2017年度の書評はこちら

201612

クリストフ・ドレッサー 福原美穂子訳『数学の誘惑 』講談社

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数学の誘惑 [ クリストフ・ドレッサー ]
価格:2160円(税込、送料無料) (2016/10/24時点)

 

数学なんぞに誘惑されるわけねえだろう、と思ったあなた。ま、普通はそうですよね。ではありますが、実は私たちの生活のあちこちに数学で解ける問題が転がっているのです。そう言えば、どんな問題だって経済学で解ける、なんて本(その問題、経済学で解決できます)をご紹介したこともありましたねえ。だったら、人間はもう少し賢くなっていてもよさそうなんですけどね。

本書では様々な“えっ、そうだったの”という話題が簡潔な数学的説明とともに解き明かされていきます。ではありますが、私が本書で何と言っても面白いと思ったのは、ドレッサーさんがドイツ人ですので、設定例として取り上げられているトピックが滅茶苦茶ドイツっぽいんです。私はドイツ人の書いた本なんて読む機会があまりありませんので、数学うんぬんよりそちらの方が面白く感じました。それじゃ、だめじゃん!!

 

 

サイモン・シン 青木薫訳『数学者たちの楽園』新潮社

以前本書評でも取り上げた『暗号解読や『フェルマーの最終定理』を書かれたシンさんの著書ですので読んでみました。

「ザ・シンプソンズ」は日本の地上波で放送されていませんので、一般的にはあまりなじみがないと思われますが、それでも、黄色いギザギザ頭でギョロ目のバート・シンプソンに代表されるキャラクターはアメリカ雑貨などで目にしたことがあると思います。この「シンプソンズ」の物語にはさりげなく数学ネタが沢山潜んでいるんだそうです。たとえば、登場する小さな女の子が積み木を重ねている場面で、その文字列が上からEMCSQUE=MC²)になっているとか、黒板にさりげなく398712 + 436512 = 447212 (もし正しければ、フェルマーの最終定理の反証になる)なんて書かれているのだそうです。

なんでこんなことが書かれているのかというと、「シンプソンズ」の脚本家陣に多くの数学や物理学のバックグラウンドを持った面々が参加しているからなのだそうです。素粒子物理学の博士号を持っているというシンさんの経歴もなかなかすごいものがありますが、「ザ・シンプソンズ」の脚本家の方々ってのもなかなかすごい経歴をお持ちのようです。本書で紹介されているのは、UCBで数学の修士号、UCBでコンピュータ科学の修士号、ハーバードで応用数学の博士号、プリンストンでコンピュータ科学の博士号なんて学歴をお持ちの面々が「ザ・シンプソンズ」の脚本を書いているのだそうです。

脚本家が高学歴であることに驚くのではなくて、数学や物理学という思いっ切り理系的バックグラウンドを持つ人間が脚本家なんて言う文系的な仕事をしていることに驚きます。経歴見ただけで理屈っぽくて付き合いにくそうだなんて思われちゃって、日本のテレビ局じゃ雇ってくれないでしょ。意外にもアメリカの方が懐が深いみたいですねえ。

英語で書かれた言葉遊びのジョーク(しかも数学用語!)なんてのは日本人にはピンと来ないものもありますが、脚注など多くの追加説明が施されていますので、英語で高等数学を学んだことがある、なんて方でなくても楽しめると思います。私でも結構楽しめましたよ。

 シンプソンズに関する最新の話題。シンプソンズは2000年にトランプ大統領を予言していたんですって。いろいろ話題を提供してくれますねえ。

 

ローレンス・クラウス  青木薫訳『宇宙が始まる前には何があったのか? 』文藝春秋社

現在の科学が理解するところでは、宇宙は1372千万年前に起こったビッグバンで始まったとされています。んじゃ、その前はどうだったの、ってのは私どものような素人でも思いつく疑問であります。

現在の理解では、「何もない状態から何かが生じた」と考えられています。この「何もない状態」ってのはなんだ、って思った方は本書をお読みください。私にゃ説明できません。

で、この「何もない状態」から宇宙が誕生した際に「物理法則は、宇宙が生まれた時に、その宇宙と一緒に出現した」と考えられているようです。物理学では光速は秒速30万キロメートル、なんて言われていますが、別に秒速30万キロメートルでなくてもかまわない、ということになります。私たちの住んでいる宇宙ではたまたまそうだ、というだけに過ぎないのです。光速度があまり速かったり遅かったりすると宇宙そのものが成り立たないと読んだことがあります。ですから、私たち以外の異なった物理法則とかを持つ宇宙が存在してもおかしくはない、と考えられているようではありますが、誕生と同時(あるいはごく短時間)で消滅してしまった宇宙なんてのもたくさんあるのかもしれません。

では、私たちの宇宙以外の現存する異なった物理法則とかを持つ宇宙とコンタクトすることはできるのでしょうか。本書には書かれていませんが、コンタクトはおろか、知覚(認識・観測)することすらできないのではないか、なんて読んだことがあります。UFOだなんだって言われていますが、知覚できるのであれば、私たちと同じ宇宙のお隣さんってことになります。んー、少しは親近感が湧きますねえ。

ところで、「現代の宇宙観は、わずか百年前の科学者たちが総じて信じていたものと比較してさえ、あまりにも大きく変化している」のだそうです。あと20年くらいしたら、全く違う理論が書いてある「新しい宇宙の理解」なんて本が出ているのかもしれませんね。楽しみですねえ。

 

 

エドワード・フレンケル 青木薫訳『数学の大統一に挑む』文藝春秋社

著者のフレンケルさんの経歴自体がほとんど奇跡の域に達しています。「1968年に旧ソ連のコロムナという地方として生まれる。高校時代は量子物理学に興味を持つが、両親の友人である数学者の手引きで数学の魅力に目覚める。父親がユダヤ人であるため、モスクワ大学の入学試験では、全問正解したにもかかわらず、不合格となり、やむなく石油ガス研究所(日本でいうところの工業大学)に入学し、応用数学を学ぶ。だがその一方、ひそかに純粋数学の研究を続け、まだ学部在学中に、運よくソ連国外に出た論文が認められてハーバード大学に客員教授として招かれ」たんだそうです。いまはUCBの教授みたいです。アッタマ良いんだろうなあ、ハア。

フレンケルさんがソ連から出られたのは、折よく始まったペレストロイカの影響であったそうです。で、このころ多くの数学者などがソ連から海外に頭脳流出したなんて書かれていました。そう言えば、2000年代に入ってからですが、ある会社に勤めているときに随分とたくさんのロシア人(みんな数学とかの博士号を持ってました)の同僚と働いた記憶があります。この本を読んでなるほどそういう事情だったのか、なんて思いました。余談ですが。

で、そのフレンケルさんが現在取り組んでいるのが「ラングランズ・プログラム」。ここ数世紀の間に数学は高度に発展し、また細分化してきました。で、数学の専門家同士でも話が通じないほど細分化していたのだそうです。ところが、研究を進めていくうちに、関係ないと思われていた分野の方法論が別の分野でも活用できる、なんてことが発見されるようになりました。そうであるとすると、細分化された数学の各分野も、充分に掘り下げれば大統一理論が背後に隠されているのではないの、という予想が広まって行ったのだそうです。こんなことを体系化したのがロバート・ラングランズという人なのだそうです。かつてはアインシュタインも就いていたというプリンストン高等研究所の教授だそうです。この人がどのくらい天才かって言うと、大学に入るまでは英語(この方アメリカ人ですから当然)しかできなかったのですが、どうやって勉強したのか現在ではフランス語、ドイツ語、ロシア語、トルコ語に通じているんだそうです。フレンケルさんはかつてラングランズさんからロシア語原文で読んだロシアの作家リストをもらったことがあるのだそうです。著者のフレンケルさんは前述の通りロシア生まれですが、フレンケルさんより幅広くロシア文学を読んでおり驚嘆したそうです。天才ってのは違いますねえ、いろんな意味で。

この「ラングランズ・プログラム」を分かりやすく解き明かしたのが本書なのですが、私の算数の才能では、字面を追うことすら無理でした。フレンケルさんは一応、スゲー、難しいとこだから分かんなくても落胆しないでね、って慰めてくれてますけどね。

ご興味のある方は是非ご一読を。分かるかどうかは、あなた次第……、なんちゃって。

 

 

201611

スティーヴン・ワインバーグ 赤根洋子訳『科学の発見』文藝春秋

 
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科学の発見 [ スティーヴン・ワインバーグ ]
価格:2106円(税込、送料無料) (2016/9/24時点)

著者のワインバーグさんは「「電磁力」と「弱い力」を統合する「ワインバーグ=サラム理論」」(何のこっちゃ)により1979年にノーベル賞を受賞した当代一流の理論物理学者です。

本書では物理学と天文学に重点を置いた「科学の発見」が論じられています。「本書の中で私は、現代の基準で過去に裁定を下すという、現代の歴史家が最も注意深く避けてきた危険地帯に足を踏み入れるつもりである」ということで大いに話題になりました。本書において偉大であるとされた過去の科学者たちがケチョンケチョンに貶されていますが(「これまで誰も指摘したことのない、科学史上のヒーローたちが犯したミスをいくつか暴くことに私は若干の喜びさえ覚えた」)、これは何も“あいつらオレ様が知っていることを知らなかった”なんてことを批判しているわけではもちろんなく、その方法論、あるいはものの考え方、に着目して批判しています。科学じゃなくて宗教か文学じゃないか、って。

とは言え、ワインバーグさんは物理学者で数学者ではありません。「数学者たちは「物理学者が書いたものはいらいらするほどあいまいだと思うことが多い」」なんて思っているそうですし、物理学者は「数学者の書いたものは、厳密さに対する彼らのこだわりのせいで、物理学にとってはほとんどどうでもいいところでややこしくなっている」」と感じるんだそうです。

ま、そうだとすると物理学者と、文学者とか芸術家の間に横たわる溝ってのは意外と深いのかもしれませんねえ。ワインバーグさんは「生物学のような、その法則が歴史的偶然によって大きく左右される科学がどこまで物理学を模倣できるか(あるいは、模倣すべきか)についてはもちろん限界がある」なんて書いています。私は経済学とか経営学を学んできましたが、経済学とか経営学ってどちらかというと文学に近いように思っています。あらゆる問題は理論的に解明できるはずだ、という立場を採る方がいらっしゃることは分かりますが、私がそのような立場に与することはないと思います。だって、それじゃ面白くないじゃん。ヘミングウェイも言っていたはずです。“それじゃ競馬が成り立たないだろう”って。

とは言え、あまり詳しく取り上げられることのなかったイスラム世界における科学の発展など、大変面白い記述も多く見られました。一読の価値はあると思います。

 

 

スティーヴン・グリーンブラット 河野純治訳『一四一七年、その一冊がすべてを変えた』柏書房

 

今から600年ほど前、ポッジョという男が修道院の本棚にルクレティウスの「人間を含む万物はたえず動き回る極小の粒子でできている」なんぞという涜神的なアイデアが書いてあるローマ時代の本を見つけました。で、ポッジョは写本づくりを命じ、このことがルネサンスを促進したのだ……、という物語です。前出のワインバーグさんからすると、実験や証明も何もなしにそう思っただけじゃ、なんの意味もないじゃん、ということになりそうですねえ。ただ、本書の著者のグリーンブラットさんはルネサンス期、あるいはシェイクスピアの文学などを専門にする思いっ切り文系の背景を持った方のようです。そりゃワインバーグさんとは考え方が違うわな。

本書は堅苦しい歴史書ではなく、どちらかというとあれこれのうんちくを傾けながら物語が進んで行きます。中でも印象に残ったのは、ローマ時代の貴族たちの暮らし。インテリでもある彼らは多くの書物を所蔵し、仲間とともに議論を交わす、なんて真に知的な生活を送っていたんですって。日本人も以前は電車の中で本を読んでいる人が多くいましたが、最近じゃ老いも若きもスマホでゲームですもんね。ダメだこりゃ。

ところで、このポッジョはヨハネス23世って教皇に使えていたのですが、ヨハネス23世って最近のローマ教皇じゃなかったっけ、と思ったあなたは鋭い。15世紀のヨハネス23世って、歴史的には対立教皇なんて呼ばれていて、当時は何と3人が俺が本物の教皇だって言い張ってた時代(大シスマ)なんですよ(後のコンスタンツ公会議で3人とも廃位)。思いっ切り権謀術数が渦巻く世界だったんでしょうねえ。この時代に庶出ながら教皇秘書にまで上り詰めたポッジョって人も、今じゃ有名じゃないけど、相当なタマだったことがうかがえますね。

歴史が、とか学問的にどうのこうの、ってよりは面白い歴史小説としても読める本書、是非ご一読を。

 

 

ウンベルト・エーコ 橋本勝雄訳『プラハの墓地』東京創元社

 

本書評でも『バウドリーノを取り上げたことがあるエーコさんの恐らく最後になる(今年初めに亡くなりましたから)長編小説のようです。

本書は『バウドリーノ』と同様“フェイク”を主題としているので似通った印象を持ちました。ただし、『バウドリーノ』は物語そのものが何重にもフェイクのモザイクの中に埋もれていますが、本書は史上もっとも有名な“フェイク”文書の一つであろう“シオン賢者の議定書”をテーマにしているところが大きく異なっています。“シオン賢者の議定書”って、フェイクであることは確かなのでしょうが、実在しますからね。

今でも“シオン賢者の議定書”は陰謀史観のトンデモ本には良く登場します。“シオン賢者の議定書”そのものはかなり荒っぽいでっち上げ本のようではありますが、“家畜人類(ゴイム)には娯楽やゲームをあてがって、まともな精神性を持たせないようにする”とか、“家畜人類(ゴイム)を金融でがんじがらめにして搾れるだけ搾る”なんて考え方は、今から100年以上前に書かれたとは思えないほど現代社会をものの見事に描き出しているように思えます。そんなところが今でも折にふれて取り上げられる理由なのでしょう。

本書には私が見たことも聞いたことがないエピソード(歴史上の事実であるものも、エーコさんの創作になるものも)がてんこ盛りになっています。物語の語り手そのものが何人も現れる(しかもそれぞれが独立した個人という設定なのかそうでないのかもよく分からない)というエーコさん好みの複雑怪奇な構成を取っています。いずれが嘘か真か、なんて思いながら読み進めると、きっと頭がこんがらがって眠れなくなる(か、よく眠れる)でしょう。分厚い本書ですが、結構楽しく読了することができました。是非ご一読を。

 

 

大野 裕之チャップリンとヒトラー』岩波書店

 

生まれも経歴も大きく異なる二人ですが、二人とも18894月生まれで、生まれた日もたったの4日違いだそうです。また、外見もそっくり、というほどではないにしても、ちょび髭を生やした小男(実際のヒトラーは身長175pで決して小男ではなかったにも係わらず)というイメージは共通しています。

『チャップリンとヒトラー』、という題名からまず頭に浮かぶのは、チャップリンの代表作(最も興業的に成功した作品だそうです)でもある『独裁者』でしょう。公開されたのは1940年。アメリカが第二次世界大戦に参戦する前です。アメリカ国内にはナチスのシンパ(ドイツを復興させた指導者としてヒトラーを評価していた)も多く居たと言われています。ヒトラーはTime誌の表紙にもなりましたし、ノーベル平和賞の候補にもノミネートされていたんですって。そんな時代にヒトラーとナチスドイツを笑いのめす映画を作ったのですから、チャップリンとしても相当の覚悟を以て制作に当ったのだと思います。外国の要人を茶化すような映画を作ることは、さすがに現代のハリウッドでも……、と書いたところで思い出しました。あったわ。ザ・インタビュー』とかね。

制作過程においては、ドイツのみならずアメリカやイギリスからも外国の要人を揶揄する映画を作るな、と圧力がかかったそうです。もっとも、公開当時はすでに欧州では開戦しており、公開できた国々では素晴らしい興行成績を上げることができました。

とはいえ、アメリカの参戦以前、米国の世論は参戦派と孤立派の間で真っ二つに分かれていました。『独裁者』は参戦派の「アメリカを戦争に引きずり込む好戦的な作品だ」なんて言われていたそうです。ものは言いようですね。

第二次世界大戦は、みなさんご存知の通り、アメリカの勝利に終わるわけですが、その後もチャップリンは『独裁者』の評判に悩まされることになります。後の赤狩りにつながる「非米活動委員会」なんてのがチャップリンに対して執拗な攻撃を加えることになりました。後に世界の敵と認定されたナチスドイツに果敢に戦いを挑んだわけですから、その先見性を高く評価されそうなものですが、1952年チャップリンはアメリカから事実上の追放(理由不明のまま再入国許可が取り消し)になってしまいました。結局チャップリンがアメリカの土を踏むのはアメリカがベトナム戦争敗戦後の1972年になってしまいました。

戦時中は当然のことながら『独裁者』を上映禁止にした国々でも、戦後リバイバルで上映されると、拍手喝采で迎えられたそうです。御多分に漏れず、日本でも。チャップリンの言動はあまりブレなかったのですが、アメリカの政治や世論、アメリカだけではなく世界中の国々の政治や世論はブレまくったみたいです。人間ってのは中々に恐ろしいものですね。

皆様も是非ご一読を。

 

DVDもどうぞ。本書に言及されているので改めて見直してみると、この映画、最後の有名な演説シーンの後どうなったかが描かれていないんですね。演説で世界に平和が訪れました、とかなんとかって言う陳腐な終わり方をしていないんです。演説を聞くのはいつでもフィルムを見ているあなた。ですから常に新しい。私も再度見ました。そしてあらためて感動いたしました。

 

 

201610

内田 樹編日本の反知性主義』晶文社

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日本の反知性主義 [ 内田樹 ]
価格:1728円(税込、送料無料) (2016/8/25時点)

 

本書は哲学研究者であり武道家でもある内田さんが「その見識を強化する書き手の方々に寄稿を依頼し編んだアンソロジー」です。その言動からも明らかだと思いますが、内田さんは明らかに安倍政権に対して危機意識を持っています。「しかし、あきらかに国民主権を蝕み、平和国家を危機に導くはずのこれらの政策に国民の40%以上がい真でも「支持」を与えています」としています。なぜなのか。「私たちにはこの問題を精査する責任があると思います」

まあ、“反安倍派”の論文集、ってとこですか。

反知性主義とは何か、について内田さんは本書の最初の方で解説しています。まず、ロラン・バルトの「無知」について引用しています。「無知とは知識の欠如ではなく、知識に飽和されているせいで未知のものを受け入れることができなくなった状態を言う」んですって。なるほど、よく分かりますね。

で、反知性主義者ってのは「理非の判断はすでに済んでいる。あなたに代わって私がもう判断を済ませた。だから、あなたが何を考えようと、それによって私の主張することの真理性には何の影響も及ぼさない」と考えているような方々なのだそうです。「その人自身は自分のことを「知性的」であると思っているかもしれない。多分、思っているだろう。知識も豊かだし、自信たっぷりに語るし、反論されても少しも動じない」んだそうです。そう言えば、どっかの総理大臣も答弁で「私が責任者ですから」なんて言ってまともに議論をしようとしない方がいらっしゃいましたねえ。あ、東条英機元首相のことですよ。

様々な分野から選ばれた執筆者たちですので、内容が一致しているとは言えないかと思いますが、逆に様々な視点から見た“反知性主義”を一冊で読める、という利点もあります。なかなか面白い一冊でした。

 

 

森本 あんり反知性主義』新潮選書

 

日本の評論家たちが現在の日本の社会状況を表す言葉として「反知性主義」という言葉がよく使われるようになりましたが、元々「反知性主義」(anti-intellectualism)という言葉は『アメリカの反知性主義を著したリチャード・ホフスタッターが作った言葉です。「1963年に出版されたこの本は、マッカーシズムの嵐が吹き荒れたアメリカの知的伝統を表と裏の両面から辿った」本なのだそうです。

本書はアメリカでベストセラーになったそうですが、日本で翻訳されたのは2003年のことだったそうです。翻訳されなかった理由は、「日本人には理解しにくいアメリカのキリスト教史を背景としているところにある」のだそうです。アメリカって学問の分野でも文字通り世界一の国ではありますが、一方で進化論を学校で教えてはいけない、なんて法律ができちゃう国でもあり、聖書に書かれていることは一言一句歴史的真実である、なんてことを信じている人たちが沢山いる国でもあります。だもんで禁酒法なんてヨーロッパではありえない極端に禁欲的な法律が成立しちゃうこともあるんです。本書にも、「都会には売春と飲酒と賭博が蔓延する一方で、プロテスタント的・中流階級的な倫理観は他のどの国よりも強い」なんて書かれています。思いっ切り矛盾しているんですね。

もちろんヨーロッパもキリスト教文化圏ではありますが、アメリカのそれとは微妙に異なっているようです。日本のキリスト教に対する理解はどちらかというとヨーロッパ寄りで、アメリカ的なキリスト教原理主義にはあまりなじみがないようです。ということでホフスタッターさんの本を理解するために森本さんが解説しました、という訳です。

本書の中で森本さんは「反知性主義」を理解するうえで、「知性」(intellect)と「知識」(intelligence)の違いに注目しています。「「インテリジェントな動物」はいるし、「インテリジェントな機械」はある。しかし、「インテレクチュアル」な動物や機械は存在しない」「この歴然たる用語法の違いは、何を指し示すか。「知性」とは、単に何かを理解したり分析したりする能力ではなくて、それを自分に適用する「ふりかえり」の作業を含む、ということだろう」「だから、犯罪者には「知能犯」はいるが、「知性犯」はいまいのである」ですって。なるほどねえ。思いっ切りうなずいちゃいますねえ。「先生」なんて呼ばれている職業の方で、確かに学校の勉強はできたんだろうなあ、とは思いますが、他人の言うことなんか何にも聞いてないし分かろうとも思っていない、思いっ切り頭の悪そうな奴って居ますもんねえ。

詳しい内容はぜひ本書をお読みいただきたいと思いますが、アメリカにおけるキリスト教の持つ意味などには、なるほどな、と思わせものがありました。現在、アメリカ大統領選挙でのトランプ旋風が話題になっていますが、本書を読むとアメリカ人がトランプ氏をどのように捉えているのだろうか、そして本人はどう思っているのか、なんてことがおぼろげながらも分かるような気がします。

アメリカという複雑にして怪奇な国を理解するためにも是非本書をお読みいただきたいと思います。

 

 

山岸 俊夫心でっかちな日本人』ちくま文庫

 

私の論文をはじめ様々な機会にご紹介させていただいた山岸さんの著作を、もう一冊ご紹介いたしましょう。

本書のキモは冒頭に書かれていました。現状の私たちは、「私たち日本人の多くは、急速に変化しつつある経済や社会の現実(いまの日本や自分自身のあり方)に対処できなくなってしまっていることを漠然と理解し、「変わらなくてはいけない」「変えなくてはいけない」という思いを強くい抱きながら、いったい何を変えなくてはけないのか、どう変わらなくてはいけないのかがわからないまま、呆然と途方にくれているのです」という状態だとしています。なぜそんな状態にあるのかというと、「私たちの鑑識眼(日本社会の現状を正しくとらえるための鑑識眼)が曇ってしまっているから」だとしています。そして「私たちの鑑識眼を曇らせているのは私たちが『心でっかち』なものの見方をしているからだ」と指摘しています。

「心でっかち」とは山岸さんの造語ですが、「頭でっかち」の類比から考えると分かりやすいでしょう。「頭でっかち」が理屈だけで分かった気になっているだけで実際には上手く行かない、頭と行動のバランスがとれていない状態だとすると、「心でっかち」は心の持ち方を変えればすべてが解決すると思い込む、心と行動のバランスが取れていない状態になります。「心でっかちな人の典型は、だれにでも受け入れられそうな「もっともらしい説教」を垂れている一部の評論家です。特に、現代社会の問題をすべて「心の荒廃」で説明できる、と考えている人たちです」なんて書かれています。

山岸さんは社会心理学の専門家ですので、「一部の評論家」があーでもないと説教を垂れる基となっている理論が実はトンデモ理論であることを社会心理学に基づいた実験(山岸さん以外の学者の実験も含む)を通して明らかにしていきます。詳細は本書をお読みいただきたいと思いますが、あれまそうなの、と思うような実験が数多く紹介されています。

詳細は本書をお読みいただきたいと思いますが、本書の中で山岸さんは確かにそれぞれの国民は国によって違いのある心理的傾向・国民性のようなものをもっていること、そしてそれらは歴史的な背景によって選ばれていることなどを指摘しています。そして、現代という社会においてその心理的傾向・国民性はどこの国においても変革を迫られていることを指摘しています。あれ、これって私もコンプライアンスが必要とされる理由として拙論で指摘していることではありませんか。ま、確かに昔から山岸さんの著作を読んでいたことは否定しませんけど。

あれこれと示唆に富んだ一冊でした。ぜひご一読を。

 

 

斎藤 環ヤンキー化する日本KADOKAWA

 

斎藤さんは「自民党ヤンキー論」(20121227日付朝日新聞刊だそうですがネット上でコピーは見つけられませんでした)なんて論文も発表されていますから、どんな思想信条をお持ちであるかはおおよその想像ができますよね。「参院選での嶋大輔擁立はさすがに噂レベルで立ち消えたとしても、あの目も当てられない憲法改正案、最悪のタイミングでの靖国参拝と居直り、原発事故の処理のまずさ等々、ヤンキー性という観点からでなくては理解できないような、不可解な奇行が続きすぎた」なんて評価をしています。あ、引用ですよ、引用。

ヤンキーとは何を意味するのでしょうか。ま、米語のYankeeでないことだけは題名からも分かります。斎藤さんはヤンキーと言われる人たちを端的に表す特徴として「気合とアゲアゲのノリさえあれば、なんとかなるべ」なんて考えている人たちであるとしています。確かにこんな人たち、居ますよね。でも、これって結構昔から日本人の多くが持っている特質なんじゃないですかねえ。ちょっと昔には、「ヤンキー」ってよりは「大和魂」なんて言っていたんじゃないですかね。

ここら辺については斎藤さんも「ヤンキーを論ずると、どうしても「日本人論」になってしまう。僕にはそれが不本意だった」、「しかし本書では、あえて日本人論として読まれることも辞さない」と書いています。

本書では様々な分野の識者との対談を通じてヤンキーとは何か、を紐解いて行きます。様々な角度から眺めることによって、簡単そうでいて実は複雑であるという矛盾あるいは屈折したヤンキーの一端に触れることができるのではないでしょうか。是非ご一読を。

 

20169

スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー 望月衛訳『ヤバすぎる経済学』東洋経済新報社

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ヤバすぎる経済学 [ スティーブン・D.レヴィット ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2016/7/25時点)

 

以前『0ベース思考をご紹介したレヴィットさんとダブナーさんの「ヤバい経済学」シリーズの新刊です。といっても、本書の原題は"WHEN TO ROB BANK"です。検閲に引っかかっちゃったりするのもいやなので訳しませんが、本書の第9章で取り上げられています。ただ、銀行強盗をすることがペイするかどうか、なんて問題は私が大学で経済学を学んでいたころ(30年以上前ですが)でもアメリカでは論文に取り上げられている、なんて聞きました。そんなヤバいこと研究する人は日本の学者にはいないでしょうが、アメリカには昔からいた、ってことですね。

本書はレヴィットさんとダブナーさんが開設しているブログを基にかかれているようですので、あるトピックについて掘り下げる、というよりはブログで面白かったネタを数多く紹介する、といった体裁になっています。なので一つひとつのトピックは短く、簡単に読めるようになっています。読んですごくためになる、とも思いませんが、知的刺激に富んでいることは確かです。是非ご一読を。

 

 

浜 矩子さらばアホノミクス』毎日新聞出版社

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さらばアホノミクス [ 浜矩子 ]
価格:1188円(税込、送料無料) (2016/7/25時点)


消費増税の再度の先送りが話題になる昨今、アベノミクスは成功したのか、はたまた失敗であったのか、が再び議論されるようになりました。あんなものが上手く行くわけないだろう、という論陣を以前から張っていたのが浜さんです。昨年の11月に発行された本書ですが、私が手にしたの20161月発行の第7刷です。売れてますねえ。

本書の題名が『さらばアホノミクス』ですから、浜さんがアベノミクスをどう評価しているかは自明でしょう。「三本の矢」政策だって、「矢どころか、的そのものがずれている」と一刀両断です。

本書は「危機の真相」という浜さんが毎日新聞に連載しているコラムをまとめたものですので、ハードな経済学の論説とは異なり、新聞読者向けのコラムとして大変読みやすく書かれています。連載開始以来4年ほど経っているようですが、浜さんは「そこから今日にいたるまで、真相究明を要する危機が何と数多く、そしてなんと地球経済社会の津々浦々で発生してきたことか」と慨嘆しています。その通りですねえ。

本書でも読んで、少しは世の中を良くしようではありませんか。

 

 

越湖 信一フェラーリ・ランボルギーニ・マセラティ 伝説を生み出すブランディングKADOKAWA


 

エンツォ・フェラーリの死後(生存中も、ですが)業績の浮沈を繰り返してきたフェラーリですが201510月にニューヨーク証券取引所へ、同12月にはミラノ証券取引所への上場を果たしました。その時点での時価総額は12500億円で、PER30倍を超えるという人気株になったそうです。まあ、フェラーリの株だったら私だってちょっと買ってみたいですもんね。本物のフェラーリは買えないかもしれないですけど。新車もお高いですが、古いフェラーリなんて狂ったように値段が上がりましたからねえ(ちょっと古いフェラーリだって高い)。買えないわ。

そんなイタリアのスーパーカー・メーカーの代表であるフェラーリ、ランボルギーニ、マセラティそしてデ・トマソの歴史を紐解くことにより、「ブランディング」という「我々日本人が今、学ぶべき「ビジネスの本質」」を浮かび上がらせようとしたのが本書です。

ま、取って付けたような理由がこじつけられていますが、私が本書を買った理由はただ一つ。越湖さんって、マセラティ・クラブ・オブ・ジャパンの会長さんなんですって。私も最近オーナーの端くれ(私が買ったのは悪評が高すぎて値段が底値に張り付いている20年落ちの大古車ですが)になりましたからね、ま、お近づき、ってことで。

イタリアン・スーパーカーにおけるブランディングとは何でしょうか。詳しくは本書をお読みいただきたいと思いますが、確かに今の日本のメーカーが作るクルマには欠けているもののような気がします。ホンダNSXはその完成度においてフェラーリのエンジニアを驚倒させ、以後のフェラーリの設計に影響を与えたと言われています。トヨタのレクサス・シリーズは静粛性などの“おもてなし”で世界中の高級車メーカー(こちらはイタリアのスーパーカー・メーカーではありませんが)の車づくりに影響を与えました。とは言え、ホンダやトヨタが本当にスーパー(あるいは高級)なクルマを作っていると認められたか、というと微妙なものがあります。

だって、イタリア製のスーパーカーなんて、サーキットで早い車が欲しけりゃポルシェを買え、とか、信頼性が欲しけりゃドイツ車か日本車に限る、なんて言われながらもなぜか売れるんです。何しろイタリアのスーパーカーには、見掛け倒しだろうがなんだろうがカッコよさがあります。メカニズムだって無駄に凝っていて、実用性も信頼性もありませんが、人に自慢することはできます。そして、うんちくを傾ける伝説(ストーリー)があるんです。まあ、クルマじゃなくて芸術作品なんかが親戚すじになるんじゃないですかねえ。

本書をビジネス書として読め、というのはいささかならず無理があるようにも思えます。しかし、私のようなスーパーカーの俄かオーナーであるあなた、には是非読んでもらいたいと思います。絶対に友達に見せびらかすときのネタになりますって。

 

 

フィリップ・コトラー 倉田幸信訳『資本主義に希望はある』ダイヤモンド社

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資本主義に希望はある [ フィリップ・コトラー ]
価格:2160円(税込、送料無料) (2016/7/25時点)


 

最近では格差だなんだと何かと批判を受けている資本主義、未来はあるのでしょうか。近代マーケティングの父と言われるコトラーさんですが、そのバックグラウンドはミルトン・フリードマン、ポール・サミュエルソン、ロバート・ソローという歴代のノーベル賞受賞学者たちに教育された経済学者なのだそうです。そんなコトラーさんが現在の資本主義に巣食う14の欠点を分析、その欠点を補う方解決策を提案しています。

細かい分析は本書をお読みいただきたいと思いますが、コトラーさんは「意識の高い資本主義」(Conscious Capitalism)というものに注目しています。「消費者、労働者、市民のために、いまより役立ち、環境の破壊や軽視をせずにむしろ改善するような資本主義」なんだそうです。どっかの国ではこんな方向性とは真逆の提案が財界から出されているように感じます。本家のアメリカだって……。

私の専門分野であるコンプライアンスの推進などでも見られることなのですが、さんざん分析して、最終的には私たち一人々々がより高い倫理性を身に付けなくてはならない、なんて身も蓋もない結論に行きついてしまうことがあります。そんなことが可能なのであれば、コンプライアンスの問題なんて簡単に解決してしまいます。というか、そもそもそんな問題は起きないんじゃないですかね。

さてさて、私たちは資本主義問題の解決のために何が出来、何をしなくてはならないのでしょうか。やっぱり、アセンションだか次元上昇だかに期待するしかないんでしょうか。

 

 

山内 英貴エンダウメント投資戦略』東洋経済新報社

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エンダウメント投資戦略 [ 山内英貴 ]
価格:1944円(税込、送料無料) (2016/7/25時点)


いただいた本なのでご紹介しておきましょう。

著者の山内さんはGCIアセット・マネジメントという投資運用会社を設立、現在も代表取締役を務めている方です。ま、そこらの自称「金融の専門家」ではないということですね。

山内さんが理想としている投資スタイルは、ハーバードなどの著名大学が寄付を基金として運用している「米国のエンダウメント(大学財団)」のようです。最大の特徴は何かというと、自己資金を運用しているということです。借金したり、投資者のお金を集めているわけではありませんので、「半永久的に運用を続けることを前提としている」ことになるのだそうです。確かに、ヘッジ・ファンドなんて、運用損が出た場合には幹部総出でお客さんにお詫び行脚してますもんね。自己資金であれば耐えられることにも、制度的に出来ない、なんてこともあります。個人投資家も借金して投資しているわけではない(多分……)点では似ています。

エンダウメントの投資戦略ってのは意外とシンプルで、「長期投資」、「分散投資」、「オルタナティブ投資の活用」、「外部の運用会社を使う」なんてところにあるようです。

昨今のファンドの投資手段はHFTHigh Frequency Trading、高頻度取引)に代表される、目いっぱい設備投資(人的資源も含みます)を必要とするコンピュータを使ったオンライン取引なんぞなわけですが、こんなもん、素人には無理。その点、エンダウメント投資は素人でも可能な部分があります。むしろ、古くからのお金持ちの投資の王道とも言える方法なんです。ですから、真似ちゃいましょう、ということのようです。

もっとも、最近は本書に挙げられているような大学の基金の運用は素晴らしい成果を挙げているようですが、ハーバードだって経済学部の錚々たる教授が運用してるのに大恐慌のときには大損しちゃったなんて話を聞きました。で、最近では内部運用を手掛けたところ大変良い運用成績を上げたのですが、運用チームと報酬額でもめ、トップがスタッフを連れて独立しちゃった、なんてことも本書で紹介されてます。いろいろありますねえ。

本書で一番気に入ったフレーズ。「相場の先行きなど関係なく、しっかりした枠組みを作ったら、あとは、お金に24時間365日働き続けてもらいましょう。彼らは疲れを知りません」おー、金持ち喧嘩せず、ってやつですね。

とにかく、投資ってのは自己責任。損しても証券会社のせいだとか、投資のプロと称する奴に騙された、なんて言わない自信がある方はどうぞ。

 

 

20168

 池上 彰、佐藤 優大世界史』文春新書

 

大世界史 [ 池上彰 ]
価格:896円(税込、送料無料)


本書のおわりにで佐藤さんは、本書を書いた意図は二つあるとしています。一つ目は反知性主義との戦いだとしています。「反知性主義とは、客観性、実証性を軽視もしくは無視して、自らが欲するように世界を理解する態度」であるとしています。なんだか先にご紹介した『失敗の本質でも同じようなことが書かれていました。

二つ目は、「極端な実学重視の傾向との戦い」だとしています。昨年文部科学省が文科系の学部なんか廃止しちまえ、と言わんばかりの通知を出して問題になりました。佐藤さんはこのような「高等教育の実学化」はナポレオン時代のフランスでも起きたことがあると指摘しています。ナポレオンにとっては戦争に勝つことが至上命題であったでしょうから、宗教とか哲学とか文学なんてとんでもない、と思ったのでしょう。

しかし、上記「反知性主義」と「高等教育の実学化」が今の日本で声高に語られていることにはいささかならず戦慄を感じざるを得ません。

本書はこのような問題意識を背景に、現在中東やロシア、中国などで現在起こっている紛争をその歴史的背景から解き起こして解説を加えています。単純な今現在のパワーバランスだけに頼った分析ではありませんので、なるほどな、と思えるのではないでしょうか。

まともに解き起こすととんでもない分量の書物になるはずですが、本書は新書版ですので大変コンパクトにまとめられています。色々と問題の起きそうな2016年。予備知識としてご一読を。

 

 

一之瀬 俊也日本軍と日本兵 』講談社現代新書

日本軍と日本兵 [ 一ノ瀬俊也 ]
価格:864円(税込、送料無料)


本書もまた『失敗の本質と同じような問題意識を持った本であろうことはその題名からも明らかでしょう。ただし、本書がユニークなのは、日本軍と日本兵の姿を明らかくするために使われたのが「米陸軍軍事情報部が194246年まで部内無形に毎月出していた戦訓広報誌Intelligence Bulletin(『情報公報』以下IB)に掲載された日本軍とその将兵、装備、士気に関する多数の解説記事などを使って、戦闘組織としての日本陸軍の姿や能力を明らかに」する、というアプローチを採っていることでしょう。

IBでは日本兵の弱点として「予想していなかったことに直面するとパニックに陥る」、「時に自分でものを考えず「自分で」となると何も考えられなくなる」と辛らつな観察をしています。

また、米軍は日本人捕虜を厚遇したことが知られていますが、これは何も人道上の配慮に基いて、というわけではなく、日本兵は拷問をしてもなかなか得られない内部情報をちょっと厚遇するとペラペラしゃべる、なんてことが分かっていたからのようです。その程度の努力で貴重な情報が得られるのなら安いもの、だったのでしょう。

IBは機密指定はされていなかったそうですが、下級将校や下士官兵用の雑誌であったようです。兵隊向けの娯楽やプロパガンダではなく、戦闘においても有用であろう客観的な分析や情報を作戦を決定する将校に対して提供するという意図を持っていたのでしょう。ま、ここら辺の意識が日本軍とは違いますねえ。

日本軍の行動様式などを細かく調べ上げて後の作戦行動に生かしていた様子がよく分かります。本書を読むと日本軍もバンザイ突撃だけを繰り返していたわけではなかったようですが、しかるべきところにしかるべき物量を投入する米軍には結局のところ抗うすべもなかったようです。

とはいえ、どのように競争相手を評価し、それをどのようにその後の作戦に生かしていくのか、なんてことはビジネスにも通じるものがあります。なかなか面白い一冊でした。

 

 

太田 尚樹満州裏史』講談社文庫

満州裏史 [ 太田尚樹 ]
価格:918円(税込、送料無料)


 

本書の表紙には「天才的なひらめきと抜群の行動力を備えた甘粕正彦、群を抜く知力と行政能力に恵まれた岸信介」の二人の写真が掲載されています。世界各国に祝福されて独立したとは言い難い満州国の運営にはかなりの困難が伴ったようです。その国家運営の中枢にいたのが甘粕・岸コンビだったのです。

作者の太田さんは二人を「近頃ではお目にかかれなくなった、「強き本物の日本人」」であると評価しています。もっとも、もう一人の有名人である東条英機に対しては、「まず東條は天皇を頂点にした国体という、一つの価値観にだけ縛られた、底の浅いシンプルな精神構造が目につく」、「この男は、やれと言われたことは正確にやってのけるが、その先がない。次は何をすべきかという思考がないのである」と手厳しい評価を下しています。

まあ、東条英機に対する評価はそんなものでしょうが、甘粕・岸コンビに対する評価はいかがなものでしょうか。特に岸信介は戦後首相も務め、今に至る戦後日本の基礎を築くことになったわけですが、これでよかったのでしょうか。岸信介のお孫さんが日本のあれこれを変えようとしているようにも見えます。

今一度歴史を振り返り、何が正しかったのか、何が間違っていたのか考えようではないですか。

 

 

塩野 七生ギリシア人の物語(1)』新潮社

ギリシア人の物語(1) [ 塩野七生 ]
価格:3024円(税込、送料無料)


西洋史において“ギリシア・ローマ時代”と総称されることもある古代ギリシアと古代ローマですが、それぞれの文明の中身はかなり違っていたようです。

古代ギリシア時代とは、古代ローマに支配される以前の時代、とあちこちの解説を見ると書いてあるのですが、ではそれはいつなの、という問いに明確な答えはないようです。古代ローマ帝国が皇帝をトップとする帝国らしい帝国であったのに対し、古代ギリシアには明確な統一政体はなく、ポリスと呼ばれる都市国家が乱立している状態でした。したがって、「古代のギリシアには、ギリシアという国は存在しなかった。ギリシア人はいたが、ギリシアはなかったのだ」ということなのだそうです。こんなところもギリシアとローマの大きな違いを生む元でもあったようですね。

世界四大文明発祥の地であるギリシアですから、その発祥から書き起こすと長くなりますが、本書ではポリス全盛の紀元前8世紀ごろから書き始められています。

ところで、ギリシアのポリスとペルシアの間に繰り広げられた第二次ペルシア戦役におけるテルモピュレーの戦いにおいて、スパルタ王レオニダス率いるスパルタ軍は、スパルタ軍の精鋭300人で構成されていました。ペルシア軍は圧倒的戦力を誇り、さしものスパルタ軍も全滅を余儀なくされました(映画『スリーハンドレッドのもとになったお話です)。が、スパルタ王が「率いていくスパルタの300人は、いずれもすでに息子がいる父親であり、たとえ戦場で死んだとしても家計の断絶の心配はない兵士だけを選んでいた」のだそうです。「スパルタの戦史は、始めからの玉砕などは考えない。簡単に玉砕したのでは、戦争に勝つことができないからである。ただし、状況がそれを求めれば、甘んじて受ける覚悟ならばできている男たちであった」のだそうです。若い奴から玉砕させて将軍たちは後ろに控えていたどっかの軍隊とは大違いですねえ。しかもこれ、2500年も前の話です。人類は進歩していないどころか劣化しちゃってるんじゃないですかね。

いずれにしろ、塩野さんの最新作。無味乾燥な歴史の叙述ではなく、エンターテイメント性に富んだ面白い読み物になっていることだけは間違いありません。是非ご一読を。

 

 

2016年7

岩崎 夏海もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『イノベーションと企業家精神』を読んだら 』ダイヤモンド社


 

岩崎さんのベストセラー『し高校野球の女子マネジャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』の続編です。ま、そんなことは題名を見れば○○だって分かりますよね。例によって表紙には萌え系のイラストが使われています。

主人公の「夢と真実はドラッカーの経営書『イノベーションと企業家精神』を読みながら、競争しなくても勝てる、全く新しい野球部をつくろうと」するお話です。

そもそもドラッカーが『マネジメント』を書いた理由ってのが、ドラッカーが競争社会の到来を予想していたからなのだそうです。もしたった一つの指標(売上とか成績とか量とか)だけを基準に競争すると、ごく少数(もしかしたらたった一人)の勝者とたくさんの敗者が生まれます。でも、社会の大多数が欝々とした不満を抱えた敗者では、社会がまともに機能するはずがありません。ですから、適切なマネジメントにより一人ひとりに『居場所』を見つけてあげなくてはいけない、そのためには『マネジメント』に関する適切な知識を持たなくてはいけない、ということで書かれたのだそうです。そーだったんすか。

で、その後は競争社会に勝ち残るためにはイノベーションが重要になる、ってわけです。企業を経営する誰にとっても全く新しいコンセプト、他の誰も思いつかなかった製品やサービス、何でもいいから金儲けの種を探しています。で、一発当てたらあれもしよう、これもしよう……、なんてね。

前作同様、紆余曲折がありつつも主人公たちは夢を実現していくわけですが、そんなお話を読んでいるとそんなに上手く行くわけないだろなんて思っちゃう私がいるわけです。知らず知らずのうちに私も前例とか昔の体験とかに囚われているおっさんになってしまっているのでしょう。前例と昔の体験で上手く行くならイノベーションなんて必要ないですからね。本書のような啓発本の最大の活用方法は読んで考える(何でもいいから)ということでしょうから、そういう意味では大変良くできた本だと思います。

前作同様、岩崎さんの筆致は冴えており、何だかんだ言っても一気に読了しました。物語としてもなかなか面白い本書、皆様も是非ご一読を。

 

 

石田 淳マンガでよくわかる教える技術 』かんき出版

マンガでよくわかる教える技術 [ 石田淳 ]
価格:1404円(税込、送料無料)


 

本書も『もしドラ』シリーズと同じく、主人公が悪戦苦闘しながらもストーリー展開に従っていろいろなスキルを身に付けていく、という啓発本に良くあるパターンで展開してゆきます。本書の場合、表紙だけでなく本文もマンガが多用されていますので、より読みやすくなっています。

著者の石田さんは社団法人行動科学マネジメント研究所の所長として、様々な経営コンサルティングサービスを展開しているようです。本書では教える技術に焦点を絞って紹介しています。「本書でお伝えする「教える技術」の最大のポイントは、部下のやる気や根性ではなく、「行動」に着目して、指導や育成を行う」ということであるとしています。つまり、特殊なスキルを持った人間が選ばれたエリートを指導するのではなく、私やあなたみたいな人間でも本書に紹介してある「教える技術」を使えば、私やあなたのような凡人をもまともに使える戦力にできますよ、ってことです。ほお。

ま、全く自慢にはなりませんが、私も新人教育で失敗したことがあります。なんでこんなことが分からないんだって思ってましたが、私の教え方も良くなかったんですね。良く考えてみれば、教えていた内容が外国為替のポジションの把握とか、その損益を算出するとか、ある程度の予備知識がなければ絶対にわからない業務をさせようとしていたのですから、それなりに教える必要があったのでしょう、今になって考えれば、ですが。

 

石田 淳マンガでよくわかる教える技術 2(チームリーダー編)』かんき出版


 

で、こちらは同じテーマでもチームリーダーはどうすべきか、なんてことをまとめた一冊です。部下に恵まれないとお嘆きのあなた、に必要な一冊です。今の私には部下なんていないもんね。いらんわ……、って、そーいうことじゃないんだけどな。

この二冊を読んで感じたのは、“あ、思い当たる節がある、ある、ある”ってことでした。自分自身に対しても、かつての上司や部下に対しても、思いっ切り“げ、図星”っていう指摘がたくさんありました。ってことは、社会一般的に皆さん同じような失敗をしているってことですね。

今ならこの『教える技術』を身に付ければあなたの評価も高まる可能性が非常に大きい、ってことになりそうですよね。じゃ、もう一回読み返すことにするか、なんてね。

 

 

マルクス・シドニウス・ファルクス ジェリー・トナー解説 橘明美訳『奴隷のしつけ方』太田出版

 

ファルクスさんの名前が著者になっており、表紙裏には立派な大理石像の肖像写真まで掲載されていますが、実在した人物であるかどうかは疑問のようです。だって、解説をしているケンブリッジ大学で古典の研究をしているトナーさんが解説にそう書いていますからねえ。じゃあ、トナーさんがゴースト・ライターかって?ま、そこら辺は大人の事情ってことで。

本書の内容は古代ローマ人、しかもファルクスさんは由緒正しき貴族の家系ですので、数多くの奴隷を使い家計(事業も)の切り盛りをしていましたので、奴隷をいかに上手く使うか、というのは大きな課題であったようです。現に、そのような内容の文献も多く残されているのだそうです。

ローマ時代、奴隷は一般的存在であったようですが、一口に奴隷といっても後に農奴と呼ばれるようになったタイプの奴隷から知的労働(教師や医者、子供の養育係、皇帝の傍で高位の官吏として働くなど)をするものまで、バラエティーに富んでいたようです。ここら辺は以前ご紹介した古代ローマ人の24時間などもご参照ください。

ところで、本書によればローマ時代の奴隷はかなり高価なものであったようです。今で言えば自動車ぐらいの感じなのでしょうか。ですから、買う時には十分吟味して買い、使用にあたっては適切な取り扱いが必要であったようです。特に家事労働を行わせる場合、鞭打てば働く、なんて訳に行かないことは明らかでしょう。

しかし、ローマ時代の奴隷でさえ適正な働かせ方をしなくてはいけない、なんて主張がされているにもかかわらず、今現在国民を正規だ非正規だなんてガタガタ言わずに働く場所があるだけありがたいと思え、なんて感じの施策が次々と打ち出されているような感じがするのはなぜなのでしょうか。

本書にも書いてあります。「一般論として奴隷に期待できるのはせいぜい主人を手本とすることくらいである。手本が悪ければ徳を学ぶのは難しい。主人が何事にもいい加減なら、奴隷も注意深くはなれない。はっきりいって、人格に問題のある主人にいい奴隷が仕えているところなど見たことがない」ですって。そう言えば、従業員が働かないから業績が悪い、なんてたわごとをほざいていた社長もいたなあ。

歴史のエピソードとして読んでも面白い本書ですが、いろいろと考えさせられる一冊でした。是非ご一読を。

 

 

内田 良教育という病』光文社新書

教育という病 [ 内田良 ]
価格:842円(税込、送料無料)


内田さんは名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授で、専門は教育社会学です。「教育リスク」をテーマとして研究を行っており、これまで柔道事故、組体操事故、2分の1成人式、部活動顧問の負担などの問題を取り上げ、具体的なデータを基に警鐘を鳴らしてきました。

昨今突然火がついたかに思える組体操事故も内田さんが最初に取り上げたようです。201629日「全国の小中高校の運動会などで負傷者が相次いでいる組み体操について、馳浩文部科学相は日の記者会見で「子どもの命に関わる問題で、重大な障害を負う事例が含まれている」とし、事故の状況を分析し、2015年度内に防止のための方針を示す考えを明らかにした」(http://blogos.com/article/159686/)と国が対策を取ることが明らかにされましたが、ほんの10日ほど前、文部科学省の義家弘介副大臣は「文科省としては独自調査や規制はしないとの姿勢を示した」(http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/life/201601/CK2016012902000206.html?ref=rank)と報じられていました。頭の固いお役人に鈴を付けたわけですから、内田さんの警鐘が功を奏したということでしょう。

内田さんが取り上げている個別的な「教育リスク」の詳細については本書をお読みいただきたいと思いますが、私が本書において大変興味を引かれたのは、「エビデンス・ベース・アプローチ」という方法論を採用していることです。「本書の課題は、できる限りエビデンスをもって教育リスクの所在を明示すること、そして学校現場にそのリスクを直視してもらうことである」と書いています。ってことは、今までは学校教育においては論拠も証拠もない精神論が幅を利かせており、周りが論拠や根拠を以て説得しようとしても、「絆なんだよ!伝統なんだよ!」http://bylines.news.yahoo.co.jp/katoyoriko/20160224-00054537/とまともな議論にもならなかった、ということなんでしょう。本書の題名が本書のテーマである「教育リスク」ではなく「教育という病」であるのもうなずけるものがありますねえ。もしかしたら本書で紹介しているのは“教育という病”ではなく、“日本という病”なのかもしれません。本書でもこの問題についてソフトに触れられています。

ただし、本書ではかつて死亡事故が多発していた学校柔道において、全柔連は頭部外傷の予防のための安全対策を実施、ここ数年は死亡事故ゼロになったという成功例も取り上げられています。柔道界なんて○○ばっかりじゃないのかと疑っていましたが、それは全くの間違いであることを証明して見せたわけです。日本人だってやればできるじゃん。

皆様も是非ご一読、お考えてください。

 

2016年6

ケリー・ターナー 長田美穂訳『がんが自然に治る生き方』プレジデント社

ターナーさんは「腫瘍内科学領域」の研究者だそうです。特に「西洋医学の治療なしに、または西洋医学の治療の進展が見込めなくなってからがんの寛解に至った事例の研究に注力」しています。

本書ではいわゆる代替療法(民間療法)、あるいはどちらかというとスピリチュアル系(日本だと行っちゃった系)の療法なども数多く登場します。何だかんだ言ってアメリカの医学は世界で最も進んでいると言っても過言ではないと思います。では、科学万能なのか、というとそう言うわけではなく、患者が望めば代替療法なども取り入れてくれるようです。むしろ日本の医療従事者の方がそこら辺の融通が利かない、頭の固い方々が多いようです。

「がんの劇的寛解」の事例は医学雑誌などにも数多く掲載されているそうです。が、注目されてきませんでした。また、医学雑誌などでも注目度が低いため、報告されずに終わってしまった事例もあるようです。なぜかというと、それらに共通する劇的効果のある治療方法みたいなものが見当たらなかったからなのです。治ったことは確かなのですが、偶然か奇跡か、とにかく今後の治療に生かせる事例とはみなされてこなかったのです。

ターナーさんはそんな数多くの事例を再度研究、いくつかの共通する要素を見つけ出しました。何が、は本書をお読みいただきたいと思いますが、え、こんなことが、と思うような項目が並んでいます。どちらかというと自己啓発本だかスピリチュアル系だか似非宗教のパンフレットだかに書かれているみたいなことが並んでいます。

ターナーさんも書いている通り、これらを実践すればがんが治る、とは主張していませんし、また、現代医学が標準とする治療法を否定していません。では、何のために本書が書かれたのか。先に紹介したヌ―ランドさんの言う「希望」を患者に与えるためではないでしょうか。

ところで、本書を読んでいて、最近がんで亡くなった川島なお美さんのことを思い出しました。健康診断で腫瘍が見つかり即手術を勧められるも、仕事の関係などから手術を延期、結局半年ほど後に手術を受けました。その後抗がん剤などの使用は拒否、本書でも紹介されている民間療法による術後管理を行いましたが、がんの発見後結局2年ほどで亡くなりました。本書では「がんの劇的寛解」が主題ですので、川島さんのような例は取り上げられていません。しかし、川島さんの死は人生の敗北なのでしょうか。川島さんが死んだのはばかげた民間療法なんかを選ぶというプアな決断による不幸な結末なのでしょうか。川島さんは最後まで女優として生き切りました。もっと生きたい、という気持ちはもちろんあったと思います。でも、がんを、死を自らの選択であるとして受け入れて亡くなりました。私は大往生だったと思います。

「がんの劇的寛解」があろうがなかろうが人間は死ぬんです。そのとき、自分の人生に満足だと言えるように心の準備をしたいものだと思います。

 

 

近藤 誠がん治療の95%は間違い』幻冬舎新書

がん治療の95%は間違い [ 近藤誠 ]
価格:864円(税込、送料無料)

がんもどき理論で悪評高い近藤さんの新刊です。医者の風上にも置けない、なんて評判も一方ではあるのですが、日本で乳がん治療として乳房温存療法を導入したパイオニアであり、がんの専門医でもあります。色々と毀誉褒貶あるわけですが、がんと言えば近藤誠のがんもどき理論ですから、ここはひとつご本人の著作を読んでみましょう。

上でも取り上げた川島なお美さんは、実は近藤さんのセカンドオピニオン外来に来たことがあるそうです。近藤さんは「一年以内に死ぬとしたら、手術や抗がん剤治療を受けた場合だけです」と手術に反対したようです。その後の経過は上に触れたとおりです。

本書を読んで面白いのは、近藤さんは何かをすればがんが治る(寛解する)、なんてことは全く言っていないことです。転移するがんでなければ、そんなにすぐには死なないですよ、と言っているだけです。じゃ、転移するがんは、というと、どっちみちがんで死ぬことになるのだから、治療だなんだ、がんに負けるな、なんてじたばたせずに余生を楽しみなさい、って感じでしょうか。でも、検診か何かで見つかったがんを放置する場合に守るべき原則は「@がんと診断されてことを忘れる、A検査を受けない、B医者に近づかない」というものだそうです。で、本当に自覚症状が出たらあらためて検査を受けて対処法を検討しなさい、というもののようです。近藤さんが医者に評判が悪い理由が分かりますね。「本当のことを言って安心させたら、誰も苦しい治療を受けませんからね」ですって。ビジネス用語に置き替えると営業妨害だ、って言われちゃうってことですかね。

 

 

長尾 和宏長尾先生、「近藤誠理論」のどこが間違っているのですか?』ブックマン社


 

近藤理論を紹介いたしましたので、それに反論する本も紹介しておこう、ということで探してみたのですが、結構いっぱいありました。その中の一冊が本書です。

本書のスタンスは、近藤理論を全否定するのではなく、是々非々の対応を取っています。抗がん剤にしても、まだ若い、ステージIIIレベルであれば延命効果があるとしています。逆に、「がんが終末段階に入っても延命治療をやりすぎた場合、よけいに苦しむケースが多々あります」としています。

ただし、近藤理論がかなり支持を受けた背景には「病院が治療指針を決める際、がん患者さん本人が不在のまま、意に沿わぬがん治療をされたことへの反発が、近藤誠理論の支持にも繋がっている気がします」と書いています。これには同感します。医者が治療方針を説明する時って、確かにある治療方針を説明はするのですが、オプションが一切ないんですよね。で、そんなのいやだ、って言うと露骨にいやな顔をするんです。当院の治療方針に同意できないのであれば今後一切治療なんかしてやんない、なんて言われかねないので、よほど勇気がないと治療方針に異議なんて唱えられないようになってるんです。言っちゃったことあるけど。

また、近藤さんは「おとなしかったがんが、手術で暴れだすことがある」という主張をしていますが、長尾さんは「まるで自分が発見したかのように言っていますが、医師なら常識です」としています。問題は、それを患者にはっきりと伝えてこなかったことにあるのではないでしょうか。そんなこと言ったら手術を受ける患者が減っちゃうかもしれないですから言わなかったのでしょうか。

近藤さんの著書では逸見政孝さんの症例が何度も取り上げられているそうです。これに対して長尾さんは「逸見さんのあの手術は無謀な賭けであったと思います」、逸見さんの手術は失敗であったと「当時、どの医師が見ても、そう思っていたはず」としてはいるものの、あれは20年以上前の話で、「医療の世界から言えば、20年なんて一昔前どころか、時代が違うんです」としています。現在であればあのような手術はありえないし、「そんな医者がいたらそれこそ通報ものじゃないかな」とまで書いています。でも、逸見さんの手術は現に行われ、その結果逸見さんは亡くなりました。このことに対して医療界はきちんとした総括をしたのでしょうか。今ではありえない、のかもしれませんが、医者の本質はあの頃と全然変わっていない、という印象を持つのは私だけでしょうか。

 

 

大鐘 稔彦そのガン、放置しますか?』ディスカバー携書

そのガン、放置しますか? [ 大鐘 稔彦 ]
価格:1188円(税込、送料無料)


 

大鐘さんは「ガンもどきは、おでんの中にしかない」「近藤誠に殺されるな」と書いていますので、バリバリの反近藤派というところでしょうか。ではありますが、大鐘さんは癌告知を日本で初めて行ったこと、乳房温存療法を日本に導入したことなど、がん専門医としての近藤さんの業績は評価しているようです。

ただ、最近の近藤さんがあまりにも手術に反対、化学治療に反対、がん検診に反対、と何でもかんでも反対していることに対して、医療技術の進歩に鑑みれば、いくらなんでもそれは極論でしょう、ということで異を唱えているようです。確かに、かつての日本の医療には正すべき点も多くあったであろうことは大鐘さんも認めています。近藤さんがその昔留学先で勉強してきた乳房温存療法を日本でも紹介しようとしたところ、指導教授なんかからものすごいバッシングを食らったそうですからねえ。今ではそんなことはないのでしょうか。仕事をしている方なら分かると思いますが、医学界以外でもそんな例は未だにあります。思い当たる節がありませんか?

 

 

大場 大東大病院を辞めたから言える「がん」の話PHP新書

 

大場さんは「外科医であり、かつ抗がん剤治療のスペシャリストとされる腫瘍内科医(メディカル・オンコロジスト)の両方の専門性をもっています。このようながん治療専門医は、おそらく世界中でも稀有であろうと思われます」と自らを紹介しています。オレはゴッド・ハンドにしてゴッド・ドクターだって訳ですか。すげー自信。

著書には『がんとの賢い戦い方「近藤誠理論」徹底批判なんてのがありますし、本書の中でターナーさんの『がんが自然に治る生き方』についてもターナーさんの博士号論文まで探し出して「1000件を超える進行がんの劇的な寛解事例の分析」が他人の論文からの孫引きで、まともに分析した結果なぞどこにもない、単なるオカルト本であると喝破しています。そーなんすか。

それだけではなく、上にご紹介した『長尾先生、「近藤理論」のどこが間違っているのですか?』の長尾先生についても、日本医師会の制定した「医師の職業倫理指針」から、「不用意な他医への批判は、医師としての品性をおとしめ医師の信頼を傷つける行為であるばかりか、患者に無用な批判を与えるなど、思いもかけぬ大きな影響を与えかねないため慎むべきである」、「医師が医学的知識を公衆に対し伝達し説明する際には、まず学問的に十分な根拠をもった代表的意見を提供するように努めるべきである」なんて条項を引用して批判しています。

さらに、「強引に手術したがる医師、患者を研究対象としか見ない医師」がいることは認めていますし、「民間のがん治療クリニックは不勉強かつ不誠実な白衣のるつぼ」なんて書いています。また、今でも医学部や病院で幅を利かせている大先生たちに対しても、「昔は名医であったと評価されていた外科医でも、視力も手先の感覚も衰え、体力、集中力そみならず勉強量もはるかに低下しているにもかかわらず、今でも無理して名医を演じ続けている高齢医師に、大切な命を預けたいとは私は思いません」と書いています。ま、同感ではあるのですが、では若い医者は、というと「東大病院の研修医の中にも、だらしのない身なりで、言葉遣いどころか挨拶もろくにできない者も多く見られます。医師というより社会人としても未熟」であると評しています。当たるを幸いとばかりに切りまくっているみたいですねえ。

あの医者もこの医者も信頼できないんじゃ、どうすりゃいいの、って感じです。大場さんの立場は健康や医学、あるいは科学的な思考方法についての一般人のリテラシーを高めるしかないのではないか、ということのようです。

自信満々にオレは正しい、なんて言っている人を簡単に信じちゃダメだってことですね。で、信じたらあとは自己責任。

藤さんと同じように、大場さんもセカンド・オピニオン外来を開設していらっしゃるようです。私ががん宣告を受けたら、両方の意見を聞くことにしましょうかね。どっちを信じることになるのでしょうか。

大場さんはまた、日本のメディアによるがん報道が「治れば「がんを克服した」ともてはやし」「治らない場合には「末期」という用語を気軽に用いて「壮絶な闘病生活」というようなワンパターンのフレーズ」に偏る、「何事においても二元論でしか考えられない思考停止に支配された社会性が影響しているようにも思える」と書いています。ま、私も賛成いたします。日本ではきちんと議論を交わすという習慣がないので、議論をするとすぐ“表に出ろ”ってなっちゃう筋肉脳の××が沢山いるんです。でも、じゃあ、大場さんは末期のがん患者に対してどのようなケアをしているのでしょうか。それもモルヒネを使った医療的な緩和ケアではなく、どのような精神的サポートを提供できるのでしょうか。死を目前に控えた人間に対してどのような言葉をかけるのでしょうか。この本を読んだ限りでは私の死の床の横に大場さんは居てほしくないと思いました。

 

2016年5

飛鳥新社・編死ぬ作法 死ぬ技術』飛鳥新社

死ぬ作法死ぬ技術 [ 飛鳥新社 ]

死ぬ作法死ぬ技術 [ 飛鳥新社 ]
価格:864円(税込、送料込)

 

本書は『dankaiパンチ』という雑誌に2008年から2009年にかけて連載された、様々な執筆者によって書かれた「死ぬ作法」というテーマの随筆をまとめたものです。代表的執筆者として本書表紙に書かれているのは鎌田實、西部邁、久坂部羊、中島梓といった面々です。

久坂部さんは本書の中で、「長生きして失敗したと感じている老人は少なくありません。にもかかわらず、多くの人が長生きを求める」と書いています。病気になれば、医者に“私と一緒に頑張りましょう”なん言われますし、病気と闘うことが当然のように受け取られています。確かビートたけしのギャグに“健康のためなら死んでもいい”なんてのがありましたが、巷では死は敗北であり、長寿だけが人生の唯一の目標であるかのように語られています。だとしたら、若くして死んでしまった方々は全員不幸だってことになっちゃいます。そうじゃないでしょ。

少し前までは「せっかく安らかに死にかけているのに、無理やり引きずり戻すのが今の医療」だったのですが、さすがに医療従事者の間にも、これはちょっと違うのではないの、という思いが生まれてきたようです。私は数年のうちに日本でも安楽死(尊厳死ではなく)の議論が公に始まるのではないかと思っています。どうでしょうか。

私は過度の延命治療は拒否しようと思っていますし、そのようなことを家族に話してもいます。でも、本書には常日頃そのように話していた石堂淑郎さんが、いざ本当に心臓の発作が起こったとき、病院に行くべきか聞いてきた長男に、「痛いから何とかしろ!」ってどなっちゃったそうです。私も偉そうなことを書いていますが、いざ、という時には医者に“俺を殺したら呪って出てやるからな、何でもいいから直せ”なんてギャーギャー喚くのかもしれません。うーん、自分が怖い。

様々な著者によって書かれていますので、論調が一貫しているわけではありません。“は?”というものも、“はっ!”とするものもあります。薄手の本書、Memento Moriの第一歩としては取っ付き易いのではないでしょうか。是非ご一読を。

 

 

シャーウィン・B・ヌ―ランド 鈴木主悦訳『人間らしい死にかた』河出書房新社

 

ヌ―ランドさんはイェール大学医学部を卒業後、同大学で外科学の教授を務めていた医学者ですが、ベストセラーになった本書(原題はHow We Die)など一般向けの医学関係の著作も多く、数多くの賞を受賞している作家でもあります。2014年に亡くなられたようです。

本書の最初の方で、ヌ―ランドさんが経験した様々な死に方が紹介されています。私なども苦しまない、安らかな死に方を望んでいるのですが、そのような死に方はむしろ稀なようです。どちらかというと、最後にものすごく苦しむ、上でも紹介した心臓発作のような死に方の方、あるいは慢性的な病気で長期にわたって不自由かつ不愉快な思いに苦しむ死に方が一般的なようです。ピンピンコロリとはいかないようです。いやだなあ。

ヌ―ランドさんは「医師が末期の患者に与えることができるさまざまな希望のうち、臨終までの支えとなるのは、最後の成功をおさめる希望がまだ残されていて、その約束が苦痛と悲しみにみちた現状を打開してくれるいう信念なのだ」と言っています。ヌ―ランドさんの“希望”という言葉は治る見込み、という意味とは違う使い方をしているようです。別のところで、ボブというかつての(亡くなった)患者について「死期が近いと知ったときに人生の新たな意味を見出した男に敬意を表した。彼は、治る見込みがないときでさえ希望が存在しうることを教えてくれた」と書いています。

本書でも触れられていますが、エリザベス・キューブラー・ロスの有名な「死の受容プロセス」では、否認・隔離、怒り、取引、抑うつ、受容といったプロセスを(人によって違うこともあるそうですが)たどると言います。このうち、医者が医療の専門家として関われるのはどうも最初の方のプロセスだけじゃないのかな、とも思います。残りは宗教家とかの担当になるのでしょうか。でも、そうだとすると、医者より信用できないなあ。

人の人生がそれぞれに違うように、死に方だって違うのかもしれません。むしろ画一的にこんな死に方がベストだ、なんて思わないほうが良いのかもしれません。いずれにせよ、私たち自身が自分で考え、決めなくてはなりません。Memento Mori、ということで、是非ご一読を。

 

 

パッチ・アダムス/モーリーン・マイランダー 新谷寿美香訳『パッチ・アダムスと夢の病院

 

本書はロビン・ウィリアムスの主演で映画化された『パッチ・アダムスの原作です。

アダムスさんはいささか風変わりな経歴を経て医師になりました。詳しくは本書をお読みいただきたいと思いますが、現在の日本のように成績が良いと高校の先生が生徒の意思も適性もヘッタクレもなく医学部受験を勧める日本とは異なり、明確な意思を持って医師という職業を選択したようです。

医学部在学中から当時のアメリカの医療のあり方に疑問を感じたようで、正式に医師となるころには自分の理想とする医療(しかも無料)を行うための「ゲズンハイト・インスティテュート」(意味はドイツ語でお達者病院だそうです)の設立に向けた活動を始めたようです。

もっとも、ゲズンハイト・インスティテュートのホームページには、1971年のパッチ・アダムスの医学部卒業後すぐにゲズンハイト・インスティテュートは3人の医師を含む20人の友人たちと設立され、無料診療を行うため6つの病室からなる"A Home as Hospital"を開設したとも書かれています。本書にも、最初の「実験プロジェクト」のときから、「患者といっしょに遊ぶことをはじめ、様々な活動を楽しむことを、治療することと同じくらい大切に考える診療所」であったようですし、「患者に診療代を請求することも、患者が加入している医療保険組織から診療代を補償してもらうこともしなかった」とも書いてありますので、設立当初からすでに「ゲズンハイト・インスティテュート」の原型となる活動は行っていたようです。

本書の中で、アダムスさんは医療過誤保険への加入を拒否していると書かれています。これはビジネスとして見た場合、過度のリスクを取っていることのようにも思えるのですが、アダムスさんは「医療過誤保険に入らないからこそ患者との信頼関係が他もテルのある。最近の研究によれば、もっとも訴訟を起こされにくい医者は、患者とのコミュニケーションがとれている医者であることが報告されている」と書いています。交通事故を起こしても絶対に"I am sorry"なんて言ってはいけないと言われているアメリカですが、最近読んだ記憶のある新聞だかの記事では、患者が亡くなったら、遺族に対してまず"I am sorry"とか言え、という方針を打ち出した大学病院だったかがあるとか書かれていました。その結果、訴訟件数が目に見えて減ったんだそうです。アメリカ人だって、普通の人間だってことですかね。

優しい気持ちになれる一冊でした。是非ご一読を。

 

映画のDVDはこちら

パッチ・アダムス [ ロビン・ウィリアムズ ]

パッチ・アダムス [ ロビン・ウィリアムズ ]
価格:1,000円(税込、送料込)

 

 

村上 智彦医療にたかるな』新潮新書

医療にたかるな [ 村上智彦 ]

医療にたかるな [ 村上智彦 ]
価格:734円(税込、送料込)

 

村上さんは医師として財政破綻した夕張市などの医療再生に取り組んできた方です。経歴はちょっと変わっていて、最初は薬学の研究者を目指して薬科大学に入りました。バカスカと薬を出す過剰医療に疑問を感じ、医者に進言したそうですが、「薬剤師の分際で何を言うか!」と一喝され、頭に来て医者に転身したのだそうです。本書の帯に、「闘う医師が怒りの告発」と書いてあります。本文中、医療関係者ばかりではなく患者まで喝を入れていますが、いや、昔から「闘う医師」だったんですね。

「検診の受診率が低く、塩分摂取が多く、喫煙率が高く、肥満の割合が高く、健康意識が低い地域だから、医療費が高くて寿命が短い」のだそうです。「自分たちの不摂生や不勉強を医療に押しつけているだけの話です」ですって。病気になったら病院に行けば直してくれるだろう、ではなく、患者も患者予備軍も日ごろの生活から考え直せ、ってわけです。いやあ、手厳しい。

その他、医者自身、マスコミ、破たんした夕張の市民なども村上さんの「怒りの告発」の対象になっています。であれば、厚生労働省の行政も批判の対象なのだろうな、と思っていると、村上さんは意外にも現在の厚生労働省の行政方針を評価しています。「年寄りに早く死ねというのか!」「現代のうば捨て山だ!」と評判の悪かった「後期高齢者医療制度」も、「この制度の根本にある考え方は、「年寄りは早く死ね」ではなく、「年寄りは若者より早く死ぬ」という当たり前のことです。いくら医療費を湯水のように使おうが、人間は年を取れば必ず死にます」と冷徹な見方をしています。そして、「この現実を直視した上で、日本の医療の仕組みを作っていかなければ」ならない、と指摘しています。同感です。

本書を読んで、医療だけではなく、日本に、政府に、若者にたかっているだけの“既得権の亡者”が今の日本には、いや、日本だけではなく世界中にたくさんいるような気がしてきました。

考えさせられる一冊でした。ぜひご一読を。

 

 

岡部 哲郎病気を治せない医者』光文社新書

病気を治せない医者 [ 岡部哲郎 ]

病気を治せない医者 [ 岡部哲郎 ]
価格:799円(税込、送料込)

 

岡部さんは日本の医学部でも最難関である東京大学医学部を卒業された内科医でありますが、「台湾の高名な漢方医である林天定一門に師事し中国伝統医学を研鑽」したという珍しい経歴をお持ちです。大体、中国伝統医学の本家本元である中国ですら西医と中医は仲が悪いって言いますからねえ。だもんで2015年に博士号も持っていない(つまり中国では冷遇されている)屠ユウユウ氏がノーベル生理学・医学賞を受賞すると大騒ぎになっちゃったみたいです。

本書の冒頭にかつてハーバード大学の医学部の卒業式で述べられた言葉が紹介されています。「Half of what we have taught is Wrong.  Unfortunately, we don't know which half」知ったかぶりしていますが、人類の持つ医学の知識なんて大したもんじゃないんだよ、絶対的真理なんかじゃなくて、いつ変わるかわからないんだよ、という戒めの言葉でしょう。これは、医学に限らずどんな学問分野でも通用する言葉だと思います。でも、医者に限らず先生と呼ばれている方々とか博士号なんぞを持っている方々(あ、私も…)ってのは思いっ切りそっくり返っちゃってて人の話なんか聞かない人が多いですからね。

岡部さんは現在の西洋医学は「病気を完治させるためのものではなく、ほとんどが症状を抑えるだけの対処療法にすぎない」としています。これに対して、「今、特に脚光を浴びているのが中国伝統医学である。なぜなら、専門分野の病気しか診ることができない西洋医学と違って、中国伝統医学は患者の心身すべてを診る全人的な治療が可能であるからだ」としており、アメリカの多くの医科大学においても代替医療の講座が設置されるようになっているそうです。

岡部さんは「中国伝統医学の治療を見学して目の当たりにしたのが、アルツハイマー病、脳梗塞、心筋梗塞、膠原病、がんなど、我々が学んだ西洋医学で“治療法がないとされている難病”が、12か月の治療で明らかに改善する実態」、なんて書いていますので、相当中国伝統医学に傾倒していることがうかがえます。ただし、漢方薬だからと言って副作用がないとか、中国伝統医学ではどんな病気でも治せる、なんてことは無いとも書いています。

現在では保険適応になった漢方薬とか鍼治療ですが、実際に“漢方楽には副作用がないから”なんて言って、機械的にこの症状にはこの漢方薬、なんて処方をしているお医者さんとか、見よう見まねで鍼治療を患者さんに施術しているお医者さんなんかもいます。お医者さんに全能感を抱かせてしまう医学教育のあり方とか医学界の風土なんかにも大いに問題があるような気がしますがいかがなものでしょうか。

 

20164

 ジュリアン・ジェインズ 柴田裕之訳『神々の沈黙』紀伊國屋書店

 
神々の沈黙 [ ジュリアン・ジェインズ ]

神々の沈黙 [ ジュリアン・ジェインズ ]
価格:3,456円(税込、送料込)

ジェインズさんは「ハーヴァード大学を経てマクギル大学で学士、イェール大学の心理学で修士・博士号取得。1966年から1990年までプリンストン大学で教鞭」を取った動物行動学などを専門とする学者だそうです。そこら辺のトンデモ学者ではないってことですね。

本書の内容は原題の"The Origin of Consciousness in the Breakdown of the Bicameral Mind"が示している通りです。Bicameralという言葉は普通は二院制を意味する言葉ですが、語源としては二つ(bi)と部屋(camera)の組み合わせになります。本書においては人間の脳が右脳と左脳に分かれている象徴として使われています。

様々な考察から、ジェインズさんは人間が「意識」(consciousness)を持つようになったのは今からたった3000年ほど前であるとしています。じゃ、それ以前は、というと、右脳に聞こえる「神々」の声に従う時代であったとしています。この時代を「二分心」(bicameral mind)の時代と呼んでいます。この時期が文明の勃興期と重なります。この「二分心」の時期に人間が覚醒した、としているCallmanさんのThe Global Mind and the Rise of Civilizationを以前ご紹介したことがあります。本書もちゃんと引用されていました。

確かに、各種の伝説や神話、あるいは旧約聖書などを読んでみると、昔の人類は神(とか宇宙人とか、何らかの超越的存在)と直接交信できたようですが、徐々にそのような能力は失われて行き、預言者だとかシャーマンなどの特殊能力を身に付けた人間だけが交信できるようになったように思えます。そして、現在では預言者とかシャーマンすらいない時代であるように思えます。今でも神(とか宇宙人とか、何らかの超越的存在)と交信できるって主張している人間はいますが、奇人変人扱いか、アブナイ人か、詐欺師か、悪くすると本物の犯罪者か、なんて思われちゃうんじゃないですか。ま、聖書の昔でさえ預言者の面々はみんなが信じてくれない、って嘆いていましたからねえ。

本書によれば「二分心」の時代では、「神」の声が聞こえ、人々はその言うとおりに行動していたそうです。が、その後「神」の声が聞こえなくなり、人間に意識が芽生えた(因果の順番は逆かもしれませんが)のだそうです。が、未だに思考停止状態で主体的な判断をしないように思われる方々が多く居られるようにも思えます。人類はわざわざ意識を備えているのですから、大いに考え、判断しようではありませんか。

 

 

マルチェッロ・マッスィミーニ/ジュリオ・トノーニ 花本知子訳『意識はいつ生まれるのか』亜紀書房

 

マッスィミーノさんは医師・神経生物学者、トノーニさんは医師・精神科医、お二人とも現役バリバリの研究者です。彼らは意識について統合情報理論という新しい仮説を提唱しています。詳しくは本書をお読みいただきたいと思いますが、『神々の沈黙』で提唱されている仮説とはかなり趣が異なります。皆さんはどちらの理論により共感を覚えるでしょうか。

現代における脳科学の進歩には目を見張るものがあります。「共和党と民主党に投票するアメリカ人の違いを決定づける部位が突き止められている。また、本当はペプシの味のほうがすきなのに、ついコカコーラを買ってしまう要因を抱える領域まで明らかになっているのだ」そうです。ところが、それにもかかわらず、「他人の脳のなかに意識の光が灯っているか、消えているかは知りえない」のだそうです。例えば、昏睡状態で身体的な反応ができない場合、それでも患者に意識があるのかどうかは、様々な仮説の下実験が試みられているようですが、現在のところ分からないようです。

ところで、本書は意図的に鏡に映したような構成を採っています。全部で9章からなりますが、第1章での疑問は第9章で、第2章の疑問は8章で解き明かされます。そして真ん中の第5章では本書の中核となる理論が紹介されています。もちろん、論文を効果的にプレゼンテーションするために構成を考えるというのは普通でしょうが、ここまで意図的にシンメトリックな構成を採っており、しかもそれを著者が堂々と書いちゃってる、ってのは初めて目にしました。さすがイタリア人、審美感のレベルが違う、ってことでしょうか。

最新理論を現役の研究者が解説している本書ですが、理論面の説明も大変読みやすく書かれています。分かったようなことを言っている方もたくさんいらっしゃるようですが、脳、意識、あるいは人間ってのはまだまだ謎が多いようです。安心したわ。是非ご一読を。

 

 

苫米地 英人超訳「般若心経」PHP文庫

 

苫米地さんの著作は以前『洗脳支配をご紹介したことがあります。苫米地さんは認知科学者(機能脳科学、計算言語学、認知心理学、分析哲学)で計算機科学者(計算機科学、離散数理、人工知能)なんだそうです。それ以外の経歴については書き写すだけでも大変なので、ご自分でお調べください。

赫々たる経歴をお持ちの苫米地さんですが、宗教的なことにもご興味をお持ちのようで、本書の他にも瞑想法の本なども出されています。本書では般若心経というたいへんポピュラーなお経を取り上げていますが、そのわけは「般若心経の作者が『空』を理解していない」から、苫米地さんが「般若心経を『空』の思想を理解しやすいように添削する」んだそうです。ほお。読んでやろうじゃないの、ということで購入しました。

添削ということで、苫米地さんはかなり個々の言葉(文字)にこだわって手を加えていらっしゃいますが、それで解釈が大幅に変わるのか、というとそんなこともないように感じました。私も様々な般若心経の解説を読んできましたが、苫米地さんがおっしゃっているような意味合いにおいて般若心経を理解していました。だったらそんなにこだわらなくてもいいんじゃないの、って私なんぞは思うんですがね。

ところで、最後の「羯諦羯諦」(ギャーテイギャーテイ)ってとこはサンスクリット語やパーリ語ではなく、シュメール語で理解できると指摘しています。で、こいつは所謂“マントラ”ってやつですので、声を出して唱えることに意味があります。ただし、苫米地さんはお釈迦様はマントラの効用を否定していると指摘しています。「「般若心経」の作者はインドの宗教哲学などにはかなり詳しいようですが、本当の意味での仏教については、誤解や理解不足を感じてしまいます」ですって。そーすか。

般若心経に興味をお持ちの方には一風変わった解説として読んでみても良いかもしれません。誰かの解説が絶対だ、なんて思ってしまうとそれはもうカルトの世界になってしまいますからね。ご自身で考えることが重要です。

 

 

デイビット・ヲルトナー=テーブス 片岡夏美訳『排泄物と文明』築地書館

 

作者のテーブズさんはカナダのグエルフ大学の名誉教授で獣医師だそうです。公衆衛生や疫学の専門家でもあるので、「排泄物」にも多大の興味があるようです。書名にこそ「排泄物」という言葉が使われていますが、本文ではウンコだクソだなんて言葉が頻繁に登場します。そういう言葉がお嫌いな方は読まないほうが良いかも。

しかし、私たち人類も動物の一種である以上、「高邁な哲学や宗教的ビジョンがあろうと、私たちはウンコをしない訳にはいかない」のです。そこのカッコ良いお兄さんも、あっちのかわいいねーちゃんもウンコするんです。ああ、言っちゃった。

ウンコに関するありとあらゆることが論じられている本書、あなたの知らないウンコの話が満載です。類書がないのである意味大変貴重なのではないでしょうか。ウンコの連発に耐えられる方はざ是非ご一読を。

 

 

20163

人見 光夫答えは必ずある』ダイヤモンド社

答えは必ずある [ 人見光夫 ]

答えは必ずある [ 人見光夫 ]
価格:1,620円(税込、送料込)

 

著者の人見さんはマツダの常務執行役で、最近話題のSKYACTIV技術開発の中心となった方です。

マツダといえば、ロータリーエンジンの実用化で名高いものがありますが、自動車会社としてのマツダには、一度マツダに乗ると一生マツダから離れられない、つまり、他社での下取りが安すぎるのでマツダに乗り続けるしかない、なんて今一つパッとしない評判が付いて回りました。

それが、今ではSKYACTIV技術を前面に押し出し、業績も絶好調、経済紙(誌)にもたびたび取り上げられるようになっています。

人見さんはどうやらエンジンを中心としたエンジニアですので、エンジンを中心としたSKYACTIV技術のお話が本書の中心になっています。で、ハイブリッドや電気自動車に対して従来型の内燃機関(ガソリン及びディーゼル・エンジン)の改良によるSKYACTIV技術がいかに優位であるか、が説かれています。

今は昔の話になってしまいますが、自動車の黎明期、様々な動力源が試されてきました。実際に商品として売り出されたものにも、ガソリンやディーゼルといった内燃機関の他、電気自動車、ハイブリット(エンジンで発電した電気でモーターを回す原始的なものだったようですが)、蒸気機関などを用いたものがありました。その中から内燃機関が生き残ったわけですが、なぜかというと燃料の供給といったインフラ面まで含めたパーケージングにおいて他機関に対して圧倒的な優位があったから、なのです。単純にマーケットに選ばれたから生き残ったのであって、政策的に選ばれたわけではありません。まあ、そう考えると内燃機関の改良によるSKYACTIV技術の優位性もうなづけるものがあります。逆に言えば、そのような環境で新しい“ハイブリッド”技術を開発、販売したトヨタはそれだけ賞賛に値するということでしょう。

私も、電気自動車が優位に立つには、発電、蓄電、送電などの分野における大きな技術的なブレークスルーが必要であるように思います。とは言え、人見さんも某トヨタのハイブリッド車が売り出され、それどころかガンガン売れた時には相当焦ったみたいです。奥さんにまであれこれ言われちゃったって。

しかし、様々な動力機関が考案され、実際に乗り比べることができる現在の自動車の世界は、私のような車好きにとっては面白い時代にあるように思います。人見さんも、「日本の自動車業界は、自分たちのクルマやサービスに関してやはり、「日本独自の価値観を持って伸ばしていきませんか」」と書いておられます。誰もがV○とかBM○、あるいはベン○の真似じゃつまらないじゃないですか。

人見さんがエンジンを専門とするエンジニアであるため、本書にはエンジンにまつわるテクニカルな記述が目立ちます。私のようなクルマ好きにはどうということもありませんが、そのような方面に興味のない方にはかなり読みづらいかもしれません。ただ、開発にまつわる困難(そんなのできるわけない、前例がない)をいかに乗り越えてきたか、などは普通のサラリーマンにも参考になるのではないでしょうか。

面白いクルマに○。是非ご一読を。

 

 

スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー 櫻井祐子訳『0ベース思考』ダイヤモンド社

0ベース思考 [ スティーブン・D.レヴィット ]

0ベース思考 [ スティーブン・D.レヴィット ]
価格:1,728円(税込、送料込)

 

著者の一人レヴィットさんはハーバード大学の経済学部を最優等で卒業、MITで経済学の博士号を取得、現在はシカゴ大学の経済学部教授を務めているというバリバリの現役経済学者です。ではありますが、もう一人の著者であるダブナーさんと共に『ヤバい経済学、『超ヤバい経済学』なんて世界的ベストセラーを連発している作家でもあります。多芸多才。うらやましい。

本書においてレヴィットさんとダブナーさんは具体的な何かの問題の解決方法を示しているのではなく、どのように考えたらより良い答えが見いだせるか、といった普遍的な問題を取り扱っています。

もちろんその答えが本書の題名になっているわけです。本書に「ゼロベースで、問題を「正しくとらえ直す」」という小見出しが出てきます。これって前出の人見さんが『答えは必ずある』で書かれていることと全く同じではありませんか。我々はどうしても今までにあったこと、経験してきたことをベースに推論しますので、「そんなのできるわけない、前例がない」なんて反応がオートマチックに出てきてしまうのですが、そうではなくて、面倒くさくても最初からちゃんと筋道を立てて考え直してみましょう、ということです。本書ではバーナード・ショウの言葉が引用されています。「「1年に23回以上ものを考える人はほとんどいない」と彼は指摘している。「私は週に1度か2度考えることで、世界的な名声を築いた」」。えー、私だって少しは考えてるつもりなんですけどねえ。

著者のお二人は若い人たちにも読んでほしいと思い本書を書いたそうです。とにかく面白いエピソードが満載ですし、論文調の堅苦しい文章ではなくたいへん砕けた文体(日本語訳でも)で書かれているので大変読みやすいと思います。正しく考えるために是非ご一読を。

 

 

田村耕太郎頭に来てもアホとは戦うな!』毎日新聞出版

頭に来てもアホとは戦うな! [ 田村耕太郎 ]

頭に来てもアホとは戦うな! [ 田村耕太郎 ]
価格:1,404円(税込、送料込)

 

アホとはどんな人間のことでしょうか。田村さんは「時として正当な理由もなくあなたの足を引っ張ってくる当たり屋でもある。あなたに体当たりしてからんで、自分の価値を上げようとする人物」であるとしています。で、こんな人間は「あなたがわざわざ闘ったり、悩んだりする価値のない人間である。そして不条理な人間である」、だから、こんなアホに思い悩まされるて人生を浪費する必要はありませんよ、ということです。あー、思い当たる節があるなあ。こんな人間を説き伏せようとして無駄な労力を使ったことがあります。

ここまでだったら、単に周りにいるアホは切り捨ててしまえ、ということになるんですが、田村さんはもう一歩踏み込んで、こんな人間に振り回されるのは、アホに絡まれるアナタにも問題があるんじゃないですか、と指摘しています。アナタ自身、役にも立たないプライドが邪魔して人の言うことを聞けないんじゃないですか、って。あー、色々と思い当たる節があるなあ。

で、田村さんは自身の経験を通して得た、無駄なプライドを捨て、ストレスを溜め込まないで人生を送るためのコツを紹介しています。詳しくは本書をお読みください。

でも、田村さんって結構波乱万丈な経歴を過ごしてきた方みたいですね。まず、某その後破綻した証券会社に入社する前に早稲田大学卒業の後、慶應義塾大学大学院(MBA)を修了されています。入社後もエール大学大学院で経済学修士、デューク大学法律大学院で法学修士号、ベルギーのブリュッセル自由大学でも単位を取得されているそうです。その後もオックスフォード大学上級管理者養成プログラム、ハーバード大学ケネディスクール危機管理プログラム・国際金融プログラム・国際安全保障プログラム、スタンフォード大学ビジネススクールEコマースプログラム、スイスバンキングスクール国際資産管理プログラム、東京大学エグゼクティブプログラムを修了しているんだそうです。山一証券を退社の後義父の経営する新聞社の系列新聞の社長に就任、経営を再建する、なんてことも手掛けたそうです。その後政界に進出、幾度かの落選の後参議院選挙に当選、2期務められました。現在はシンガポールに拠点を置く日本戦略情報機構の代表取締役、国立シンガポール大学リークワンユー公共政策大学院兼任教授を務めているそうです。ふう、書き写すだけでも大変だぜ。

私も参議院議員時代の田村さんにお会いしたことがありますが(講演プラス名刺交換)、結構派手な替え上着(確かワインレッドのベルベット)をお召しになっておられ、アラン・シルベスタインの秒針がくねくねした腕時計なんぞもしていらっしゃいました。結構目立ってましたよ。“アホ”に絡まれる機会も多かったことでしょう、多分。

とは言え、本書を読んでいて私自身も思い当たる節が思いっきりたくさんありました。まあ、相手も悪かったんでしょうが、相手から見れば私も思いっ切りイヤミな奴だったんでしょうね。

田村さん実体験が豊富に盛り込まれた面白い一冊でした。是非ご一読を。

 

 

三澤 洋史オペラ座のお仕事』早川書房

オペラ座のお仕事 [ 三澤洋史 ]

オペラ座のお仕事 [ 三澤洋史 ]
価格:1,728円(税込、送料込)

 

三澤さんは新国立劇場の専属合唱指揮者です。新国立劇場ってオペラとかバレエなどの公演用に建てられた劇場です。オペラ本体の指揮とか演出、メインの歌手なんかは大体本場欧米から御来日していただくわけですが、合唱隊なんかまで連れてくると膨大な経費がかかりますので、脇役とか合唱隊、ダンサーなんかは劇場側が用意した人間、新国立劇場であれば日本人が務めることになります。で、合唱指揮者も専属の日本人が必要になるわけです。

オーケストラは指揮者が、合唱隊は合唱指揮者が指揮をするのですが、オペラですから当然伴奏付の合唱の場面だってあるわけです。音楽としては一つなのに二人も指揮者がいます。日本人だけだって先頭が多すぎれば船が山に登っちゃうのに、日本人と外人が同時に指揮をするんですから、いろいろ起きるわけです。

しかし、著者の三澤さんってのは生まれつき頭が良いんでしょうねえ。若いころのエピソードも色々と書かれていますが、私のような凡才にはびっくりすることばかり。まあ、私が本を読んだり、話を聞いたりして“こいつ、頭良いなあ”って思うのは大体数学者とか音楽家(それも作曲家や編曲家、あるいは指揮者タイプ。楽譜からでも音楽が理解できちゃうタイプ)ですね。両者に共通するのは抽象的な記号を扱いながら、そこからもう一歩踏み込んだ理解ができることでしょうか。ある音楽家(演奏者でしたが)が“モーツアルトが子供の頃に作曲した曲(ケッヘル番号1番だったか)に、成熟した大人と同じ愛情を感じる”って言ってました。普通そんなこと分かりませんよねえ。私が実際に話をしたことがある指揮者って一人しかいない(そう有名ではありません)んですが、いやあ、こちらが何を話しても(音楽のことじゃなくても)当意即妙なレスポンス・反応があり、頭良いなあと思った記憶があります。

本書はそんな三澤さんが外国から来たわがままな“マエストロ”たち(ま、オペラ歌手だってわがままさにかけては負けてないでしょうが)といかにしてオペラを作り上げていくか、を記した物語です。三澤さんが実際に経験されたエピソードが、巧みな筆致で豊富に盛り込まれおり、下手な小説より面白かったですよ。是非ご一読を。

 

20162

広瀬 隆東京が壊滅する日』ダイヤモンド社

東京が壊滅する日 [ 広瀬隆 ]

東京が壊滅する日 [ 広瀬隆 ]
価格:1,728円(税込、送料込)

広瀬さんは東日本大震災の半年ほど前に出版された『原子炉時限爆弾』という本ではっきりと地震による原子炉の事故に警鐘を鳴らしていました。そして、東日本大震災によって現実のものとなってしまいました。その広瀬さんが本書で予想しているのは、「数々の身体異常と、白血病を含む「癌の大量発生」」です。なんでそうなるのか、は本書をお読みいただきたいと思います。

原子力発電のシステムは第二次世界大戦における原子爆弾の開発の副産物として開発されたものであることは本書評でも何度か取り上げたところですが、本書において広瀬さんはその開発にかかわってきた人物が特定の系列(閨閥)に属することを明らかにしています。一見かかわりのない問題のように思える日本への原爆投下と福島の原発事故(そしてその事故処理)が実は非常に密接な関係があることを本書は明らかにしています。

本書の最初の方に、本書評でも何度かご紹介したことがあるアメリカ軍兵士を使った原爆爆心地への突撃実験の話が紹介されています。参加した兵士の数は25万人に上るそうです。放射能の影響を調べる実験ではあったのでしょうが、自国の現役の軍人を使って人体実験をするとは狂気の沙汰ですが(他国民だから良いってわけではありませんが)、実験を計画・実行したのは立派な経歴の科学者たちです。アメリカのエリートたちにとっては自国民でも下級軍人なぞは奴隷かなんかだとしか思っていないことがよく分かります。そうだとすると、日本人なんぞは良くて家畜、下手すりゃ虫けらかなんかだとしか思われてないんじゃないですかね。で、日本のエリートたちは同じ虫けら同士であるにもかかわらず、同じ日本人の非エリート層を見下している、ということでしょう。戦後、日本で被バク調査を行ってきた日本のエリートたちにはあの「“七三一部隊”の残党が大量に流れ込んでいた」とも本書は指摘しています。人体実験はお手の物、だったんでしょうか。

なぜあんなに福島県で避難解除を急ぐのか、なぜあんなに原子力発電の再稼働を急ぐのか、などを読み解くためのカギが本書にはたくさん盛り込まれています。なぜなのか、は是非ご自分で本書を読んで判断していただきたいと思います。ぜひご一読を。

 

上杉 隆悪いのは誰だ!新国立競技場』扶桑社新書

悪いのは誰だ!新国立競技場 [ 上杉隆 ]

悪いのは誰だ!新国立競技場 [ 上杉隆 ]
価格:820円(税込、送料込)

2020年に東京で2度目のオリンピックが開催されることになりました。過去、夏季オリンピックを複数回開催したのは、ロンドン、アテネ、パリ、そしてロサンゼルスだけだそうです。オリンピック発祥の地であるアテネはいささか趣が異なりますが、それ以外は欧米の大都市です。東京もそれらに並んだ、とい言えなくもありません。上杉さんは「同じ都市での開催は、1度目と2度目ではその意味愛が大きく変わってくる」と指摘しています。前回の東京オリンピックが開かれたのは1964年、敗戦を乗り越え高度成長真っ只中の日本はオリンピックを契機に先進国の仲間入りを果たしたと言えるでしょう。では2度目は?上杉さんは「都市としての成熟度を提示し、新しい都市観を世界にどう発信するかではないか」としています。しかし、国立競技場でもめにもめ、エンブレムでももめにもめました。何を発信しようというのでしょうか。

本書はあちこちで出禁を食らっている(記者会見に入れないとか、入れたとしてもいくら手を挙げても指名されないとか本人が言っていますもんね)上杉さんが新国立競技場に関わる関係者の多くに取材を敢行、新国立競技場の問題だけではない日本の病理、宿唖をあぶりだして行きます。もちろん、その書名からも明らかな通り、本書は“誰がこの不祥事を引き起こした張本人なんだ”ということがテーマにしており、確かに数名の方が実名とともに批判されています。ただし、本書の狙いが特定の人物に対する糾弾を目的にしているのか、というとそうではないように感じます。むしろ、新国立競技場問題を通してまたしても明らかになった日本の社会のあり方に対して疑問を呈しているといってよいのではないでしょうか。このままではもう一度同じ間違いがオリンピックの場で繰り返される可能性すらあります。そう言えば、10月の内閣改造で下村博文文部科学大臣の後任に選ばれたのは、国立競技場将来構想有識者会議(森喜朗オリンピック組織委員会会長、安藤忠雄デザインコンクール審査委員長、竹田恆和JOC会長、舛添要一東京都知事などもメンバー)にも名前を連ねていた馳浩衆議院議員でした。

今月も他に何冊か関連した本をご紹介していますが、日本人の気質や失敗の本質ってのは変わらないものですねえ。

 

 

戸部良一、寺本義也、鎌田伸一、杉野尾孝生、村井友秀、野中郁次郎『失敗の本質―日本軍の組織論的研究』中央公論社

 
失敗の本質 [ 戸部良一 ]

失敗の本質 [ 戸部良一 ]
価格:822円(税込、送料込)

本書の基となる研究は、「戦史研究に社会科学的方法論を導入してより科学的な戦史分析ができないものか」と考えて開催された研究会において始まったそうです。そのために当時防衛大学に所属していた研究者を中心として組織論や歴史学などを研究する学者を集めた学際的な研究会が開かれました。戦史研究ということではありますが、本書は企業経営などにも多大なヒントをもたらしてくれる、ということでロングセラーになり、私が購入した文庫版のおびには“累計65万部!”と書かれています。

先の大戦において日本は惨憺たる敗北を喫しました。しかし、なぜそのような事態に立ち至ったのか、を日本人は真摯に反省してきたとは言えないように思います。確かに東京裁判が行われ、戦犯が処刑されました。が、あれは戦勝国が敗戦国を裁いた“やらせ裁判”で、そのことを以て日本国民が敗戦の総括をしたとは言えないでしょう。私たち日本人に求められているのは、なぜ塗炭の苦しみを味合わなければならなかったのか、を真摯に反省することではないでしょうか。単なるタラレバ論やどっかの閣下のように国政指導者及国民の無気魂」で負けちゃったなんて他人のせいにしているようでは意味がありません。

本書ではなぜ負け戦になることが分かり切っている大東亜戦争に踏み切ったのか、という問題ではなく、ノモンハン事件、ミッドウェー作戦、ガダルカナル作戦、インパール作戦、レイテ海戦、沖縄戦という大東亜戦史上の失敗の内容を分析しています。もちろん、国力が劣っていた、とか生産能力がそもそも……などという議論や、戦術レベルでこうしていたら、ああしていれば、といったタラレバを議論しているわけではなく、「問題は、そのようなご判断を許容した日本軍の組織的特性、物量的劣勢のもとで非現実的かつ無理な作戦を敢行せしため組織的欠陥にこそある」のではないか、という観点から分析を加えています。

私は以前から日本人の悪癖(日本人ばかりではないのかもしれませんが)として、「何か失敗しても誰も責任を取らないし責任の追及もしない。責任を取らなければならないときは下っ端に押し付ける。現実は直視せず何でも気合いで解決できると信じ込む。不都合な事実には目を向けず、誇大な希望的観測のみを信じ込む。一度決まったことは不都合があってもそのまま続ける。失敗は糊塗して知らなかったことにするか忘れたことにして、絶対に反省なんかしない。思いっきりセクショナリズムで部外者のことなんか考えない。そもそも誰も人の意見なんか聞かないので、議論が成り立たない。上には媚びる、下には威張る」なんて以前の書評にも書いてまいりました。これ、何も戦時中の日本軍ばかりではなく、上に紹介した福島原発事故や新国立競技場などをめぐるゴタゴタなどでもそのまま繰り返されています。

同じ過ちを繰り返すのは動物と同じだ、人間なら失敗に学べ、なんて子供の頃言われた覚えがあります。全くできていないようですね。失敗を繰り返さぬためにも是非ご一読を。

 

 

鈴木 博毅「超」入門 失敗の本質』ダイヤモンド社

「超」入門失敗の本質 [ 鈴木博毅 ]

「超」入門失敗の本質 [ 鈴木博毅 ]
価格:1,620円(税込、送料込)

鈴木さんは1972年生まれのコンサルタント。上にご紹介した『失敗の本質』は名著ではありますが、選ばれた事例が軍事作戦であり、戦後生まれの私たちにとってはイメージがわきにくいきらいがあります。そこでプロのビジネス戦略、組織論、マーケティングのコンサルタントである鈴木さんが解説しましょう、ということで本書が書かれたようです。

なぜ『失敗の本質』の経験が現在にも生かせるのかというと、「日本は現在、「想定外」という言葉を何度使うべきか迷うほどの危機的な状況です」、「ひとことで言えば、これまでのやり方が通用しなくなっています」という状況だからです。

『失敗の本質』で“無能”の烙印が押されたように思える帝国陸海軍ですが、太平洋戦争においても最初から無能だったわけではありません。陸軍は中国大陸の国民党軍相手に大健闘していました。また、真珠湾攻撃における見事な奇襲攻撃、マレー沖海戦における航空機攻撃により戦艦“プリンス・オブ・ウェールズ”及び“レパント”を撃沈、チャーチルをして“生涯で、かくも大きな痛手を受けたことはなかった”と慨嘆せしめた戦い、開戦当初は連戦連勝、あっという間にシンガポールまで陥落させるなど、大戦果を挙げていました。

空母機動部隊の活用などは実は日本が世界で初めて実戦に投入、上記のような大戦果を挙げたのですが、なぜか日本は大艦巨砲主義に逆戻り、太平洋戦争当初の痛手から学んだ米国が逆に空母機動部隊を中心とした戦術に転換して行きました。日本は日露戦争、そして太平洋戦争初期の成功体験に囚われ、ずるずると坂道を転げ落ちていってしまいました。自分でこれまでのやり方とは違うやり方で成功したにも関わらず、「これまでのやり方が通用しない」ことに気づかなかったんですね。

そして戦後、日本は太平洋戦争における大失敗から見事に復活、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”になったわけですが、バブルの崩壊とともにずっこけてしまいました。バブル崩壊からすでに四半世紀経つにも関わらず、未だにバブルの発想から抜け出られない方々がいっぱいいらっしゃいますね。その象徴が上にご紹介した『悪いのは誰だ!新国立競技場』に登場する面々でしょうか。

太平洋戦争の事例を現代の私どもにもなじみ深いビジネスの事例に引き直してその裏にある「失敗の本質」を明らかにして行きます。大変読みやすく仕上がっていますので、ビジネスマンが朝夕の通勤時間に読み切るのも容易いと思います。通勤カバンに忍ばせておきたい一冊でした。

 

 

20161

岡田哲明治洋食事始め』講談社学術文庫

 
明治洋食事始め [ 岡田哲 ]

明治洋食事始め [ 岡田哲 ]
価格:950円(税込、送料込)

現在の東京ではあらゆる国の料理を食べることが可能です。下手をすると本国より美味しかったりして。ではありますが、こんなことが普通になったのはつい最近のこと。ほんの百年ちょっと前の明治維新の前後、初めて西洋料理を食べさせられて悶絶していた日本人も随分いたみたいです。ここら辺は以前熊野忠雄さんの拙者は食えん! サムライ洋食事始でも紹介した通りです。

著者の岡田さんがアメリカ視察をした際、アメリカ料理の食べ過ぎで体調を壊してしまったところ、現地の商社の方々が日本人クラブでかつ丼とみそ汁、たくあんの料理を作ってくれ、「全身に力がみなぎってきた」んだそうです。これ、1962年のことだそうです。明治になって作られた“洋食”が、日本の母の味になっていたわけですね。

私の場合、業務とかで日本を離れ、帰国した途端食べたくなるのはラーメンですね。普段はあまりラーメンを食べないのですが、この時だけはなぜか食べたくなるんです。それも雑誌とかに取り上げられている有名店ではなくて、そこらのラーメン屋で十分。なぜなんですかね。ラーメンは今や立派に日本を代表する食べ物ではありますが、和食とは言えないですもんね。

何だかんだ言って、日本人の味覚ってのは頑固なようでいて結構変わるようでもあります。外国に行くと、その国の料理のレストランしかない、ってところも結構あります。さすがに中華料理店ぐらいはあるようですが、日本みたいに世界中の料理が手軽に食べられる、なんて国はめったにありません。日本人の感性とか特性に起因しているのでしょうかねえ。文化論として考えると結構面白いテーマかもしれませんね。

最近もテレビで『天皇の料理番』なんて番組が放映されていました。関連してこんな本も出ていますのでご紹介しておきましょう。

日曜劇場天皇の料理番公式レシピブック

日曜劇場天皇の料理番公式レシピブック

日曜劇場天皇の料理番公式レシピブック
価格:1,404円(税込、送料込)

 

  

枝元 まほみ/多賀 正子禁断のレシピNHK出版

 
禁断のレシピ [ 枝元なほみ ]

禁断のレシピ [ 枝元なほみ ]
価格:1,296円(税込、送料込)

枝元さんと多賀さんという二人の料理研究家の書かれた本です。

何かの書評で紹介されていた料理が、「フライドビーフ」。読んで字のごとく、牛肉の塊を揚げたものです。周りはカリッカリで中はレア……。付け合わせはマッシュポテトです。で、本書によれば「マッシュポテトは飲み物」ですって。バカじゃないのかこの二人、と思いましたが、どうしても食べたくなってマッシュポテトを作っちゃいました。フライドビーフのもどき(揚げ焼きで牛肉のタタキみたいなのを作っちゃう)も別の機会ですが、何度か作ってしまいました。ああ、毒。

読むだけで太ってしまいそうな本書ですが、カロリー制限食を食べさせられている方には一抹の清涼剤になると思います。薄くて写真もいっぱい載っている本書ですが、おなか一杯になる読後感でした。

  

マイケル・ブース 寺西のぶ子訳『英国一家日本を食べる』亜紀書房

 

ブースさんはイギリス人のフードライター。ただし、ル・コルドン・ブルー(おフランスの有名な(私でも知ってます)料理学校です)を卒業し、世界一有名なシェフ、ジョエル・ロブションの店(ミシュランの三ツ星!レストラン)で修業も経験したそうですから、そこらの素人とはわけが違うようです。

日本に来ることになった理由は本書の冒頭に記されていますが、本書は取材とバカンスとあれとこれを兼ねた3か月にもわたる、奥さんとどうやら修学前の子供二人同伴の日本旅行の記録です。ま、何も起こらないなんてことはありえませんよね。

取材も兼ねた旅行のようですので、実に精力的に日本のあちこちを訪ねています。良く考えてみると、私はあまり日本のあちこちを観光して歩いた経験はありません。九州や四国、沖縄には足も踏み入れたことがありません。ブースさんは3か月も日本を旅してまわったようですので、東京以外の滞在時間は私より多かったりするんじゃないですかね。

外国の方に日本のことを教えてもらうなんて変な感じもしますよね。でも、我が家に交換留学生が1か月半ほど滞在した時、随分とあちこち案内しました。東京のはとバスツアーなんて、そんな機会でもなけりゃ東京に生まれ育った私が一生乗らないであろうものにもトライしました。でも、道中のバスガイドさんの案内を聴いていて、“え、そうだったの” って思ったことが何回もありました。人間何でも謙虚に受け入れなきゃね。

 

マイケル・ブース 寺西のぶ子訳『英国一家、ますます日本を食べる』亜紀書房

 

前書が好評だったせいで、続編が出ました。と言っても、どうやら原書は分厚すぎて日本語版ではカットされた部分があったみたいで、今回は収録しきれなかった部分に、新たに書き下ろしたエピローグを付け加えて一冊にしたようです。続編というよりは上下巻のような関係ですので、何の抵抗もなく読めると思います。

 

 

関矢 悦子シャーロック・ホームズと見る ヴィクトリア朝英国の食卓と生活』原書房

 

著者の関矢さんがどのような方なのか、色々と検索してみましたがよく分かりませんでした。でも、文章は書き慣れているようですし、広範な分野からの引用文献(日本語も英語も)などは論文かいな、と思えるようなレベルですので、相当なレベルの手練れかと思います。ただし、『シャーロック・ホームズの世界なんてサイトを開設しておられますし、本書で2015年の「日本シャーロック・ホームズ大賞」を受賞、ものすごく喜んでいるみたいですので、筋金入りのシャーロッキアンであることは間違いないようです。

ヴィクトリア朝英国の…と題名にありますが、実はヴィクトリア女王は若くして即位、しかも長命だったので、在位期間は1837年から1901年の長きにわたります。題名に登場するもう一人の人物シャーロック・ホームズは1887年から1927年にかけて発表された作品の中で活躍しています。シャーロック・ホームズの著者コナン・ドイルの生没年(18591930年)から考えると、ヴィクトリア朝も後期の時代がホームズの時代背景だったであろうことが想像できます。ヴィクトリア女王の時代、なんて聞くとものすごく昔のような気がしますが、日本だって江戸後期から明治維新を経て日清戦争で勝利したなんて時代です。また、コナン・ドイルの没年はなんと昭和に入ってからです。そう考えると、実はそう隔たった時代の物語ではない、ということが分かるのではないでしょうか。ということは、本書の背景となる時代は日本では明治から大正ぐらいの、日本でも“洋食”が食べられるようになった時代の、本家本元のイギリスの食卓事情ということになります。

そう大昔ではありませんが、当時のイギリスはれっきとした階級社会であった、なんて時代背景を知るとシャーロック・ホームズの物語もより面白く読めることでしょう。私のようにホームズ・ファンでないものにとっても、ヴィクトリア朝時代のイギリスの風物を覗き見ることができる面白い一冊でした。

 

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