタイム従業員の賃金格差をなくし、積極的にパートタイムへのシフトを推進している。これにより、企業は需要の増減による労働力の過不足をパートタイム従業員の増減で調節できる一方、従業員側も、世帯としてみれば、主たる生計者の賃金が下がっても、パートタイム従業者の収入の向上により、世帯収入をある程度維持することができるようにするものである。

以上のように、ワークシェアリングという同じ言葉が使われている場合でも、国によって、あるいは適用業種・企業によってさまざまな意味を持ち得ることには、十分注意を払う必要があると思われる。

しかしながら、従来のように、何がなんでも収入を増やさなくていはいけない、という姿勢に変化が見られることは、事実であろう。現在の先進国においては、ある程度の仕事をしていれば、少なくとも生存自体が脅かされる、というような事態はなくなりつつあるとおもわれる。そして、ある程度人間的な生活ができるのであれば、仕事ばかりではない場所で自己の能力を発揮したいと思っている人間は多いのではないだろうか。

現在の日本でワークシェアリングが話題になっているのは、現在の不況の中で、余りにも評判の悪いリストラという名のもと行われている首切りに替わる雇用調整手段としてである。しかし、ワークシェアリングは、共創型社会に求められている人材を確保する上で、重要なファクターになるのである。

 

6.非財務的な報酬とは

前述のように、現在報酬として考えられているものは、ほとんどが財務的な(金銭的)報酬である。しかし、上記カフェテリアプランとワークシェアリングの考え方からは、非財務的報酬として従業員に対して提供できるであろう項目が浮かび上がってくる。

 

6.1報酬としてのカフェテリアプラン

まず、カフェテリアプランからは、従業員の個人としての資質を向上させるための教育支援があげられる。

カフェテリアプランの従業員ひとり当りの金額は10万円程度と意外にも少ない。ベネッセコーポレーションの例では、「従業員1人当りの年間利用限度は92ポイント。1ポイントが1000円に相当するので、金額に換算すると1人当り9万2000円になる。この金額は、カフェテリアプラン導入以前にかかっていた法定外の福利厚生費をベースにして決定された」(高橋 俊介『カフェテリアプラン』p123)そうである。日本におけるカフェテリアプランは、従来型の福利厚生(健康保険、社会保障)などを全面的に肩代わりするものではなく、その不足(金額的な不足ばかりではなく、メニューなど質的な不足も含む)を補填するためのものであると位置づけられているからである。従って、金額的には全従業員一律で繰り越しも許さないといったものがほとんどである(ちなみにベネッセコーポレーションでは繰越しを認めている)。

しかし、これを報酬的な位置づけに変更するのであれば、金額的にもより多くの金額を提供できるであろう。また、繰越しを認めることによって、より高度で時間も掛るような資格にチャレンジすることもできるようになるであろう。

従来、企業が従業員に提供する教育プログラムは、企業の必要性にダイレクトに結びついている場合が多かった。企業側が金銭的な負担はする代りに、その成果はきっちりと業務を通して発揮してほしいという、いわば先行投資である。従って、そのカリキュラムもお仕着せで、自由に選ぶことはできないことが多い。報酬であればその使途をいちいち企業が詮索をすることはあり得ないのであるから、報酬的な性格を持っているとは言いにくいであろう。

また、実績や能力に対して給付されるのが適当であるとも思えないが、出産・育児あるいは介護に対する給付も、大きく取上げられてもよいのではないだろうか。

企業にとって、家庭生活に時間を取られることは生産活動に対する単なるサボタージュであり、従業員は全身全霊を傾けて企業に尽すべきであるとでもいわんばかりの態度が日本では目立つが、企業も社会的存在である。そして、現在社会は共創化しつつある。少しでも能率の上がらないものを次々とくびにしていき、業績だけを追求することは許されないのではないだろうか。

逆に、出産や育児に限らず、共創的な発想に基づいた給付を従業員に対して行っている企業は、ただ単に金銭的なベネフィットを厚くするより、優秀な人材を確保し、繋ぎ止めておく確率は高くなるのは当然ではないか。

朝から晩まで営業に明け暮れている従業員より、社会におけるさまざまな活動を通じて経験を積んだ従業員の方が、成熟した市場における顧客満足度を高めるような発想・立案に力を発揮すると思われる。

現在は従業員福利厚生の一環として捉えられているカフェテリアプランであるが、企業の人事戦略に適合する形で活用していくことが望まれる。

 

6.2報酬としてのワークシェアリング

上記報酬としてのカフェテリアプランとも大きく関係するところであるが、ワークシェアリングの考え方からは、時間と報酬に関する考察が得られる。

現在の日本においては、良く働く=長く働くことであるかのような錯覚が蔓延していることも手伝って、ワークシェアリングを積極的に取り込んでいこうというよりは、不況のなか、苦し紛れに採用しているようにも思える。ひどい場合には、企業側の賃金抑制策の一貫として採用される場合もあるようである。

しかしながら、上記カフェテリアプランに組み込まれている自己啓発プログラムと組み合わせることで、別の活用方法が見えてくる。

給与の替わりに時間を支給していると考えるのである。

現在では、どこの企業でも自己啓発を奨励していると思う。しかし、自己啓発に必要とされる資金を補填している場合でも、時間までは面倒を見ていないのではないだろうか。金はやるからあとは勝手にやれ、というわけである。おまけに日本企業では依然として単に長く会社にいるだけの長時間労働がはびこっている。自己啓発に時間を割こうと思っても、よほどの決意をしてかからないと挫折してしまうことは、社会人を経験した方なら誰でも経験があるのではないだろうか。

現在、日本経済の低迷を受け、多くの企業が労働時間の短縮、リストラ(という名のもとの首切り)を強いられている。その中で、ワークシェアリングを取り入れている企業も多い。ところで、企業は従業員の労働時間を短縮したとき、従業員がその時間で何をすることを願っているのだろうか。単に昼寝していることを願っているのではないだろう。アルバイトを認めている企業まである(資料2参照)。もちろん、ワークシェアリングによる家計全体の収入不足を補わなくては生活ができないのであればそのような施策も意味のあることであろう。しかし、世帯中の労働可能な人間がすべて朝から晩まで働かなくては生活ができない、といったことはないのではないだろうか。その場合、余った時間を自己啓発に当てていてくれることは、企業にとっても、従業員にとっても、意義のあることではないだろうか。

同様のことは、別にワークシェアリングを行っていない場合でも採用することができるであろう。ある程度の労働時間を削る(報酬も連動して減らす)ことと引き換えに労働時間を短くする、などということも可能であろう。たとえ向学心に燃えていたにしても、このようなことは現在ではおそらくアルバイトのような労働条件でなくては実現できないであろう。

また、現在では長期休職が難しいことから、NGOなどの社会貢献活動に参加したいと思っても、社会人が実際に長期間参加することは難しい。仕方なく企業を退職している場合も多いようである。

このような貢献活動をしたいと思っている人間にとって必要なのは、活動を終えた場合に帰ってくることができる職場があればそれでよいのではないだろうか。別に活動を賞賛してくれ、帰ってきた暁にはより高いポストを提供してくれ、などということを求めているのではないだろう。任務終了後に帰ってこられるポストを用意することを約束すれば、このような活動に挑戦しようという人材は数多くいると思うのだがいかがであろうか。

それだけではなく、NGOのような社会的貢献活動に寄与した人材が企業に存在するということは、企業の社会的声望を高めこそすれ、低めることはないであろう。しかも、現在の成熟した市場で顧客と対峙する人材を求めるとき、社会貢献活動を実践してきた人材は大変有用であると思うのだがいかがであろうか。

内容的にはオーバーラップすることが多いカフェテリアプランとワークシェアリングの考え方の活用であるが、共通することは、従来は従業員に対するインセンティブとは考えられなかったものも、企業の戦略に合わせた形で活用すれば、従業員のインセンティブを引き出す上で大きな武器となるということである。

さらに、現在の成熟した市場を相手とする人材を育てるには、今まで企業が無駄であるとして打ち捨ててきたような非財務的な価値観を優先せざるを得ない。そうであるとすれば、従業員に対する報酬の支払い方、インセンティブの与え方もおのずと変化していかざるを得ないのである。その場合に、上記のような非財務的な(金銭ではない)報酬も十分に考慮に値するものになるのである。

 

7.結論

現在日本企業が直面している市場は、大変成熟した市場である。それに不況という要素が加わり、消費者の企業に対する目は大変厳しいものになっている。単に安いというだけでは消費者は振り向かない。安く、品質も良く、なおかつ販売やアフターサービスにおける従業員の接客態度まで最高のものが求められている。企業は消費者の要求に木目細かく答えなければならない。先ごろも、親会社に続いて子会社でも不祥事が発覚した雪印食品が、事件発覚からほどなく解散に追い込まれてしまった(資料4参照)。社会は共創化しているのである。企業の都合だけを考えていればよい時代ではなくなったのである。

そのような企業にとって、従来のように、財務的指標にのみ頼って経営を行っていくことはできなくなってきている。そこで登場してきたのが、バランススコアカードのように、財務指標以外の指標をも取り込んでいく考え方によって企業業績を多角的に捉えるようになってきた。

企業に求められる人材にも同じことがいえる。マニュアルをこなしていくだけで許された時代とは異なり、顧客のわがままな注文に応えるために創意工夫を凝らすことが要求されている。そこにはマニュアルもなければ先例もないのである。

このような人材を評価するには、当然従来のように売上一本で評価するなどということは許されないはずである。しかし、現在でも実績主義の名のもとに、結局は財務的指標が他の何にもまして優先されている場合がある。

それだけでなく、業績を評価すれば、それに見合う報酬が支払われるのであるが、その手段はほとんどが財務的手段(金銭)によって支払われている。

企業業績を評価するにも、従業員の業績を評価するにも財務的指標ばかりではなく他の指標も取り入れているにもかかわらず報酬を支払う段になると財務的手段しか用いないのはなぜであろうか。これでは、「結局大切なのは金だ」と告白しているようなものではないか。

企業が長期的インセンティブとして支払っているはずのストック・オプションも、実際にはキャッシュフローを確保するための手段に過ぎなかったし、従業員のために用意した退職金・年金システムも、結局は企業の財務内容を改善するために401(k)のようなシステムに変更されてしまった。しかし、現在の成熟市場では企業は顧客のロイヤリティーを高めようとしている。その場合当然従業員のロイヤリティーも求められる。

そこで私が本稿で提案するのが、非財務的手法を用いた報酬の支払である。

従業員を評価する場合に、非財務的な指標を用いるのであれば、報酬を支払う場合にも非財務的な手段を用いたほうが、企業理念をよりよく従業員に伝えることができ、なおかつ従業員にとってもメリットのあるシステムとすることができる、というものである。

非財務的な報酬を考える際に参考になるのが、従来は福利厚生システムの一環として捉えられていたカフェテリアプランやワークシェアリングの考え方である。本稿では、カフェテリアプランやワークシェアリングの考え方を使った非財務的な報酬例を示した。非財務的な報酬に関しては、これ以外にも多くの使い方があるであろうし、また、実現には税制上の問題など解決しなくてはならない多くの問題を含んでいることも事実である。それでも、それら非財務的報酬は、従来の財務的(金銭的)報酬では実現しきれなかった従業員のクオリティー・オブ・ライフの向上に資するものであると思う。

人材という言葉を、中国語圏では人「才」と書くようである(インターネットで人才でサーチをかけると中国語系のヘッドハンティング会社や人才(人材)募集らしきホームページがたくさん出てくる)。企業にとって人材とは、使い捨てができ、いくらでも補充が利く原材料ではなく、貴重な経営資源であることをよく示している。

「企業経営において、人の問題は最も重要な課題である。企業が社会的な存在として認められるのは、人の働きがあるからである。人の働きはどうでもいいから、投資した資金の効率のみを求めたいという事業家は、事業家をやめた方がいいと私は思う。事業を行う以上、社員の働きをもって社会に貢献するものでなければ、企業が社会的に存在する意味がないと思うのである。」(小倉 昌男『経営学』p141)同感である。

日本企業は構造的な不況に苦しんでいる。多くの企業がリストラの悪循環に陥っている。また、人事を巡る諸制度は、すでにアメリカにおいて問題が露呈してしまった手法を取り入れるための法制度がやっと整備された状況にある。今一度、企業と従業員の関係を見直し、健全な発展をもう一度とりもどす手段として非財務的な報酬の活用を願いたいものである。

 

 

資料1

「従業員働かない」は誤解 富士通の副社長が釈明

 富士通の秋草直之社長が経済誌のインタビュー記事で、業績の悪化は「従業員が働かないからいけない」などと従業員に責任転嫁する発言をしたことについて、高谷卓副社長は24日「ビジネスは経営者が責任をとるものだ。(秋草社長は)誤解される発言をした」と述べ、記事は真意が伝わっていなかったとの釈明をした。中間決算の発表会見で質問に答えた。

 秋草社長は今月発行された「週刊東洋経済」の記事で業績悪化の責任について質問され、「株主に対してはお金を預かり運営しているという責任があるが、従業員に対して責任はない。やれと言って(社長は従業員に)命令する。経営とはそういうものだ」などと発言。一部の週刊誌も報じるなど波紋を呼んだ。

河北新報社10月24日 http://www.kahoku.co.jp/news_s/20011024KIIAEA21610.htm (01/16/2002)

資料2と資料1を比べると、経営者としての資質に差があるようにも感じられる。ただし、バブルも崩壊し、ITバブルも崩壊して厳しい状況に追い込まれた2001年のIT産業と、1989年バブルの絶頂にあり、恐いもの無しであった日本の金融機関との差は斟酌しなくてはいけないであろう。日本の金融機関が真価を問われるのは、これからである。

 

資料2 <日立>従業員のアルバイトOK 賃金低下補てんの例外措置で (毎日新聞-全文)

2002221()222

 日立製作所は21日、国内3カ所の半導体工場で現業部門の従業員約2000人を対象に、就業規則が禁じているアルバイトなど「副業」を認めていることを明らかにした。IT(情報技術)不況で、3工場は工場の稼働率が落ち、昨年11月から3月までの期間限定でワークシェアリングを導入しているが、賃金低下を補てんするための例外措置だという。
 3工場は、茨城県の那珂製造本部と群馬県高崎製造本部、山梨県の甲府製造本部。従来は4人1組の3交代勤務だったが、現在は1人多い5人で分担しており、その分1人当たりの労働時間と賃金が少なくなっている。日立は「勤務形態の変更自体が緊急避難的な措置で、全社的に副業を広げる考えはない」と話している。また、実際に何人が副業しているかについても、把握していないという。
 IT不況で業績悪化の電機メーカーの労組でつくる電機連合は、ワークシェアリングの導入に伴って、副業規定の見直しを提起している。4月に導入予定の三洋電機は、労使間で就業規則で禁止している副業の扱いについて協議を続けている。
[毎日新聞2月21日] ( 2002-02-21-22:02 )

http://news.lycos.co.jp/topics/business/hitachi.html?cat=2&d=21mainichiF0222m048 02/23/2002)

 

資料3 ゆとり

「営業員は少しでも成績を上げるため、寸暇を惜しんで企画書作成にとりかかり、1軒でも多く代理店を回っている。夜遅くに家に帰ると、夕食どころか背広を寝間着に着替え、翌朝は寝間着から背広に着替えて出勤する。その繰返しに違いない。これでは仕事に追われっぱなしで、人間としてのゆとりも生まれない。考えてみれば、私自身も若い時から、この背広と寝間着の繰返しだった。」

「安田火災は89年(平成元年)2月に完全週休2日制を導入したが、その一方で残業時間はなかなか減らなかった。」

「こうした実態を踏まえ、同年に「ゆとりと豊かさのある企業」を企業戦略の一つに掲げた。」

「平均労働時間を短縮し、浮いた時間を有効に使い、自己啓発、家族との対話、地域での奉仕活動に振り向けてほしい。それによって生活の中味は豊かになり、会社の仕事もレベルアップするはずだ。」

(後藤 康男 安田火災海上保険名誉会長 日本経済新聞「私の履歴書」2002年2月19日)

 

資料4雪印食品4月解散 偽装で経営悪化

     

乳業が支援負債穴埋め 営業譲渡目指す

 牛肉偽装事件で経営難に陥っていた雪印食品は22日午前、臨時取締役会を開き、経営再建を断念し、臨時株主総会の決議を経て4月末をめどに会社を解散することを決めた。食肉、ハム・ソーセージなどの事業を3月末までに順次縮小する。雪印食品は事業や従業員の雇用を引き受けてくれる営業譲渡先を探すとしているが、最終的には清算される見通しだ。解散に伴う損失額は240億円に達するが、親会社の雪印乳業が最大250億円の金融支援を行い、取引先への代金支払いや負債の弁済にあてる。消費者離れによって会社が解散に追い込まれるのは異例で、雪印グループは消費者の信頼回復に向けて、引き続き厳しい経営を迫られることになる。

2002年2月22日読売オンライン、 http://www.yomiuri.co.jp/gisou/g20020222_40.htm (02/24/2002))

 

 

参考文献

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Brian Friedman, James A. Hatch and David Walker (1998), DELIVERING ON THE PROMISE, Arthur Andersen LIP 梅津 祐良訳(1999)『ヒューマン・キャピタル・マネジメント』生産性出版)

平井 謙一(1998)『これからの人事評価と基準』生産性出版

Robert S. Kaplan, David P. Norton, (1992), The Balanced Scorecard – Measures that Drive Performance, Harvard Business Review1992 Jan.-Feb. Diamondハーバード・ビジネス・レビュー編集部訳(2001)「バランス・スコアカードとは何か」『業績評価マネジメント』(2001)ダイアモンド社pp155180

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厚生労働省「ワークシェアリングに関する調査研究報告書」http://www.jil.go.jp/kisha/stoukatu/20010426_02_st/20010426_02_st.html (02/13/2002)

小倉 昌男(1999)『経営学』日経BP出版センター

堺屋 太一(1993)『組織の盛衰―何が企業の命運を決めるのか PHP研究所

高橋 俊介(1996)『カフェテリアプラン』日経BP社

高橋 俊介(1998)『人材マネジメント論』東洋経済新報社

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Jack Welch, John A. Byrne (2001), Jack Straight from the Gut, John F. Warner Books, (宮本 喜一訳(2001)『ジャック・ウェルチ わが経営』日本経済新聞社)

柳田 邦男(1998)『この国の失敗の本質』講談社